夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
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どのくらいそうしていただろうか。診察台に座り、色々なことを話した。これまでの気持ちのこと、あの時の気持ち、どうして泣いていたのかなど、答え合わせをするように、ただただ話し続けた。
「まだ居るでしょうか……私見てきます」
時計に目をやれば、十七時近い。準夜勤ならもう始まっているだろう。入り口に向かおうとする菜胡の手を掴む。
「待て、聞いてみるから」
ポケットから出した携帯電話でどこかへかける。
「棚原です、今お時間ありますか?」
『ええ、大丈夫よ!』
――女性の声がする……どこかで聞いたような?
「いま整形外科外来に居るんですが、病棟にナースの浅川と内科の陶山先生が居るかどうか見てきてもらえませんか、知り合いの見舞いとでも言って……ええ、待ち伏せされていて逃げ込んだんですけど出られなくなってしまって。二人が病棟に居たらまた連絡を……はい、すみません、よろしくお願いします」
電話の向こうの女性は元気に快諾した声が聞こえた。
「大丈夫だ、おばちゃんに頼んだ」
「おばちゃん……あぁ! 食堂の」
「元いた病院で、おばちゃんの旦那さんの主治医だったんだ。ここに来て居たからビックリした、世間は狭いなあ」
「あ、それで……? 昨日、陶山先生に手を取られたとき、おばちゃんが助けてくれたんです、棚原先生から頼まれてるから、何かあったらここに逃げて来いって」
はは、と笑い、白状した。
「うん、頼んだ、勝手にごめんね」
ううん、と首を横に振る。とてもいいタイミングで助けてもらえてよかったのだ。心強い味方ができたんだと嬉しかった。
「三月末にここに来たときに会ってね」
彼女は棚原の指輪のワケも知っていた。ダミーの指輪なんて、と罪悪感を抱いていた事を話したことがある。
『でもそれは先生の心を護る指輪だろう? 何が悪いもんか。先生の気持ちを考えず迫る方が悪いんだ』
そんな風に言われて、心が軽くなった。それからはまるで親戚の仲の良いおばちゃんのような感覚で接していた。大きな病院に居てこんな間柄になれるなど思いもしなかった。
ここへ赴任する時は既に彼女の夫は退院していたから会えずじまいだったが、まさかここで会えるとは思ってもいなく、再会した嬉しさから、未だ女性が苦手なのかと聞かれて、思わず心のうちをこぼしてしまった。
『実は、気になる子ができた……』
『あら! どの子? 先生が好きそうなのっていったら……菜胡ちゃんだろ、あの子は媚びたりしないし素直な良い子だよ』
『なんでわかるの、おばちゃん……!』
驚いた。赤らめた頬を隠すでもなく、おばちゃんに驚いた。年の功だろうか、何か感じとったんだろうが、おばちゃんが気がついているという事は、他の人にもバレているのかもしれない。
『ヤダよお、顔赤くして初恋みたいな顔して! 地味だけど素直な良い子だよ。いっつもきれいに食べてくれる。最近きれいになったのはあんたのおかげかね』
『うん……すごく可愛いんだ……患者さんにも好かれていて、おっとりしていて優しそうなのに、叱るときは叱るんだよ……もし彼女がここで変なのに絡まれてたら守ってやって欲しい』
あんなに愛らしい菜胡が、他の人から言い寄られないはずがない。せめて食堂、おばちゃんがいる場所でくらいならいいだろうと、守ってくれるよう頼んだ。
『わかったわ、任せて! その代わり――』
「で、これがその報酬」
苦笑いして見せてくれた携帯の画面には、棚原とおばちゃんの写真があった。嬉しそうに満面の笑みを浮かべたおばちゃんを、棚原が抱きしめている。おばちゃんくらい歳上の女性はそう苦手じゃない様子に顔が綻ぶ。
おばちゃんは、頼まれた通りにあの時、助けてくれた。
「ありがとう、先生……」
「菜胡、恋人なんだから名前で呼んで?」
「え、なまえ……紫苑、さん」
もごもごして名を読んだ時、携帯が鳴った。
『先生、居たわよ。二人とも病棟に居たわ。外来の前には誰もいないわよ。いま菜胡ちゃんと一緒なの?』
「ありがとうおばちゃん! うん、一緒にいる。これからデートしてきます」
『んまー! いいわね、菜胡ちゃんのごはんは明日の夜までキャンセルにしておこうか? それじゃまたね先生!』
微かにおばちゃんの声が携帯から漏れ聞こえた。テンションの高いのがわかり、その理由も何となく想像がついて、頬が熱くなる。
「菜胡のご飯は明日の夜までキャンセルだって、どうする?」
いじわるそうな笑顔で菜胡を覗き込んできた。
「どっどうすると言われましてもっ」
菜胡を抱きしめて、はっきり言った。
「今日は菜胡を帰したくない、離さない……」
その言葉の意味するところを理解した菜胡は、腕の中で小さく答えた。