夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
寮に帰れば菜胡がいる。浅川の部屋の奥に菜胡の部屋があり、どうしたって顔を合わす機会が多い。時々共同のキッチンで何かを作っている菜胡を見かけては話しかけた。
「彼氏に食べさせるの?」
「あ、おつかれさまです。彼なんて居ませんよ〜自分で食べるんです」
「食堂使えば良いじゃん? 作る手間があったら合コンとか行けば?」
「うーん、そういうのあまり得意じゃないので……」
恋愛に奥手なのだとわかった。それからは、恋愛でなら菜胡より優位に居られると、会うたびにそういう話題を振った。遊び相手の若い当直医を部屋に連れ込んで、最中の声も聴かせた。
「ごめんねえ、聞こえた?」
そう聞いても菜胡の反応は薄く、照れもせず視線も合わせず、ただ大丈夫だったとだけ返ってくる。その余裕にも苛立った。もっと照れたり謝ってきたり、色々聞いてくればいいのに。恋人が欲しいなら相談してくれれば乗ってやらない事はないし、整形外来が辛いという愚痴も聞きたい。看護部長に話して自分と交代してもらう妄想までしてるのに、菜胡は一切絡んでこようとしない。それすら腹立った。
「菜胡も部屋に連れ込んで良いんだよ」
「好きな人作ればいいのに」
「だから処女なんだよ」
これらの煽りにも菜胡は動揺も見せなかったが、整形外科に新しい医師・棚原がやってきた事でそれがわずかに揺れ出した。
棚原は見た目が非常に良い。あれを自分の男として連れて歩けば羨望の眼差しで見られるはずだし、体格も良いから身体の相性も試してみたい。
だけど、若い当直医と同じように足繁く棚原のところへ通っても、名を呼ばれるどころか眉をしかめてろくに相手にしてもらえなかった。それでも浅川は諦めず、病棟に棚原が来ると必ず隣に座ったし、整形の回診には浅川が必ず着いた。かつて整形外科外来に居た関係もあり他のナースも譲ってくれたから、樫井は浅川を指名して指示を出していた。
だが棚原は何度回診に着いても、指示を仰いでも浅川には見向きもしなかった。更には、毎週土曜の午後は棚原の姿が消える。患者の急用は無いが、土曜の午後は比較的時間に余裕があるため、交代で休憩に入らせてもらえる日もある。そんな日に医局へ行ったが居なかった。他の病棟へ行っても居る様子がない。棚原の車はある。ならば……思いつくところは整形外科外来しかなかった。
「棚原先生来てる?」
「居ませんよ」
菜胡は即答した。奥の診察机のカーテンが引かれている。あそこに居る。浅川は直感でわかった。だが菜胡が立ちはだかった。
「午前に来た患者さんが横になっている」
そう言った。絶対、棚原がそこに居るのに、と思いながら、菜胡に仕返しを試みた。
「そんなんじゃ一生、処女だよ」
焦った声が返ってきた。確信した。外来に居る。だが本当に患者だったならカーテンを開けて押し入るわけにはいかない。一旦は引いた。
それからしばらくして、菜胡のまとう空気が変わった事に気がついた。どこか余裕のような、自信のある顔つきになった気がした。決定打は、車から降りてきた菜胡を見かけた事だ。乗っていた車は棚原のもので、降りる前、二人はキスをしていた。
あの菜胡が? 美人でもない、野暮ったい子のどこがいいの? 浅川はただただ悔しかった。