お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!
 操舵室に戻ったカルヴァドスは、半ば夢見心地で水平線を見つめた。
「アニキ! 手紙の代筆、お願いできませんか?」
 操舵室に顔を出した若いクルーの言葉に、カルヴァドスは返事をせずに水平線を見つめていた。
「アニキ? アニキ!」
 何度読んでも返事をしないカルヴァドスに、若いクルーはとうとうカルヴァドスの腕をつかんで体を揺さぶった。
「なんだ、どうした?」
 我に返ったカルヴァドスは、驚いたように問いかけた。
「だから、手紙の代筆ですよ。明後日にはパレマキリアに入港するじゃないですか! だから、手紙、手紙を出したいんですよ!」
 ニコニコと微笑みながら言う若いクルーは、既に成人しているが、博打(ばくち)と恋愛、それに会話は出来ても、文字の読み書きはほとんど出来ない。

 理由は、パレマキリアに征服された小さな国の生まれで、戦争のせいで幼い頃に親を亡くし、孤児院とは名ばかりで子供を虐待するのが趣味の変態集団の集まりをたらいまわしにされた挙句、毎日暴行を受ける死と隣り合わせの毎日から逃げ出し、港に集まったホームレスの仲間に入り、日雇いの荷運びの仕事をしながら雨風をしのげる連れ込み宿屋街の路地で暮らし、やっとの思いで船乗りになったのだから、文字の読み書きができるはずもなく、計算すらおぼつかない。そのせいで、ずいぶん幼いころは給金をごまかされていたらしいと、カルヴァドスが若いクルーにさりげなく勉強を教えてやるように指示を出してから気付いたようだった。
 幼い子供の給金の上前をはねるような雇い主の事を悪く言うのが普通だが、このクルーは大人の半分も働けない子供にもちゃんと給金を払ってくれた雇い主に今も感謝をしている。そんなまっすぐで素直なところがカルヴァドスは気に入っていた。

「代筆? またか? お前、デロスに入港する前も代筆頼んだじゃないか!」
 そう言ったカルヴァドスに、若者はにまにまと笑いながら答えた。
「だってアニキ、恋人ができたんですよ、オレ! だから、彼女に手紙書きたいんですよ。当分、エイゼンシュタインにはいかれないんですから、せめてせっせと手紙くらい送らないと、逃げられちゃうじゃないですか!」
 若いクルーは当然だと言わんばかりに言った。
 相手が玄人なら断るところだが、港に近い食堂で働く普通の娘だと聞いているので、カルヴァドスは港に入港する度に手紙の代筆をさせられていた。
「お前、それなら文字を学べよ。代筆なんて、そのうちバレるぞ」
 いつまで船乗りを続けられるか分からないカルヴァドスは、思いついたように言った。
「でも、誰に習えばいいんです? アニキは忙しいし、アンドレさんはスパルタすぎて命がいくらあっても足りないでから」
 若いクルーは子供のように口をとがらせた。
「それなら、姫さんに習えばいい。姫さんは、貴族の生まれだし、お城で働いてたくらいだから、当然、読み書きは出来るぞ」
 カルヴァドスの言葉に、若いクルーはジッとカルヴァドスの事を見つめた。
「アニキ、俺が姫さんと一緒に居ても良いんですか?」
 若いクルーは信じられないといった様子で問いかけた。
「お前だけじゃなく、文字を学びたい奴、みんなで習えばいい。姫さんも仕事が出来れば少しは気持ちが落ち着くから」
 カルヴァドスの言葉の意味が理解できず、若いクルーが首を傾げた。
「仕事らしい仕事ができず、ただ乗り状態になってるのを気に病んでるんですか?」
 若いクルーの代わりに操舵手が問いかけた。
「ああ、姫さん俺と違ってまじめだから。ボタン付けくらいしか出来ないことをかなり気に悩んでるんだ」
「じゃあ、俺、皆に声かけてきます!」
 若いクルーは言うと、嬉しそうに操舵室から走り出ていった。
「アニキ、宜しいんですか? お姫様に、他の男を近付けたりして・・・・・・」
 操舵手の問いに、カルヴァドスは首を傾げた。
「ん? 何か問題あるか?」
「いや、アニキが嫌でなければ宜しいんですが・・・・・・」
 操舵手は言葉に詰まって頭を掻いた。
 アイリーンの事を下にも置かないもてなしをし、他の男を近づけたくないばかりに、自ら給仕の真似事までするカルヴァドスが、歳の近い若いクルーがアイリーンのそばに寄るのを快く許すとは、操舵手からすれば信じられない発言だった。
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