例えば今日、世界から春が消えても。
思わず大声でその名を呼ぶと、


「え…?」


空耳かと思ったのか、不思議そうに首を捻った彼女がゆっくりと首を回した。


いくら距離があろうと、彼女の目が驚きに見開かれた事くらい簡単に分かる。


「どうしたのーっ?」


両手をメガホンのように口元に近付けた彼女は、走行車にも負けない勢いの大声で叫ぶ。


果たして、今朝まで元気のなかった彼女のどこにそんな余力が残っていたのだろうか。


「さくらーっ!僕っ、」


通行人の事なんて全く気にならなかった。


僕の目には、僕に生きる理由を与えてくれたさくらしか映っていないのだから。


希望だけは、捨ててはいけない。


大和から言われた言葉を思い出し、すーっ、と大きく息を吸って目を閉じた僕は、



「僕はーっ、さくらのことがーっ!好きだー!」



ありったけの大声で、全ての想いを声にのせた。



その瞬間、涼しげな風が僕の頬を撫でたのが感じられた。


「……」


そっと目を開けると、辺りの景色は先程と何ら変わりがなくて。


絶えず車は通っているし、最後の瞬間まで街に光を与えようと手を伸ばす太陽もそのままだ。


でも、歩道橋の上に立つ偽物の”彼女”はいつの間にか手を下ろして僕の方を見つめたまま、微動だにしなかった。


もしかして、聞こえなかったのかな。

それって、僕の人生最大の黒歴史になる気がするのだが…。
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