例えば今日、世界から春が消えても。
例え自分が生き続ける為だとしても、幸せの塊のような彼女をこれ以上騙すのは、僕の中に微かに残った良心が許さなかった。


その事実が今更ながら悔やまれて、

「ごめん…ありがとう」

腕の痛みが消えたのを確認した僕は、涙目になりながら彼女と目を合わせて微笑んだ。



「ううん。もう、痛くない?」


僅かに口角を上げた彼女は、心配そうに小首を傾げて尋ねてきた。


僕の表情から何かを察したのか、彼女はそれ以上踏み込んで聞いて来ない。


エマや大和に傷がばれた時は、わざわざカフェに呼び出されて根掘り葉掘り全てを聞き出されたのに。



でも、

「この傷…」

今回ばかりは、自分から伝えなければいけないと思った。


彼女は僕を信頼して、“春を盗んだ”というにわかには信じ難い事を話してくれた。


軽蔑されるかもしれないし、この関係も切れるかもしれない。


それでも、次は、僕の番だ。



「うん」


僕が勇気を出して話そうとしている事に気付いた彼女は、僕の目を真っ直ぐに見て微笑みかけてくれる。


それだけで、涙が出そうになる程に深く、安心した。




「5歳の頃に、事故に遭ったんだ。家族と、花見から帰る途中の事だった」


そして遂に、僕は口を開いた。


1度話し始めると、言葉が次から次へと溢れて止まらなくて。
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