大嫌いの先にあるもの
教壇の前に戻った黒須は、ハキハキとした声で説明を続ける。

「プロスペクト理論とは行動経済学の理論で、利益や損失に対する意志決定をモデル化したものです。この理論からわかるのは、人は利益を得る事よりも損を回避する傾向にあるという事です。さっきの質問を考えてみましょう」

黒須がまた檀上を離れて、教室内をゆったりと歩き始める。
今度は私の席とは反対側の方に行ったので良かった。
もう指されたくない。

「実は最初の問題も、二番目の問題もABどちらの選択肢も期待値は同じ50万円になるんです。でも、絶対に50万円をあげるという選択肢を出されれば、半分の確率で百万円がもらえる可能性があるという不確実な選択肢を捨てる傾向にあるのです」

「そして、二番目の問題は50万円に損失を限定するよりも、半分の確率で払わなくてもいいという不確実な選択肢を選んでしまう。
面白いですよね。利益は不確実な選択肢より低くなっても確実な方を選択して、損失は倍になるリスクがあっても不確実な選択肢を選んでしまう。どうしてそうなると思うますか?」

どうしてだろう?
黒須の話に引き込まれる。他の学生たちもだ。

「利益を追求する事よりも、損をしたくないと思う気持ちが強いからです。だから皆さんは最初の質問では絶対にもらえる50万円を選択し、二番目の質問では100万円を払うリスクがあっても、半分の確率で払わなくていいという選択を選んでしまうのです」

なるほど。確かに損はしたくない。そう思って選んだ。

「そして人は利益を得る事よりも損失を取り戻そうとする気持ちの方が強いんです。50万円損するとその二倍の百万円を儲けないと精神的ダメージが埋まらないんです。損失の精神的ダメージは大きいんですね。それで痛い目に会う人が多い。僕もウォール街にいた頃は金融取引をしながら、嫌って言う程この心理を味わいました」

教室中から笑いが起こる。
やっぱり黒須の講義は面白い。

「単純に言えば、人間は喜びを感じるよりも、嫌な感情を感じる方が強いって事です。そういう心の仕組みになってるんです。みなさん、嫌な感情に囚われないように気をつけて下さい。今日はここで終わります」

嫌な感情の方が強く感じる……。
その言葉が妙に心にひっかかる。
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