例えば今日、世界から春が消えても。
壊れてしまいそうなその腕はほんのりと温かくて、彼女が命を懸命に燃やし続けている事が伝わってくる。


「……てね、」


その時。


さくらの口が動き、声にならない声を漏らしたんだ。


「えっ?」


その言葉を惜しくも聞き取る事が出来なかった僕は、彼女の顔の近くまで身を乗り出した。


何を、言おうとしたのだろう。


僕の手をすり抜けた握力の無い手が、酸素マスクを掴む。


ほんの数ミリだけ動いたマスクの隙間から、ぷくりと膨らんだピンク色の唇が姿を現した。


僕は、機械音に掻き消されそうに小さな声を聞き逃すまいと、さくらの口元に耳を寄せた。



「…しぬ、とき、……いてね」



たった7文字の、短い文章。


でも、今度こそ、ちゃんと聞こえた。


“死ぬ時、居てね”


「っ……、」


吐息混じりのその声は、僕の涙腺を包囲していたダムをいとも簡単に崩壊させる。


目を見ればきっと分かったはずなのに、それでも。


彼女は、何としてでも自分の口で伝えたかったんだ。


「さく、ら…」


ああ、いつから僕はこんなに涙脆くなったんだ。


力を失った彼女の手の代わりに酸素マスクをつけ直した僕は、さくらの目尻を流れる涙を親指で拭い取る。


「僕は、君の彼氏だよ…?君の誕生日は、ずっと傍に居るに決まってるよ」


17歳の誕生日に、彼女は帰らぬ人となる。
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