FOOLという名のBAR

第11夜 What's New

「連チャンでまたここに来てしまったわ。私も愚か者達への仲間入りかしら」

 私がいつものように最初の一杯、Angel Bloodを飲み干した時、カウベルが鳴って登場したのは・・・
「What's New?」
 夏生は颯爽と手を上げて入って来た。
「エンジェル?久しぶりだね」
「って、ウインクされても引かないのはあなたのおどけた笑顔がとてもチャーミングだから。ハード・ボイルドな道化師さん」
 夏生は私の左隣のスツールに腰掛けた。
「僕は、道化師かい?」
「うん、ぴったりだね、夏生には。いつも回りを和ませてくれるから」
 と言ってユウコが夏生におしぼりを渡す。
 軽く息をつく夏生・・・何か変?
私の二杯目はオレンジジュース、何かちょっと恥ずかしい。私は何気なくグラスを手で覆った。
「どうしたんだい?元気ないね、夏生」
ユウコは夏生のウィスキーの水割りを用意しながら聞く。そして私に視線を向けた
私は微かに頷いた。さすがはユウコ、夏生の様子がいつもと違うことにすぐに気がついたようだ。
 一瞬の沈黙・・・
救いのようにマリアのピアノ・・・

♪ What's New

相変わらず、完璧な選曲だ。
「この曲の詩って凄く切ないんだよね?知っているかい?エンジェル」
「えっ?ごめんなさい。『ご機嫌いかが?』しか知らないです・・・」
 私はちょっと恥ずかしいという顔をした。
「別れた恋人達が再会して、『どうしていましたか?』で始まり、世間話をしてまた別れるのだけど、最後に想う言葉は、『まだあなたを愛している・・・』なんだよ」
 と言った夏生の笑顔は優しくて悲しい。

「あなたの笑顔が切ない。優しくて悲しいから、それを切ないって言うのだと想う」
 私は思ったことをそのまま言葉にしてしまった。心に浮かんだことをそのまま口にしてしまって戸惑う私っていじらしい。
「エンジェルはまるで詩人だね」
「お願い、ジョークにしないで・・・私、今日はちょっとセンチメンタル?」
 夏生に聴こえないように私はささやいた。しっかりユウコは気が付いて私に微笑みかけた。だけど夏生は全く気がつかない。

「転勤するんだよ、アメリカに」
 夏生はグラスを振って氷を鳴らす。
「夏生の会社、確か外資系でアメリカってことは栄転なんじゃなかったかい?」
と言ってユウコがグラスを合わせる。
私も慌ててグラスを上げる。
「ありがとう」
「そのブルーな顔は春香ちゃんにはまだ話してない・・・ってことかい?」
 とユウコが眉を寄せる。
「春香は今、恋人がいるから・・・」
「でも・・・二人は」
「そう、ママ、僕達は恋人になったことさえない・・・ただの幼馴染さ」
「でも・・・好きなんでしょう?春香さんを」
 私は慌てて口を塞いだ。「あぁ・・・なんてでしゃばりなの、私」
 私は自分の戸惑いに翻弄されていた。
「エンジェル?笑ってくれよ、大の大人が恥ずかしいよな」
 私は大きく首を振る。
「純粋なだけ・・・だよ」
 と私は呟いた。

♪ What's New
 ピアノにボリュームが付いているなら大きくして欲しい。

 そして・・・
カウベルが鳴って春香が現れた。
「お待たせ、夏生。逢いたくて、待ちくたびれちゃったでしょう?」
私が思わず唇を噛むほど、今夜も春香は綺麗だった。
「あら、エンジェル?久しぶり」
私は会釈してグラスを掲げた。
「最近、毎日のように酔っ払って帰って来るらしいじゃないか?おふくろさんが心配していたぞ」
 と、夏生は春香のグラスを用意しながら言った。
「面倒くさいわね、幼なじみって。何でも筒抜けで・・・」
 春香は夏生が作った水割りを一口含んだ。
「美味しい、あなたが作る水割りはいつも美味しいわ」
フッと笑みを返す夏生。
 唇を噛むしか出来ない私はふと視線を上げた。
 ユウコの視線とぶつかってしまった。ママの視線は私の心の中まで入ってきそう。
 きっと今の私の瞳は切なさの極み。切なさ全開の歌が聴きたいって突然想ってしまった。

