自信過剰な院長は既成事実を作る気満々で迫ってくるんですぅ
 助手席に見覚えのある長傘。丁寧にたたまれているから鍵盤と音符は見えない。
 でも色合いと露先のフリルを見ると確実に大樋さんの傘。

 昨日は朝から雨で今日の午後まで降っていた。隼人院長は昨夜も出掛けて行った。相手は大樋さんなの?
 
 今日もいつもと変わらず優しく接してくれたし、クリスマスツリーの飾り付けも楽しかった。
 なのに裏では何日も二人は密会していた。

 大樋さん、旦那さんがいるのにこういうこと出来ちゃう人だったんだ。 

 外見も清楚な感じで真面目で不倫する人には見えない。そういう人にかぎって不倫するものなの?
 
 この傘はわざと忘れて行って私に対する宣戦布告、当て付けなの?  
 隼人院長は傘に気付かなかったの? 男の人って、こういうの鈍感なの?
 
 嫌いよ、大嫌い! 二人なんか大嫌い! 大好きな二人だったのに大嫌いよ!

 大好きな二人? こんなことで隼人院長のことを好きになっていた自分の気持ちに気付くなんて皮肉だね。

 あまりのショックに涙も出ないしひとごとみたいな感覚。

 もう隼人院長の家になんか戻りたくない。裏切られて騙されて誰が戻るもんか。
 思いのたけを綴ったメモをワイパーにはさんで後にした。

 ユリちゃんは夜勤で居ないし、どうしたらいいの。

 ひとまず、ここには二度と近寄りたくない。思いっきり駅まで走り抜けて電車に飛び乗った。

 そうだ! ひとりいるじゃない、とっても頼りになる人が。
 今夜は泊めてもらおう。これからのことは明日から考えれば良い。

 ひとつ電車を乗り換えるとビルに囲まれた景色とは一変した。
 
 辺りは土の香りがする風通しの良い寒々とした暗闇に包まれ、防犯よけの目にも痛い明るい光が一面を照らした。

「相変わらず、広い畑なんだ」
 元気かな、急ぐ足元は音符みたいに弾んでドアを開けた。

「お爺ちゃん、会いたかった」

 靴を脱ぐと、広い玄関には数多くの大きな絵画や大きな花瓶に生けられた色とりどりの花が飾られ、長い廊下を走り抜けるとリビングの揺り椅子にお爺ちゃんが座っていた。

「お爺ちゃん、ただいま!」
「よく来たね、元気だったかい?」
「元気だよ、お爺ちゃんも元気そうで良かった」
「夕食は、まだだね。爺ちゃんが作ったのを食べるかい?」
 ジーンズにネルシャツを着ていたお爺ちゃんが立ち上がり、腕まくりをした。
「うん!」  

 まずは三年前に亡くなったお婆ちゃんに手を合わせた。

 ふさふさな髪の毛を短くカットし、口ひげをたくわえたお爺ちゃんは、見た目より若々しく六十代には見えない。

 隠居するには若すぎないか聞いたことがある。そうしたら、発展のために後進に道を譲るって言っていた。
< 85 / 93 >

この作品をシェア

pagetop