夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜

 浅川は看護師になって七年になる。一年目は内科外来、二年目からは整形外科外来に勤務していた。内科外来に居た経験が活きて、整形外科でも仕事はスムーズに覚えられたし、患者に目を配ることもうまかった。診察の流れの少し先を読んで動くこともでき、外来診療は滞りなくこなしていた。

 二年目の終わり頃、看護部長が診療後の外来に来た。

「浅川、あなた四月から重症病棟ね」
「えっ」
 唐突な異動の話に驚いて声をあげた。大原は何も言わなかったからおそらく先に話を聞いていたのかもしれない。看護部長が話す間は大原は席を外していたから表情を見ることはできなかったが、引き留めてはくれなかったのだろう、何となく寂しさを感じた。

「なあに嫌なの? ステップアップにはあちこち経験した方がためになるのよ」
「病棟の誰かと交代ですか?」
 たまに、結婚した者が妊娠を機に外来に異動することがあった。だから今回もそれなのかと思ったが違った。

「新人をね、一人外来に」
 居心地の良い場所が、新人の場所になる。

 浅川だってずっと外来に居られるわけがない事はわかっていた。だが、たった二年、外来では三年で……と思うと寂しい。とはいえ、異動は避けられないものだ。組織の中にいて上からの指示に従わないわけにはいかない。わかりました、と答えるより他に無かった。

 三月の最後の週、後任の新人がやってきた。石竹菜胡と名乗った子はとても地味で野暮ったい子だった。背が低く内気な印象で、おかっぱ頭がダサく見えた。前任者という事で、新人に付きっきりで一週間、共に動いて仕事を教える役目が浅川の、外来での最後の仕事になった。

 朝八時半前に出勤してきたら、守衛で外来の鍵を受け取る。待合室の椅子の乱れをなおして廊下の電気をつける。診察室の扉を開け放って、受付から届くカルテを並べる。薬だけの人、注射だけの人、リハビリだけの人はそれぞれ専用の札があり、それを目印に仕分けをする。注射の準備を整えて、診察が始まったら診察の補助の仕方、患者との対応など細かく新人に伝え続けた。

「――だから、わかった? わからなかったらはっきり聞いて」
「今言ったことメモしなくていいの?」
「ねえ、あたしそういう風に言った?」
「これはどうするって教えた?」
 新人は声が小さくて、いつも自信なさげだった。少しおっとりもしていて引っ込み思案なところが少し苛立った。

 ――こんな子に務まるの?! やっぱりあたしじゃなきゃ……浅川を戻してって声が来るかな、来てほしい。

 菜胡に一通りの仕事を教える期間は一週間で、その最後の日、土曜の午後のことだった。

「浅川、菜胡を借りるわね」
 大原が菜胡を連れて院内を巡り出した。

「この子、あたしの新しい娘よ! 可愛がってやってね」
 意気揚々と、あちこちに声をかける大原。

 ――もー大原さんたら、あんなに言ってあたしが戻ってきた時気まずいじゃん。

 外科外来での大原の声は整形外科にも聞こえてきた。
 
 だが重症病棟へ上がって一年が経っても整形外科外来から戻ってきてほしいといった声が掛かることはなかった。掛かるわけがないのに、愚かにも浅川はそこに縋っていた。
 
 病棟は、日勤、準夜勤、深夜勤の3パターンのほか、早番、遅番がある。夕方十七時からの勤務である準夜勤のため病棟へ上がりステーションへ近づいた時、看護部長と樫井の会話が聞こえた。

「あら、樫井せんせ。石竹さんはどう?」
「良い子だよ、よくやってると思うよ。素直だし患者への対応も上手くて、診察も問題なく進めてる。浅川君が仕込んでくれたからね。菜胡ちゃんは穏やかな空気を纏ってる不思議な子だよ。お年寄りの患者さんなんて気に入っちゃってさ」
「あっはっは、それはいいわね。浅川とは正反対だものね」
「取り立てて美人ってほどでもないけど、顔立ちも可愛らしいしツボに入ったらハマってしまうような子だね」

――ベタ褒めじゃない!!!

 この頃から、菜胡への敵対心、嫉妬心のようなものが強まった。外来の仕事について何一つ質問もして来ないし、たまに外来で会っても話しかけてもこない。先輩を立てるべきでは? 浅川は傲慢になっていた。
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