夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜
7
月曜日、いつもより早く外来へ顔を出した樫井は棚原を引き連れていた。
「おはよう」
嬉しそうな樫井の声に、大原と菜胡も応える。
「じゃーん、今日から新しい整形の先生が来てくれました、棚原くんだよ。僕の友人が務める大学病院に居て、今回話に乗ってくれたんだ、よろしくね」
紹介された棚原は、白衣の下にシャツを着ていて、えんじ色のネクタイを締めていた。長かった前髪を整髪料で上になでつけていて、土曜とは雰囲気が違う様子に、菜湖は少しだけドキッとした。
初日という事もあるのか緊張しているようにも見えた。一見するとタレ目は優しそうに見えるが、背も高く逞しい身体付きがそれを否定するかのように堂々としている。
――本物のお医者さんみたい……あんな事が無ければ、心から歓迎できたのに!
棚原を見てキスを思い出してしまった自分が嫌だった。初対面でされたキスが忘れられないなんて、思いもしなかった。その棚原と目が合った気がして、ふい、とそらしてしまった。
「あらー、先生よりいい男じゃないの。大原さち絵です、中学生の息子がいます、どうぞよろしく」
手を差し出して軽く握手する。菜胡も、おずおずと手を差し出した。
「い、石竹菜胡です、よろしくお願いします」
ニッと笑みを浮かべて、菜胡の手を取った棚原。指先を軽く握られ、背中をさすってくれたあの温もりを思い出してカァッと顔が熱くなる。その変化に気がついたのか、棚原はわずかに指先に力を込め、そして離れた。
「今日は初日だし、棚原くんは新規の患者さんを診てもらおうかな。どれくらいくるかわかんないけど」
外来診療が開始するのは午前九時で、まだ少し時間はある。それまでに一通り、外来の説明を樫井が行う。
「土曜も少し見たって言ってたからわかるかな」
「あら、土曜にきてたの? 菜胡は会ってないの?」
大原が、気がつかなくていいところに気がついてしまった。こういう時の大原は面倒くさい。色々と聞き出されたらボロが出てしまうと焦った菜胡は、棚原が何か言う前に先手を打とうと口を開いた。
「外科でお茶に呼ばれている間に来られたようで、私はお会いしてないんです。戻ってきたら机に伝票が置いてあったから、樫井先生が来られたのかと思っていました」
ニコッと棚原に向けて笑む。
「あ、ああ、誰も居なかったけどお邪魔したんだよ。伝票は戻し忘れたかも、すまない」
それから樫井は説明を続ける。
「処方箋もここ。スタンプはここにあるのだけ。欲しいものは言って、買ってもらうから。それからうちで使ってる薬品はここ。これも使いたい薬品があったら僕と院長に申請してもらう必要があるけど、大抵は入れてもらえるから気楽に相談して」
休憩用のお菓子やコーヒーセットを仕舞っている棚の説明も抜かりなく行った。食べたい茶菓子や飲み物は持ち込んでいい事になっていて、その管理は菜胡だと紹介もされた。だから欲しいものがあれば菜胡に言えばいいし、置きたい菓子があったら渡せばいい、と。
「へえ、わりと自由なんですね」
「そうだね、僕がこんな感じだから緩いよね。大学病院とは規模が違うから驚いたんじゃない? 古い病院だから不便かもしれないけど良いところだよ。看護師さん達もよくやってくれてる」
「そうですね、気に入りました」
言葉の後半は菜胡を見て言った。
「あ、そうそう、カルテはここに置かれるから、上から呼んでもらうよ」
「マイクじゃないんすね、彼女達が呼ぶんですか」
「そうなの、大原さんは声が大きいし、菜胡ちゃんはお年寄りに人気だから、どっちみち皆、言うこと聞いてくれる」
なるほどと棚原が笑った。その笑顔に視線がいってしまう。
「よし、じゃあそろそろ始めるか。よろしくお願いします。わからないところは都度聞いてね」
棚原は、樫井の説明を真面目な顔で聞いている。ふと気を緩めると、菜胡の脳裏には土曜の出来事が甦る。やや薄めの唇が、重なって…きて…と、気もそぞろになってしまう。落ち着いた様子の棚原を睨みながら、心の中は揺れまくっていた。
――なんであの人あんなに平気なの……こっちは笑顔を保つのが精一杯なのに……