お嬢様、今宵は私の腕の中で。
「でもわたし、一度だけ聞いたことがある気がするんだよね……」
昔、九重がどこか別の場所に行ってしまうと知って泣きじゃくるわたしに、九重が自分の名前を言ってくれた気がするのだ。
気がするだけだから、思い過ごしだと言ってしまえばそれまでだけど。
肝心な名前は未だ思い出せない。
うーんと考え込んでいると。
「すず様。お客様がおいでです」
コンコンとノックの後に、使用人の声が聞こえてきた。
誰だろう。
不思議に思って首を傾げていると。
「お邪魔しまーす!」
とびきり明るい声が聞こえてきた。
まだ顔は見えていなくとも、その声で確信する。
「晶さん!」
呼びかければ、ドアからひょっこりと顔がのぞいて、ポニーテールの晶さんが現れた。
「こんにちは……って、今来ちゃダメだった感じ?」
八重歯をのぞかせる晶さんは、お姉ちゃんの姿を見て目を丸くした。
「ごめんっ、勝手に。お客さん?」
どうやらお姉ちゃんを来訪者だと勘違いしたらしい晶さんは、ぺこっと頭を下げて部屋を出ていこうとする。