例えば今日、世界から春が消えても。
それが既にこの環境に馴染んでいたのか、それとも僕が余りにも周りに興味が無いからなのか分からないけれど、今の今までその存在にすら気付かなかった。


「あ、はい」


「あと、和田君は部活には入っていないよね?」


飯野さんーと呼んで良いのだろうかーが人と机の間をすり抜けてこちらに向かって来るのを視界の端に捉えながら、僕は曖昧に頷く。


「なら今日の放課後、彼女に校舎案内をしてくれる?何処に何があるか、校舎を回って大まかに説明してくれるだけで良いから」


そんなの、校舎内にある地図を見れば分かる事じゃん。

と言いたくなったものの、それをぐっと堪えた僕は、分かりました、と頷いた。


微笑んで頷いた担任は、そのままの流れでHRへと場の空気を切り替える。



「…和田君、だよね?」


またもや外の雨に濡れた景色を見ようとしていた矢先、右隣から太陽の如く明るい声が聞こえて、僕は弾かれた様に首を回した。


そこには、小さな背丈には似合わない大きなリュックを机の横に掛け、もみじ饅頭の様に可愛らしい手で長過ぎるワイシャツの袖を捲る飯野さんの姿があった。


女性の美とされる黒髪は肩より少し上の部分の長さで、前髪は眉の辺りで切り揃えられている。


「あの、隣の席だし、これからよろしくね」


そう言ってはにかむ様に控えめに笑う彼女に、僕の目は釘付けになる。
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