王太子殿下、「『戦利品』のおまえは妻として愛する価値はない」と宣言されるのですね。承知しました。わたしも今後の態度を改めさせていただきます
図書室にて
「いいかげんにしろ。あれからどれだけ経っているというのだ」
「申し訳ございません。ですが、さる人物が一度会っております。その際、『エリという下女を知っているか』ときかれたらしいのです。もしかすると、そのエリという下女ならば知っているかもしれません」
はいいいいい?
ちょちょちょっ、いきなり?
わたしのこと言ってるの?
驚いた瞬間、手に持ちかけていた本が書棚から落ちそうになった。間一髪、とっさにつかんだ。
フーッ。ヤバかったわね。
「侍女ならば知っているかと噂を流しておりますが、知っている者がおりません」
「どれだけ失態を重ねれば気がすむのだ。それで、襲撃者を見たという奴は?見つかったのか?」
いまにもイライラが爆発しそうな声音は、押し殺してはいるもののかなり恫喝的である。
ちょっと待ってよ。もしかして、いまの襲撃者ってあの黒ずくめの襲撃者たちのこと?
だとしたら「襲撃者を見た奴」って、それもわたしのことじゃない。
勘弁してよ。
「それが、殴られたショックで記憶が曖昧でして……。女かもしれないし、女っぽい男かもしれないと、その程度くらいしか覚えておりません」
お、女っぽい男ですって?
このわたしが女っぽい男って……。
あの男、もう一度ショベルで頭をぶっ飛ばしてやりたいわ。
だけど、あの男は間違いなく生きているのね。
記憶に関しては残念すぎるけど。
「とにかく時間がない。早急に捜しだせ。どちらもな」
「善処いたします」
「善処だあ?見つからなければ、死を以て償ってもらう。覚悟せよ」
「そ、そんな……。そもそも、あなたがこのような……」
「なんだと?」
「あ、いえ……」
言い争いをはじめた。
手に持っている本はそっと床に置き、ソロソロと移動をはじめた。
声に覚えはあるような気がするが、なにせここで名前と顔と声音が一致するほど男性と接してはいない。
執事ですら、一言の返事か二語か三語からなる文くらいしか声をきいていない。
顔を見てみたい。
書棚に隠れつつ、そっと進む。
図書室の扉が開く音がきこえてきた。
間に合わないわ。
ちょうど廊下をワゴンが通りすぎて行く大きな音がしている。
だから、思いきって走った。
二人は、ちょうど扉から出て行くところだ。
扉を開けて場所を譲っている小太りで「頭てっぺん禿げ」の男は、こちらに背を向けているので顔がわからない。だけど、もう一人の横顔はバッチリ見えた。
そして、扉が閉じられた。
静寂が戻ってきた。
本を置いた奥の通路に戻りつつ、いま自分が見た顔についてかんがえてみた。
正直、なにがなにやらわからない。
だけど、自分がとんでもないことに足を突っ込んでいることは嫌でも自覚している。
いいえ。体全体どっぷりつかってしまっている。
たった一度しか会ったことのない顔。
その一度も、わずか以下の間だった。だから、顔はほぼほぼ忘れてしまっている。それでも、美しすぎるから記憶の片隅でぼやーっと残っている。
おそらくいまの横顔は、わたしの夫であるはずのものだった。
ついさっき図書室から出て行ったのは、初夜を迎えるはずのタイミングで「愛していない。これは契約婚にすぎない」みたいなことを平気で言ってのけた、王太子レオナール・ロランだった。
「申し訳ございません。ですが、さる人物が一度会っております。その際、『エリという下女を知っているか』ときかれたらしいのです。もしかすると、そのエリという下女ならば知っているかもしれません」
はいいいいい?
ちょちょちょっ、いきなり?
わたしのこと言ってるの?
驚いた瞬間、手に持ちかけていた本が書棚から落ちそうになった。間一髪、とっさにつかんだ。
フーッ。ヤバかったわね。
「侍女ならば知っているかと噂を流しておりますが、知っている者がおりません」
「どれだけ失態を重ねれば気がすむのだ。それで、襲撃者を見たという奴は?見つかったのか?」
いまにもイライラが爆発しそうな声音は、押し殺してはいるもののかなり恫喝的である。
ちょっと待ってよ。もしかして、いまの襲撃者ってあの黒ずくめの襲撃者たちのこと?
だとしたら「襲撃者を見た奴」って、それもわたしのことじゃない。
勘弁してよ。
「それが、殴られたショックで記憶が曖昧でして……。女かもしれないし、女っぽい男かもしれないと、その程度くらいしか覚えておりません」
お、女っぽい男ですって?
このわたしが女っぽい男って……。
あの男、もう一度ショベルで頭をぶっ飛ばしてやりたいわ。
だけど、あの男は間違いなく生きているのね。
記憶に関しては残念すぎるけど。
「とにかく時間がない。早急に捜しだせ。どちらもな」
「善処いたします」
「善処だあ?見つからなければ、死を以て償ってもらう。覚悟せよ」
「そ、そんな……。そもそも、あなたがこのような……」
「なんだと?」
「あ、いえ……」
言い争いをはじめた。
手に持っている本はそっと床に置き、ソロソロと移動をはじめた。
声に覚えはあるような気がするが、なにせここで名前と顔と声音が一致するほど男性と接してはいない。
執事ですら、一言の返事か二語か三語からなる文くらいしか声をきいていない。
顔を見てみたい。
書棚に隠れつつ、そっと進む。
図書室の扉が開く音がきこえてきた。
間に合わないわ。
ちょうど廊下をワゴンが通りすぎて行く大きな音がしている。
だから、思いきって走った。
二人は、ちょうど扉から出て行くところだ。
扉を開けて場所を譲っている小太りで「頭てっぺん禿げ」の男は、こちらに背を向けているので顔がわからない。だけど、もう一人の横顔はバッチリ見えた。
そして、扉が閉じられた。
静寂が戻ってきた。
本を置いた奥の通路に戻りつつ、いま自分が見た顔についてかんがえてみた。
正直、なにがなにやらわからない。
だけど、自分がとんでもないことに足を突っ込んでいることは嫌でも自覚している。
いいえ。体全体どっぷりつかってしまっている。
たった一度しか会ったことのない顔。
その一度も、わずか以下の間だった。だから、顔はほぼほぼ忘れてしまっている。それでも、美しすぎるから記憶の片隅でぼやーっと残っている。
おそらくいまの横顔は、わたしの夫であるはずのものだった。
ついさっき図書室から出て行ったのは、初夜を迎えるはずのタイミングで「愛していない。これは契約婚にすぎない」みたいなことを平気で言ってのけた、王太子レオナール・ロランだった。