お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!
「パレマキリアには、半日しか停泊しないから、荷物を下ろして、補給したら即出航する手はずになってる。ゆっくり停泊するのは、エクソシアの港ってことで、船長とも話しがついているから、エクソシアの港に入ったら、二、三日停泊するだろうから、俺が姫さんにエクソシアを案内する。デロスとはかなり違うから驚くこともあるだろうけど、きっと、楽しめると思うぜ」
 アイリーンは涙を拭いながら、カルヴァドスの言葉に耳を傾けた。
「なあ、姫さん。大切なこと、俺、まだ言ってなかったかも知れない」
 カルヴァドスの『大切なこと』という言葉に、アイリーンはゆっくりと上体を起こした。
「そんな、無理して起きなくて良いのに・・・・・・」
 カルヴァドスは心配げに言うと、アイリーンの額から落ちたタオルを手に取った。
「大切なことを聞くのに、寝ていては失礼ですから」
 カルヴァドスはアイリーンの身分にとらわれない、誰にでも公平に接するところがとても好きだった。
 大海の北斗七星号に乗船して三週間、アイリーンは一緒の船に乗るクルー全員に公平に接した。若い者にも年寄りにも、船長にも。そして、年長者や船長には、自分の方が圧倒的に身分が高いのに、敬意を払って接したし、誰に対しても丁寧語か敬語を必ず使った。
 恋人のフリをしているカルヴァドスに対しても、いつも丁寧語か敬語だから、カルヴァドスにとっては、それは少し不満だった。
 カルヴァドスには、そんな腰の低い王族が居るなんて正直信じられなかった。いくらデロスが小さな島国とは言え、貴族はそれなりに威張っているし、王族は威厳を持って国民の前に王族然として立ち振る舞っていた。
 ましてや、アイリーンは姫巫女。神に仕える巫女の長の一人であり、荘厳な儀式を執り行う姿は女神が降臨したかのように神々しかった。そのアイリーンが時には平民の若者と並んでバケツを運んだり、キッチンでは料理の下拵えを手伝ったり、食後はお皿を下げるのすら自分でしようとする。
 そんな王族がこの世界にいるなんて、カルヴァドスは衝撃を受けると共に、ますますアイリーンのことを愛しく想う様になっていった。

「具合大丈夫か? 起きあがって、本当に平気か?」
「はい。冷たいタオルのおかげで、随分良くなりました。ありがとうございます」
 アイリーンは柔らかな笑顔でカルヴァドスを見つめた。
「大切なお話があるんですよね?」
「あ、ああ・・・・・・」
 改まられると、カルヴァドスは気恥ずかしくて言葉が咽につかえて出てこなくなってしまった。

(・・・・・・・・もしかしたら、やっぱり、こうしてカルヴァドスさんの部屋に間借りしているのがご迷惑なのかも知れない。もしそうなら、パレマキリアでは降りられないけれど、エクソシアの港に着いたら船を降りよう。そしてエクソシアからは、客船に載ってタリアレーナに向かおう。カルヴァドスさんの話では、次に寄るのはエクソシアとパレマキリアの国境近くの港で、少し行けばエクソシアの港に入ると。この船より客船は足が遅いから、タリアレーナに着くのが遅くなるかも知れないけれど、これ以上、カルヴァドスさんには迷惑をかけられないから、私から船を降りると言おう。きっと、カルヴァドスさんは、私のことを心配して、言い出せないんだわ。私が頼りなくて、何も出来ないから。キッチンの手伝いは、水を使いすぎるし。野菜を剥くと、食べるところが無くなると叱られるし。掃除は水の入ったバケツが重すぎて運べなくて、空のバケツしか運べない上、ブラシ掛けは力が足りなくて汚れが落ちないと言われてしまったし。唯一、自信のあったお針は、ボタン付けは良いとして、繕いものは刺繍じゃダメだと言われてしまったし。この船で、私に出来る事は何もない。働かせて欲しいと頼んだのに、結局何も出来ない。なんて私は世間知らずだったんだろう。自分が船で働ける何て考えていたなんて。きっと、フレドには分かっていたんだわ。だから、絶対にムリだって言って止めてくれた。これ以上、カルヴァドスさんには迷惑をかけたくない。私に出来ることは、航海の安全を海の女神様にお祈りすることだけ。そんな私が船に乗せて貰うのは、分不相応だわ・・・・・・・・)

 アイリーンは考えると、カルヴァドスが口を開く前に自分から降りると申し出ることにした。
「あの、私・・・・・・」
「ん? どうした、姫さん。なんか、急に深刻そうな顔してるけど・・・・・・」
「私、エクソシアの港で船を降ります」
 ハンマーで殴られたような衝撃がカルヴァドスを襲った。

(・・・・・・・・えっ? 何でそうなるんだ? 俺がさっき言ったのは、船を降りてデートしようって事で、姫さんに船を降りて欲しいなんて一言も言ってないのに。なんでだ、どこでどう話が食い違ったんだ? えっ? まさか、降りようって言ったのを勘違いした? いや、流石にそれはないだろ・・・・・・・・)

