夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
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翌朝、朝食も兼ねて洗い上げた食器を持って食堂へ行けば、陶山が居た。
――また!
「おはよう、菜胡ちゃん」
背筋がゾワッとした。こんなにもちゃん付けされて寒気を覚えたのは初めてだった。
「昨日言い忘れたことがあってさ」
「なんでしょう? おばちゃん、おはようございます、昨日はありがとうございました、ごちそうさまでした。トレイここでいいですか」
近づいてくる陶山を見もせず、厨房の中に声をかける。「あいよー」と奥から声が聞こえ、代わりに朝ごはんのトレイを手にして窓際の席に座れば、陶山が後をついてきて隣に腰掛けた。座りざま、菜胡にしか聞こえない大きさの声で不気味なことを言う。
「君と棚原の関係がバレたら棚原はクビだよ。実家の病院を継ぐ話も消えるかもしれない。不祥事だからね……不倫の代償は大きいよ?」
「何が言いたいんですか、私に何をさせたいんです」
キッと陶山を睨め付けた。もう内科医だろうが関係がなかった。朝から不愉快な事を言われて、気分が悪かった。
「僕の彼女になってよ」
「…………」
――彼女になれば黙っててやる、という事か。
「あれ、無言? ひどいなあ。これでも棚原が来るより前から君を見てきたのに。ねえ、棚原から僕に乗り換えようよ、満足させてあげられるけど」
「乗り換えるもなにも……!」
「じゃあ棚原に直接交渉する。菜胡ちゃんを僕にくれって。浅川がいるんだから菜胡ちゃんはもらったっていいだろう?」
浅川が、と聞いて鼓動が速まる。なぜそれを知っているのだろう。やはり浅川が陶山に入れ知恵をしたのだろうか。菜胡の頭の中で思考が巡る。
「わたっ、私は、物じゃありません!」
言い返してきた菜胡の向こうにある窓の外を一瞬見た陶山は、ニッと笑った。手を伸ばして、菜胡のそれに重ねてきた。患者でもなければ好意を抱いてるわけでもない男性から触れられる事の不快は途轍もなく、嘘くさい笑みを浮かべる陶山がただただ気持ち悪かった。すぐさま手を引っ込めた。
「不倫してるわりには意外とウブな反応だな、可愛いね、そそられる。棚原もそこに惚れたのかな」
他に食堂を利用する人が居ないのをいいことに、陶山は強気に振る舞う。
「だから、そうじゃないっ」
話の通じなさ、人の話を聞かないところは浅川にも似ていて不愉快な人だ。内科外来の担当でなくて本当によかった。だがこの手は振り解きたい。強く目を閉じて腕に力を込めた時だった。
「ちょっと、陶山先生! 菜胡ちゃんに手出さないでよ!!」
厨房のおばちゃんが木ベラを手にやってきて、菜胡の手を取る陶山の腕を振り払ってくれた。
「なんでよ、独身同士の交流だよ? 野暮なことしないでよ」
「菜胡ちゃんはダメよ。アタシの娘同然なんだ、許さないよ! 今度ちょっかい出したらあんたの味噌汁にワサビをたっぷり入れてやるから!」
おばちゃんの圧に負けた陶山は、肩を竦めて食堂を出て行った。
「おばちゃんありがとう……」
陶山に触られた手を布巾で拭きながら、ホッとして息を吸い込んだ。
「あの先生、棚原先生のこと勝手にライバル視してんのよ。あんたのことを奪えば悔しがると思ってんのさ。もしまた何かされたらここにおいでね、棚原先生からも頼まれてるんだ、誰でもいいから声かけな」
――え、え、どういうこと、棚原先生から頼まれてる? 何を?