夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
十二時を五分ほど過ぎた頃、インターホンが鳴った。元気よくやってきた弟・昴は、棚原によく似ている。垂れ目じゃないのと背がそこまで高くないから、ソファに座らせ目を閉じてもらったら見分けがつかないかもしれない。だが、菜胡には見分けられる。
「初めまして、弟の昴です。兄がお世話になっています」
「石竹菜胡と申します。紫苑さんとお付き合いさせていただいております」
そうやりとりを交わした昴の、菜胡を見る目は笑っていなかった。浅川と初めて会った時のように、緊張感が走った。
用意しておいた昼食を好き嫌い無く平らげてくれ、研修の事や父親の話などで会話を楽しんだ。十四時も近くなってきた頃。
「じゃあそろそろ帰るよ、ごちそうさま」
「ん、帰るか。あっと、すまん、コンタクトずれた」
棚原が洗面所へ走る。菜胡は片付けようと立ち上がった時、昴が菜胡に聞いてきた。
「ねえ、兄さんと僕、似てる?」
「え? ええ、よく似てらっしゃると思いますけど」
「ならさ、僕でもいいじゃない? 兄さんやめて――僕にしない?」
声は軽やかで口元も笑っているが、目が笑ってない。棚原にそっくりな見た目だが、読めない感じは全く違う。
「何を、言って――」
テーブルを挟んでいたのに、菜胡の隣にススッと来た。その距離の詰め方に警戒する。棚原の向かった洗面所を見遣るが、昴に視界すら遮られた。
「いいじゃん、これまでの女もそうだった。あんたも同じなんだろ? 見た目だけで兄さんを選んで、兄さんを失望させるに決まってる」
「紫苑さんの見た目に惹かれたわけじゃありません。似ているから昴さんに乗り換えるなんて有り得ない。バカにしないでください」
菜胡は言い切った。
「じゃあ君は兄さんの何を知ってるの?」
「何って……」
言われれば何も知らない。出身学校や実家がどこにあって家族構成が何で、好きなものは、趣味は――。言われるような事は知らない。聞いた事もない。ただ棚原の存在が好きでいただけだ。菜胡はキュッと口を引き結んだ。
「は! そんなんで恋人気取り? 呆れる」
昴の目つきがキツくなった。すぐに言い返せない自分がもどかしくて、奥歯を噛み締める。
コンタクトがずれて洗面所に行っていた棚原が戻ってきて、言い争ってる風な会話の二人の間に割って入った。
「昴、菜胡をいじめるな」
「料理と身体で気を引いて、結局は兄さんの見た目だけしか興味がない女なら今のうちにやめた方が」
菜胡はツキンと胸の痛みを覚えた。棚原がダミーの指輪をはめている理由を思い出した。見た目だけにしか興味のない女が多いから、と言っていた。自分も、昴から彼女達と同じように思われているのだろう。
「昴さんに初対面から信頼されるわけないことはわかっています。紫苑さんが色々な話をしてくれるかどうかは紫苑さんの自由です。頼んで聞かせてもらう事じゃない。そして私がいま何も知らないということは、まだそこまで信頼を寄せてもらえていないからです」
「菜胡……?」
棚原が不安そうに肩を抱いてくる。その手を握り、昴の目をまっすぐ見て続けた。
「卑屈になって言ってるんじゃありません、大丈夫です。あたりまえです、知り合ったばかりだもの。でも私は、何年何十年掛けてでも話してもらえるような関係を、紫苑さんと築いていきたい。そうなってみせる。……それじゃだめですか、紫苑さんには相応しくありませんか」
黙って聞いていた棚原が、菜胡の言葉を聞いて頷いて、昴の頭を小突いた。
「心配してくれてありがたいが、菜胡は違うんだ。初めてなんだよ、自分から好きになったのは。たぶん初恋に近い。良い歳して何言ってんだって思うだろうが……。だから、俺たちを見守っていてくれないか。ここに来るまでに色々あって、ようやくなんだ」
最後の方は菜胡と見つめ合い照れながら話していて、昴は二人から視線を逸らした。
「は、初恋って――。ここまで僕に言い返したのは菜胡さんが初めてだ。確かに、色々と違うらしい。試すような事をしてごめんなさい」
真剣に話す棚原と、まっすぐ昴を見つめる菜胡、二人を交互に見て、昴は頭を下げた。
「けど、少しでも兄さんを裏切ったら、僕が赦さない」
言い方はやや物騒だが、その顔からは敵意は感じられない。先ほどとは違う顔つきに、菜胡はいくらか胸を撫で下ろした。