例えば今日、世界から春が消えても。
その後、黙々と包帯を巻き続ける飯野さんと僕の間に短い沈黙が流れた。


何かを言わなければいけないと思うのだけれど、今の出来事を目撃したせいで僕の脳みそは上手く作動していないみたいだった。


何で、そうまでしないと血が止まらないのか。

意識して唇を縫い付けておかないと、その質問が口から飛び出しそうで。


僕が右腕の傷跡について聞かれるのを嫌っているように、彼女もこの手の質問は聞かれたくないかもしれない。


と、そんな事を悶々と考えていると。



「…和田君」


彼女の掠れた声が、僕の鼓膜を震わせた。


「ん?」


目線を上げると、いつの間にか包帯を巻き終えた彼女の目と僕の目がかちりと結びつく。


「昨日…私が泣き止んだら、和田君が何でも言う事聞いてくれるってエマちゃんが言ってくれた事、覚えてる?」


「うん」


急に昨日の話題を出されて驚いたものの、エマの出した無茶な提案は覚えている。


「じゃあ、」


包帯の上から膝を手で押さえた飯野さんが、ごくりと唾を飲み込んだのが分かった。


「これから私が言う事も聞いて欲しいんだけど、良い…?」


時間が無いの、と続ける彼女の目はゆらゆらと揺れていて、そこに映る僕は海草のようにぐねぐねと動いていた。


何だか分からないまま、僕はこくりと頷く。



「あのね、和田君」
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