破れた恋に、火をつけて。〜元彼とライバルな氷の騎士が「誰よりも、貴女のことを愛している」と傷心の私に付け込んでくる〜
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 王都からそれほど距離が離れていない海辺の街ヘルセンの空気は、水分を含んで重たく湿っていて潮の香りがした。

 私はこのヘルセンへは初めて訪れたのだけれど、早朝に出発して夕方には一行は到着することが出来た。ある従者の話を小耳に挟んだところ、警護上の問題で高級宿屋を貸し切りにすることになるらしい。宿屋の中は関係者以外立ち入り禁止で毒見役も何人か連れてきている。さすがは、王太子殿下。圧倒的な権力とは、かくも恐ろしいもの。

 一介の伯爵令嬢でしかない私は、完全に近い将来に王太子妃となるラウィーニアのおまけだ。

 海は近いし、私には別に狙われる理由も見当たらない。警護を頼む必要もないかと考えて、一人で宿屋の前にある白い砂浜へと向かった。きっと贅沢な部屋からは、美しいこの景色が一望出来るんだと思う。

 砂浜を歩くにはとても向いているとは言えない踵の高い靴を履いたままでは、歩き難く重たい。靴を脱いで、裸足になって足を進めれば海岸の乾いた白い砂はさくさくと良い音を立てた。

 青い海の向こうには、小さな鳥が何羽か飛んでいる。止まり木もないのに、疲れた時はどうするのかなと良くわからない心配をしてしまった。

 正式に婚約を済ませたコンスタンス様とラウィーニアの二人は何日間かをこの街でゆっくりと過ごした後に、何もかもを定められた多忙な日常に戻るみたい。ゆっくりとして、寛いで欲しい。

 自慢の従姉妹であるラウィーニアには、良いところが沢山ある。真っ直ぐな黒髪は美しくて目を引く美人だし、誰もが唸るようなお洒落なセンスの持ち主で、何より抜群に頭が良い。でも、私が彼女の中で一番凄いなと思っていたのは、どんな困難にも諦めない努力家なところだ。

 ラウィーニアは初恋をした王子様のために、来る日も来る日も勉強漬けだった。年の近い従姉妹だった私は、彼女の努力をずっと近くで見ていた。誰もが遊びたい盛りに、良く我慢して聞き分けよく厳しい家庭教師の言う通りにしていたと思う。

 頭の良い彼女は、きっと幼い頃から正確に状況を理解していた。自分達二人がお互いに好き同士なだけでは……血筋や感情という頼りない理由では、コンスタンス様の一存では自分を選べないとわかっていた。

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