「春香、俺の水割りは愛情って言うリキュールが入っているから特別なんだ」
「ねぇ、そんな歯が浮くようなことを言って恥ずかしいって感情ないの?」
 と春香は否定する。
「愛くるしいだろ?俺って」
「生き苦しいの!」
 と言いながらも楽しそうな春香。
 俯くだけの私・・・
シェーカーの振られる音・・・で、ようやく顔を上げる私。
 ユウコがカクテルグラスに注ぐのはもちろん、

 Angel Blood

「綺麗な色ね、そのカクテル」
 春香が視線を向けた。
「Angel Blood・・・と言うカクテルよ」
 私はカクテルをかざす。自分の悲しい瞳を隠すように。
「エンジェル専用のカクテルかい?」
と夏生。
「俺も欲しいなぁ・・・オリジナル・カクテル」
「厚かましいの!」
「えっ?愛くるしい?」
「だから、生き苦しいの!」
二人の楽しそうな会話。
私は唇を噛む代わりに、Angel Bloodを一息に飲み干す。
「なんていじらしいの、私!」
なんで私、すぐに言葉にしちゃうの。そう、私は純粋だからよ。

♪ What's New
「彼氏とケンカでもして毎日、自棄酒あおっているのか?春香」
「彼氏じゃないの!前にも言ったでしょう」
「だってラヴラヴな写メ送って来ただろ?」
「会社の飲み会で勝手に撮られたから、夏生に見せて上げただけでしょう」
「いつも食事に行っているだろ?」
「同僚達、皆でね!二人じゃないの!」
「デート相手じゃないの?」
「デートって。遊びに行ったらデートならね!じゃ、今、こうして夏生と一緒にいるのはデートじゃないの?」
「何か怒っているのか?」
「私が酔っ払って帰ることを夏生が知っているように、私にも夏生の情報は入って来るのよ!」
「まっ、幼馴染だからなぁ」
「そうよ!だから何でも知っているのよ!」
 春香はグラスを呷る。
「お代わりを作って夏生!」
慌てて水割りを作る夏生の横顔を見て、夏生は鈍感なのだと気づいた。
それは私にとっては、切なさのボルテージは高まるばかりってことだ。
 水割りを作って春香の前に置く夏生に一瞥をくれてグラスを呷る春香。
「美味しい!なんで夏生が作る水割りは美味しいの!」
「だからそれはさ・・・」
「私に惚れているからでしょう!」
「うん、ああ、そう」
「反則!」
「何が?」
「さりげなく言い過ぎるの!」
「分け、分からん」
「肩を竦める夏生の間抜けさに胸がキュンとなる私って間違いなくキュートだと思わない?ママ?」
 私は言葉にすることで自分らしさを取り戻そうとしているのか・・・

「私の同僚が単身でアメリカに転勤になって三年もしたら倍くらいに太って帰って来たわ!」
「なんだ?そりゃ」
「ハンバーガーのひとつとっても食べきれない量があるの!夏生のようなずぼらな人間が単身赴任したら成人病の固まりになって帰って来るだけなのよ!」
「えっ?なんでアメリカ赴任の話を知っているんだ?」
「知っているわよ、幼馴染なのだから。夏生のお母さんが心配して私に相談するのよ」
「そうだったのか?なんだ、知っていたか・・・」
 私とユウコも呆れて頭を振っている。
「それでだ、話を戻すと・・・え〜と・・・お前が酔っ払いなって俺に絡むのは・・・」
「アメリカ赴任の話をいつまでたっても私に言わないから!」
「えっ?そうなん?なんで?」
「馬鹿じゃあないの!」
と私と春香が同時に叫んだ。
 タジタジの夏生がチャーミングで私の切なさのボルテージはレッドゾーンに突入した。
「私が夏生の食生活の管理をしなきゃダメってことよ!」
とうとう春香に言わせてしまった。
夏生は呆然とたたずむだけ
「それって・・・もしかして」
「春香さんは夏生が好きなの!馬鹿ね、ハード・ボイルドな道化師さん!」
 私は我慢出来ずに言ってしまった。
「エンジェル・・・あなたは・・・」
 春香の視線に私は目を合わせない。
春香に気づかれた、私の夏生への淡い想い。
私の切なさのボルテージはレッドゾーンを振り切った。
夏生が振り返る。
春香が来てから初めて私を見た。

「ずっといたのに、私のことなど見向きもしなかったのに、今更、私を見ないで。誰か助けて!」
 私の心が叫んでいた。
♪ ピアノ・・・
 切ない旋律から始まり、ドーンと

