例えば今日、世界から春が消えても。
「だから“嘘でもいい”って書いたのに…、」


彼女が僕の前でわんわん咽び泣いている理由は悲しいからか、それとも嬉しいからか。


「…さくら、」


僕は、雨に打たれた後のように震え続けるさくらの肩を抱き寄せ、思い切り抱き締める。


「確かに、悲しくなるかもしれないけど。…それでも僕は、君が好きなんだ」



5歳の時、家族を事故で亡くした。


家族との最後の思い出は未だによく思い出せないけれど、僕が彼らを愛していた事は、今でもはっきりと覚えているから。


「例え君が死んだとしても、僕の中から、この気持ちは消えないよ」


僕の目から落ちた1粒の涙が、地面に歪な染みを作った。


「でも…私、冬真君から春を盗んだ。冬真君の事、殺したっ、…」


「そんなの関係ないし、君は僕を殺してない。あれはただの言葉のあやだよ」


再びしゃくり上げたさくらの背中を擦る手に力を込めながら、僕は反射的に口にする。


春が無くなったせいで、確かに僕の心は死んだけれど、

彼女が春の美しさを教えてくれたから、僕の奥底に眠る何かが息を吹き返したんだ。


「今僕が必要なのは春じゃなくて、君だから」


お願いだ、この想いがどうか彼女に伝わってくれ。


僕の願いが届いたのか否か、鼻を啜ったさくらは顔を上げ、その潤んだ瞳に僕の顔を映した。
< 142 / 231 >

この作品をシェア

pagetop