「えっ? 姫さん、それは一体どういう・・・・・・」
 動揺するカルヴァドスに、アイリーンは静かに言葉を継いだ。
「働かせて欲しいとお願いして船に乗せていただいたのに、私には結局何も出来なくて、ただのお荷物だってよく分かったんです。だから、エクソシアの港に着いたら、船を降りて分相応な客船に乗り換えます。ちゃんとお金を払って、タリアレーナまで。本来そうするべきだったようにします」
 アイリーンは静かな声で言った。
「ちょっとまった。姫さんは、この船に俺の恋人として乗ってるんだ。もともと、働くことは条件じゃないぜ」
 カルヴァドスは慌てて否定した。
「それは、カルヴァドスさんには、最初から分かっていたからでしょう? 私には働くなんて不可能だって」
「それは・・・・・・」
 カルヴァドスは口籠もった。
「私は、そんなことも気付かずに、ずっとカルヴァドスさんの好意に甘えて、おんぶにだっこで・・・・・・。だから、これ以上、カルヴァドスさんにご迷惑をかけないように、船を降ります。カルヴァドスさんも、本当はその話をするつもりだったのでしょう? 大切な話って・・・・・・」
 アイリーンは一人で話を進めて、一人で話を締めくくった。
「はぁ?」
 そんなアイリーンに、カルヴァドスは素っ頓狂な声をあげた。

(・・・・・・・・なんで、どこをどうしたら楽しいデートをしようって話が、別れ話になるんだ? ん? 本当はつき合ってないから別れ話じゃないか。いや、でも、船の奴らには恋人って紹介したんだから、姫さんが船を降りるってことは、やっぱ別れ話だよな。なんで、大切な話が、別れ話になるんだよ!・・・・・・・・)

「姫さん、俺は姫さんと別れるつもりはない!」
 やっとの事でカルヴァドスは別れ話を否定した。
「カルヴァドスさん、私達はフリで、本当にお付き合いしているわけでは・・・・・・」
「分かってる。でも、船の連中から見たら、姫さんが船を降りれば、俺は姫さんに捨てられたってことになる」
「えっ?」
 想定していなかったカルヴァドスの言葉に、アイリーンは戸惑いを隠せなかった。
「そんじょそこらの女にフラれたんなら、噂にもならねーが、姫さんみたいなピカイチの美人にフラれたら、俺は船中の笑いもんだ」 
「そんな・・・・・・」
 アイリーンは困惑して俯いた。
「姫さんには、ちゃんとタリアレーナまで、一緒に行ってもらわねぇと、俺のメンツが丸潰れになる」
「・・・・・・私は、てっきり大切な話って、役に立たない私が船に乗っているのは迷惑だから、降りて欲しいというお話だと思ったので。カルヴァドスさんの顔を潰すような事をするつもりはないんです」
 アイリーンはギュッと拳を握りしめて言った。
「なら、別れ話はなしな? 姫さんは、タリアレーナまで俺と一緒に行く。それで良いな?」
 そこまで言ってから、カルヴァドスはふと考えた。

(・・・・・・・・もしかして、姫さん、この船の乗り心地が悪いから降りたいのか? 足は速いけど、客船じゃないから乗り心地は悪いし、ベッドは俺と一緒で更に狭いし寝心地も悪い。それが嫌で降りたいのか? なら、俺も降りて、客船に乗ればいい・・・・・・・・)

「もしかして姫さん、この船の乗り心地が悪いから、客船に乗り換えたいのか?」
 カルヴァドスの的をはずれた問いに、アイリーンはキョトンとした。
「いえ、そんなことは全くありません。皆さん、とても親切で、優しくしてくださいますし、とても楽しく暮らさせていただいています。でも、カルヴァドスさんには、プライバシーもないですし、ベッドも私が半分占領してしまって寝苦しいかと・・・・・・」
 アイリーンの言葉に、カルヴァドスはホッと胸をなで下ろした。
「あのさ、姫さん。好きな女と毎晩同衾出来るんだぜ。それをベッドが狭いとか、文句言う男がいると思うか?」
 改めて『同衾』と言われると、アイリーンは婚約者のいる身で、自分が酷く淫らな行為を行っているようなやましさを感じた。

(・・・・・・・・私、どうかしてる。フレドとだって・・・・・・。あ、小さい頃にお兄様と三人で昼寝をしたことはあったかも・・・・・・。いいえ、でも、婚約してからは、一度だってそんな事したこと無かったのに。婚約者でもないカルヴァドスさんと、私は毎日、同衾してたんだわ・・・・・・・・)

「あっ、俺、余計なこと言っちまったかな・・・・・・」
 カルヴァドスは『同衾』という言葉をつかったことを後悔した。
「まあ、俺と姫さんは、背中合わせだから、ベッドをシェアしてるだけで、深い意味は無いけど・・・・・・」
 必死にカルヴァドスはフォローしたがアイリーンは俯いたままだった。
「なあ、姫さん。そんなに、婚約者に後ろめたいか?」
 カルヴァドスの問いに、アイリーンは頭を横に振った。
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