夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
マンション地下の駐車場から部屋までも、菜胡を抱き上げて運んだ。ソファへそっと降ろし、何か飲むものを、と離れようとした棚原の服の一部を、菜胡が掴んて離さなかった。
「待って、もう少しだけ……ぎゅってして」
一人になる事の不安と、出来事を思い出して恐怖が離れないのだろう。怖さと心細さが入り混じった状態の菜胡を引き剥がすわけにもいかず、膝の上に乗せて抱きしめてやった。泣くわけでもなく、ただただ身体を預けてくる菜胡の頭に手を当ててやる。空いた片手で携帯をいじり、スマートスピーカーに静かなジャズを流してもらう。なるべく落ち着くような曲を選んだ。ピアノの旋律が室内に響き渡り、その音楽に合わせて、菜胡の背をトントンとさすり続けてどれくらいの時間が経っただろうか。
「……菜胡、身体が冷えちゃうから、お風呂入っておいで? その白衣も着替えてさっぱりしよ」
抱きしめていて感じる脈も呼吸も落ち着いてきた頃を見計らって入浴をすすめた。特に菜胡は白衣姿のままだ。土は払い落としてあるものの、転んだ現実をありありと思い出してしまう。早くその忌々しい装いを解いてしまいたかった。
何度も泊まりに来ているため菜胡の必要なものは全て置いてある。着替え類は巾着袋に詰めた状態で寝室にあるクローゼットに仕舞ってあり、それを持ってきて、手を繋いで風呂まで連れて行った。
「一人で入れるな? 心配なら俺も一緒に入るけど」
「へいき。このガーゼ、取っちゃっても」
「ああ、上がったら消毒してやるから濡れてもいいよ。ゆっくりあったまっておいで」
菜胡が風呂に入っている間、棚原は大原に電話を掛けた。
「夜分に申し訳ありません、棚原です」
『先生聞いたわよ! 菜胡はどうしてるの?』
受話器から聞こえる大原の声が大き過ぎて、思わず耳から遠ざける。菜胡は自分の家に連れ帰ってきていること、落ち着いてきたから風呂に入らせている事を話した。続けて、何が起きたのかをわかっている限りで伝えた。
『どうして菜胡が――』
それは棚原も知りたいことだった。菜胡は誰かに恨まれるような子ではないからだ。明日日曜の様子次第になるが、と付け加えた上で、月曜は休ませたい事も告げた。
『そうね、そうしてちょうだい……外来のほうは何とでもなるから。こずえちゃんにでも来てもらうわ。心配しないで。それと、明日、あたし浅川のところへ行ってみようと思うのよ』
「彼女がやはり関わってるんでしょうか」
『わからない。それを確かめなくちゃ』
「すみません、お休みのところを」
『それから先生と菜胡の関係も聞いたわ』
「大原さんにはちゃんと報告したかったけど――」
『婚約っていうのはどういうことなの』
「あ、それは……」
自分が女性不信だったこと、女性避け目的でダミーの指輪をしていたこと、菜胡に一目惚れして自分からアプローチしたことを話し、婚約の話は、奴に不倫だろうと大きな声で言われたから咄嗟に吐いた嘘だと話した。
「だけど僕は嘘にする気は無くて、いずれって思っています。だからダミーの指輪の片割れは菜胡に渡してあって」
『そういうことだったのね、わかったわ。菜胡が最近良い顔するようになったのは先生のお陰だったのね』
パタン、と扉の開く音がして、菜胡が風呂から戻ってきた。
「菜胡が出てきました、代わりましょうか」
菜胡に電話を渡す。
「大原さんだよ、心配してくれてる。話せる?」
こくん、と頷いて、棚原から電話を受け取った。
「おっ大原さん――」
電話を耳に当てたまま嗚咽を漏らす菜胡を、後ろから抱きしめる。
『大変だったわね、いま痛いところはないのね? いつも土曜は一人にしてごめんね』
「どこも痛いことはなくて――」
『また電話ちょうだい? 元気な声を聞かせて。それじゃあね、電話切るわ。先生に甘えてゆっくり休むのよ』