夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
おばちゃんからの電話を切って、そっと診察室の扉を開ける。時刻は十七時に近くて、廊下は薄暗かった。そこに誰も居ないことを確認してから、棚原は医局へ戻った。
「車で来ているから、そうだな、病院出た先の書店で待ち合わせよう。濃紺の車だから」
菜胡はやり残したことがないか確認してから退勤した。同じタイミングで帰る外科外来の先輩たちから飲み会に誘われたが、当然、断った。
「すみません、今夜は約束があって」
寮へ戻り急ぎシャワーを浴びた。全部が欲しいという事は――そういう事だ。浴室の鏡越しに右胸の痣を見た。
――いつ言えばいい? 車の中で? でもまだそういう空気じゃないのに言ったらおかしくない?
悶々と考えながら、結局はその場の雰囲気に任せることにして、髪を乾かして着替えた。
痣の事は、言えると思った時に言う。そう決めて、とにかく浅川が帰ってくるより前に寮を出るべく支度を急いだ。冷蔵庫の中の、作り置きのおかずとお泊まりセットをかばんにまとめ、寮を出た。
病院を出て通りを少し歩いたところにある書店の駐車場には濃紺色の車が停まっていて、菜胡が姿を見せると運転席から棚原が降りてきた。
「お待たせしました」
「いいよ、それ荷物?」
菜胡が下げていたカバンと紙袋をさっと受け取って、後部座席へ置いた。どうぞ、と助手席のドアが開かれる。助手席に乗り込めば、棚原がシートベルトを締めてくれたが、どさくさに紛れて菜胡に口付けた。はたから見ればただのバカップルでしかない振る舞いに、恥ずかしいやら楽しいやらで、思わず笑いが溢れる。
「よかった、菜胡が笑ってくれている」
運転席に座りながら棚原も笑顔だ。右手でハンドルを握り、左手は菜胡の手と絡めあった。やや汗ばんだ手が、磁石のようにぴったりと合わさっていて、その熱を感じた頃には、車は静かに動き出していた。
「二十分くらいで着くけど、途中で晩御飯食べて帰ろう。あ、夜景もきれいだよ」
見知った信号をいくつか曲がって、大通りに出る。何車線もある通りをスイスイと走り、車は進んでいった。まだ夜景は見えず、明かりが点き始めた賑やかな街を抜ける。
「昨日、作り置きのおかずを作ったところだったんです、それを持ってきたんですけど明日の朝ご飯に如何でしょうか」
「え、うれしい! 何作ってくれたの?」
顔は正面を向いたまま、笑顔で喜んだ。
「きのこの佃煮と肉団子です……お口に合うかどうかわかりませんが」
「やった、好きなやつ! 明日の昼に食べよう」
「朝、じゃなくて?」
「うん、昼」
助手席の菜胡を見てニッと微笑んだ。その意味に気がつかないほど、菜胡は鈍くなかった。