大嫌いの先にあるもの
「く、くろ」

黒須と呼ぼうとした瞬間、いきなり抱きしめられた。甘いコロンの香りと、黒須のやや乱れた息遣いを感じながら、胸の奥がギュッと掴まれる。

抱きしめられている場所はキャンパスの奥にある銀杏並木のそば。
まだ銀杏は緑のままで木に茂っている。

さらにその奥にはサークルの部室が入っているサークル棟がある。2限の講義が終わって昼休みに入ると、この辺りはいつも学生たちでいっぱいだった。

学生たちが来る前に早く離れないと。
そう思うのに、声が出ない。

背中に回った黒須の腕が思いのほか強かったから、離れたくないと思ってしまう。

だけど、離れなきゃ。

「黒須、人が来る」
「僕は構わないけど」

掠れた声が拒むように響いた。

「私は困る」
「どうして?」
「わかるでしょ?目立ちたくないの」

黒い瞳がじっとこっちを見て、フッと笑うように細くなった。

「人目のつかない所に行く?」

その言葉にドキっとした。黒須と2人きりになる事が少し怖い。でも、断ったら嫌われそうで頷いた。

「……うん」
「じゃあ」と言って、黒須が左耳に唇を近づけ「僕の研究室においで」と囁いた。カァッと体が熱くなる。あまりにもセクシーな声だったから。

「先に行ってるよ」

私から離れると、黒須は背を向けて歩き出した。

研究室……。
まさかそんな所に誘われるとは思わなかった。
まだ黒須の研究室には行った事がない。行ってみたいと思った事は何度もあったから場所は知っている。

教務課が入っている棟の隣のビルだ。
行けば黒須と2人きりになる。そしたら昨夜みたいな事になるかも。

どうしよう……。
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