私の彼氏は幽霊になった。
愛してるから、さようなら
「はぁ...はぁ...」
喉から血の味がする気がする。苦しい。
辺りはすっかり日が暮れてしまって、月が暗闇を穏やかに照らしている。
夜に学校に来るのは初めてで、ちょっと怖い。
「もう閉まってるのか...」
すっかり忘れてた。
でも今日は、ごめんなさい。
警備員さんにバレないように、なんとか塀をよじ登り侵入成功。
学校はサボるし勝手に侵入するし、今日の私は本当にどうかしてる。
それでも、今日はやるしかないんだ。
月の明かりを頼りに、一階の奥を目指す。
ガラガラガラ...
遠慮がちに中へ入ると、相変わらず薬品や湿布の香りがする。
そして優斗と再会した時に寝ていたベッドに辿り着き、ゆっくり寝転んでみる。
ここであの日、久しぶりに優斗の声を聞いた。
ここに来るのは、その日ぶり。
優斗が戻ってきたら一瞬で保健室通い卒業って、なんて私は単純なんだろう。
戻りたい。
ねえ、会いたい。
ここで目を瞑っていたら、また会いに来てくれますか。
スーッと頬を涙が伝うのが分かる。
また泣いちゃった。
あぁもう、このまま今日が終わっちゃったら。
次はきっと、ない。
「優斗を探さなきゃっ」
ガバッ
「び、びっくりした...」
....嘘。
「あ、あれ...もしかしてまた見えてる?」
言葉が出ない。とりあえずコクン、と頷く。
「ありゃー...もう会わないつもりだったのに。俺ダメだなぁ」
「久しぶり、夕夏」
ベッドの横でしゃがんで、私にニコリと笑いかける優斗がいた。
「っ優斗!」
スルッ
...なんで?痛い。
優斗に飛びついたはずの私は、なぜか床に膝を強打した。
触れられなかった。
「夕夏!?大丈夫!?...ごめん、俺もう成仏する時間とっくに過ぎてて。もう姿を維持するのが精一杯なんだ」
「ほら、透けてるでしょ?」
そう言われてよく見ると、優斗がいるはずなのに奥の薬品棚が薄っすら見えた。
「本当にもう、行っちゃうの?」
「...うん」
制限時間は残りわずか。最後に何を伝えればいい?
言いたいことが沢山あったはずなのに、いざとなると出てこない。
「優斗ごめんね。私、自分の事ばっかりで。一人で辛かったよね」
「俺の方こそ、急に消えてごめん。...ギリギリまで一緒に居たら、離れられなくなると思って」
「それに自惚れたこというけど...夕夏、俺のこと好きでしょ?」
セリフとは裏腹に少し様子を伺い気味なのが可笑しくて、愛おしい。
「もちろん。好きだよ。大好き」
「っ...照れるなぁ。だからこそ、早く忘れてほしかったんだよ。そしたら、次の恋に進めるだろうし」
そう言って、月明かりが差し込む空を窓から眺める。
私はその後ろ姿を、ただ見つめることしかできない。
好きな人に忘れられるなんて、そんな辛いことを優斗は望んでた。
優斗が私を大切に思ってくれていることが痛いくらい伝わってくる。
それなのに私は陽たちと遊んで、本当に少しづつだけど優斗のこと考えなくなってた。
このまま忘れていって楽になれるなら、って。
「優斗、ごめんなさい...」
「...えーなにが?とにかく、謝らなくていいから。陽に聞いたんだよね、俺が会いに行ったこと」
「うん、」
「ちゃんと守ってもらえた?」
「うん。沢山遊びに連れてってくれた」
「そっか、なんかあったら陽に頼りな?あいつは夕夏のこと大切にしてくれるから」
やめて。
そんなこと話したいんじゃない。
「私、優斗がいい。だから今、そんな話はしたくないよ」
「あは、嬉しいけど...だってもう俺は、」「そういうことじゃなくてっ!」
心なしかさっきより眩しくなった月明かりが、優斗を照らす。
照らされた瞳はユラユラ、キラキラ揺れてる。
「優斗はどうなの?優斗の気持ちは...?」
あぁどうして今、貴方を抱きしめることができないのか。
今、貴方に触れられないのが悔しくてたまらない。
「...じゃあ夕夏、こっち来て」
その言葉に従って近づくと、ふわりと涼しいなにかに覆われている感覚になった。
抱きしめられているはずなのに、温度はない。
「このまま聞いて。顔見られるのは恥ずかしいから」
「うん、分かった」
抱きしめ返そうとした手は、空気を撫でただけだった。
「俺だって、消えたくないよ。夕夏が好きだし、友達も家族も好きだし」
「陽に夕夏を任せるのだって...本当は、嫌なんだ」
優斗の声は、震えていた。
「だって俺が夕夏の彼氏だもん。当然でしょ?俺が守りたい、そばに居たい。...守りたかった」
"...守りたかった"
過去形って、こんなに寂しいものなんだね。
「...あーあ、言っちゃった。ずっと我慢してたのに、夕夏のせいだからね?...聞いてる?」
「ふふ、...聞いてるよ」
「姿だってそう。段々コントロールの仕方が分かるようになって、途中から誰にも見えないようにしてたんだ」
”そしたら早く忘れてもらえると思って”
そう続けた優斗の声は、優しくて儚い。
「だから、あの日夕夏に追いかけられて焦った。なんで見えるんだって。さっきもそうだね」
「...でも今思えば、見つけてほしかったのかもしれない。夕夏にだけは、俺を忘れてほしくなかったのかも」
あの日いたのは、やっぱり優斗だったんだ。
そしてゆっくり体が離れると、二人の目が合う。
「優斗の目って綺麗だね。宇宙みたい」
「もう、泣きながら何言ってんの」
そう言って涙を拭ってくれたはずなのに、涙は頬を伝って、そのまま落ちていった。
時間が迫っているのを、お互いに感じた。
「どうしよう。何を言えば後悔しないのか、分かんない」
「あは、同じく。...とにかく俺は、夕夏が最後の彼女で幸せだったよ。ありがとう」
このお別れ感満載の雰囲気が、嫌でたまらない。
「うっ...私も優斗と付き合えて本当に良かった...楽しかったっ」
「っ...また聞いちゃうけど夕夏、俺のこと、好き?」
優斗の目から、宇宙が零れる。
目の前にいるだけで、こんなに愛おしい。
「好き、愛してる。...優斗は?」
「俺も、だーい好き。愛してるよ」
”だから、別れよっか”
優斗が去った保健室は、妙に涼しくて広く感じた。
消える直前にお互いに伸ばした手は、一瞬触れ合ったような気がした。
「最後に聞いていい?」
「優斗はどうして戻ってきたの?この世に未練とかあったら無事に成仏できないって杏珠が...」
「えー分かんない?夕夏のことに決まってんじゃん」
私ってば愛され過ぎだね。
優斗、愛してくれてありがとう。
この史上最高に残酷な決断は、優斗が私を思ってのものだから。
だから今どんなに苦しくても、いつか乗り越えてみせる。
いつかこの傷が癒えたら、また会いに行くね。
空気を目一杯吸い込むと、相変わらずの薬品の香り。
この香りも全部、思い出の一部になる日が来ますように。
「またね」
ガラガラガラ
そう言って私は、保健室のドアを閉めた。
Fin. 私の彼氏は幽霊になった