例えば今日、世界から春が消えても。
遂に、彼女の瞳から堪えきれなくなった涙が零れ落ちた。


「私が、『春は要らないから、あと10年生きたい』って願ったから…だから、こんな事に、」


「でも、まだそうと決まったわけじゃ」


澄んだ涙を流す飯野さんとは対照的に、僕は笑みを浮かべていた。


でも多分それは、脳がこの状況を受け入れていなくて、自分を守る為のものだったのだと思う。


「だから、この間も言ったでしょう?」


そんな僕を見た彼女は、泣き笑いを浮かべて口を開いた。


「自分の事くらい自分で分かる、って。現に今、日本の春がどんなだったかを覚えてるのは私しか居ないんだから」



「…でも」


彼女に意見しようとして口を開いたものの、

僕はすぐに、ぎゅっと唇を引き結んだ。


何故なら、飯野さんの瞳が海よりも空よりも澄んでいたから。


…彼女の話は信じられない部分もあるけれど、僕は確かに、彼女の血が止まらない瞬間を目撃した。


それに、彼女がそこまで自信を持って言い切るのなら、信じるしかない気がするんだ。



「分かった」


「っ…?」


僕が頷いたのを見た飯野さんは、目を最大限まで見開いた。


「信じるよ。君が“春を盗んだ”話」


この前抱いた言葉に言い表せない感情は、全て棚に上げて。


今は、彼女の話を理解する事の方が大切だから。
< 63 / 231 >

この作品をシェア

pagetop