とある教員の恋愛事情

7月26日


「はい、じゃあもう一度同じ所から。入りは優しく
 ――ワン、ツー、」

 夏休みが始まり1週間。ここ丘山中学校の音楽室では、吹奏楽部顧問の中原若葉が指揮棒を振っていた。

 丘山中学校、略して丘中《おかちゅう》。
 吹奏楽部には17人の女子部員と2人の男子部員が所属している。2週間後に迫った夏の大会の目標は、昨年の銅賞以上である。

「ありがとうございました!」

 予定通り11時半に切り上げ、生徒達はそれぞれ楽器を片付ける。
「あ、サッカー部練習試合かな?」
「えー、愛音の彼氏いるんじゃん?どこどこ?」
「やめてよーっ!」

 3階にある音楽室からはグラウンドがよく見える。
 きゃっきゃと楽しそうな生徒達に、10以上も年上の若葉はちょっとした敗北感を感じる。

 ――ああ、中学生にも恋愛負けてるわ、わたし。

 若葉はこの4月に丘中に異動してきた。教員になって6年目。いまや教員の多忙さは事あるごとに報道されているが、若葉も例に漏れず、平日は少なくとも12時間は学校にいるし、土日のどちらかも部活指導で出勤。恋愛なんてしばらくしていない。

 それでも辞めたいと思わないのは、やはりこの仕事が好きなんだと思う。心身ともに成長途中の子ども達と関わり、彼らがたくましくなっていく姿を間近で見ているのは、何とも言えない喜びがある。

「中原先生、さようなら!」

 最後までいた3年生2人組を見送り、音楽室の鍵をしめる。

 職員室に向かいながら、
 お昼は何を食べよう…コンビニかな、田中屋までお弁当買いに行こうか……などと考えながら職員室に入ると、なにやら慌てた様子の松永先生が入ってきた。


「あ、中原先生、お疲れ様です。あの……申し訳ないんですがちょっと頼まれてもらえませんか。」
「え?」



 
 ……ぐぅーと若葉のお腹が鳴る。
 ここは保健室。若葉はベッドに横たわる男子生徒を見ているよう、松永に頼まれたのだ。松永はサッカー部の顧問だ。この生徒はサッカー部員で、先程の練習試合の後で熱中症になってしまったらしい。今は状態も落ち着き、保護者のお迎え待ちだ。


「本当にすみません。俺は他の部員を帰さないといけないし、副顧問の富樫先生は午後から大事な出張があるらしく…」
「大丈夫ですよ、気にしないでください」
 
 夏休み中は、教員の出勤もまばらだ。勤務日こそカレンダー通りだが、皆、普段取れない休みをここぞとばかりに入れる。会議や研修がない今日みたいな日は、職員室もがら空きで、他に頼めそうな人がいなかった。

 しばらくすると母親がお迎えに来て、男子生徒は帰っていった。

「あーあ、お腹すきすぎちゃったな…」

 呟きながら職員室に戻ろうと立ち上がると、松永が入ってきた。

「中原先生、すみませんでした!お迎え、来ました?」
「あ、はい、先ほどお母さんいらっしゃいました」
「そうですか。本当に助かりました。」
「いえ……」

 ぐううぅ――

「……っ!」


 若葉のお腹が盛大に鳴った。


「……すみませ…恥ずかしい…」
 若葉はお腹を押さえて俯いた。

「昼、持ってきてます?無かったら食べに行きません?」


 
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