♪ Silent Jealousy(サイレント・ジェラシー)

 愛切なメロディを刻むロック・スピリッツが胸に響く
「あっこの曲、懐かしい、X Japanだ」
と夏生。
「ありがとう、マリアさん」
と春香が呟くのが聴こえた。
「行くわよ、道化師失格ね」
 と言って、春香は夏生の襟を後ろから掴んだ。
 ひょい と立ち上がる夏生。
 春香の優しさが痛い。
私は唇を噛むだけ。春香はそれで分かってくれたはず。

♪ Silent Jealousy

 愛切なロック・スピリッツが胸に響く夜だ。
カウベルが鳴って二人はドアの外に消えた。

ユウコは、ドライジン、PASSOA、フレッシュライムジュースそれぞれ20mlをシェイクし、氷を入れたロング・グラスに注ぎ、トニック・ウォーターでグラスアップ。アンゴスチュラビターズを氷の上にフロート。
「LOST・・・」
私は一口飲む。 酸味の中に仄かな苦味と微かな甘味・・・
「なんてシャープな味。切なさの味覚。きっと、こんな味なんだ。ねぇ・・ママ、ジェラシーって悲しくて苦しくて・・・悔しいね、でも・・・」
「でも?」
「でも・・・あの二人・・・いい! 悲しいくらい絵になっているよ」
「エンジェル?大人になったね」

♪  Silent Jealousy

「今夜、涙をこらえると肩が震えるんだって、私・・・気がついたの」
私は、“LOST・・・” を傾ける。
「効くぅ、まるでロック・スピリッツみたいなカクテル。これが、大人の味!って、わけね」

 すると、曲が戻った

♪  What's New

 切ない恋心を心に秘めて、さり気ない会話が出来る大人な女になりたい。マリアはそんな女になりなさいと私にこの曲を弾いてくれているに違いない。マリアのピアノは心を映す。

   ♪♪それじゃあ、さよなら
    ♪♪あれこれ聞いてごめんなさい
     ♪♪もちろん、あなたは知るわけもないけど
      ♪♪私が今でもあなたを愛しているなんて

 ジャズが似合う女、私ってやっぱりハード・ボイルドな女。
 私は、Lostを飲み干した。


 カウベルが鳴った。
「誰かが来たわ。いけない!こんなセンチメンタルな私を見ないで!」
「よう、エンジェル。黄昏ている場合じゃないぜぇ」
「げっ、純爺!」
 ヒョコヒョコと歩いて私の隣のスツールに飛び乗るように純爺が腰掛けた。
「街中の愚か者が騒いでいるぜぇ」
「何があったんだい?」
 ユウコは怪訝な顔をする。
 純爺が飲むのはいつも泡盛だ。
 “龍”ってボトル、が用意された。渋過ぎる純爺。
「渋い、ボトル!それよりもさっきのセリフ・・・街中の愚か者が騒いでいるって!?純爺、なんてハード・ボイルドな展開なの!」
 純爺は私を見てニヤリと笑う。
 純爺は古本屋をやっている。でも、それは表向き、純爺は、なんと!ハード・ボイルドには欠かせない、“情報屋”なのだ。
「エンジェル、もういいのか?黄昏の乙女の演技は?」
「それを引き摺りながらもクールに生きるのがハード・ボイルドな女・・・なのよ」
「妙な野郎が街に紛れ込んで来たんだ」
 純爺は定番な演技で息を潜める。
 ユウコと私が耳を傾ける。
 マリアまでもがスツールに腰掛けた。
「マラエ・ランガを探しているんだ、マラエ・ランガのピアニストを知らないかと」
 ユウコもマリアにも緊張が走る。
「ママもマリアさんもどうしたの!これはただ事ではない!でも、私、分からない。ねぇ・・・マラエ・ランガって何?」
「太平洋に沈んだ伝説の楽園の名前だ、わしの古本屋に来い、エンジェル、詳しい本が揃っておるよ」
「純爺!この緊張感を台無しにしちゃう気なの?楽園伝説じゃハード・ボイルドにならないでしょうに!」
「この街にあった、マラエ・ランガなら・・・」
 ユウコがソロリと言葉を挟んだ。そして続ける。
「欲望という名の海に沈んだよ」
 と言った。

「ハード・ボイルドだわ、ママ。全身からハード・ボイルドなオーラが解き放っているわ!完璧な女」

 ここは、FOOLという名のBAR
 愚か者が静かに酔い潰れるための店

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