お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!
 一日も早く独りで歩けるようになりたいというウィリアムの意向で、カトリーヌは廊下の反対側から見守るだけという約束をさせられ、ウィリアムの歩行練習に付き合っていた。
 窓からは穏やかな温かい風が吹き込み、あの雪の降った夜が夢のようだった。
 一往復歩き終わり、ウィリアムが一歩窓に近付き外を見ると、裏口近くの食用のバラ園でアイリーンが派手な髪の色の男と逢っていた。一瞬ウィリアムは目の錯覚かと思ったが、男はアイリーンを抱きしめていた。
 アイリーンが何か言う声がして、男はすぐにアイリーンから離れたが、二人の雰囲気から、それが初めてではないことは遠目にも理解できた。もし、それが初めてで突然のことなら、アイリーンに動揺が見られるはずだし、驚いて悲鳴の一つは上げるはずだ。しかし、アイリーンの様子は、決して嫌というのではなく、あくまでも周りを気にしての事だとウィリアムには見て取れた。
 『姫さん』とアイリーンを呼ぶ声が、風に乗って二階の廊下で立ち尽くすウィリアムの耳にまで聞こえてきた。

 背の高いバラに阻まれ男の顔は見えず、派手なオレンジ色の髪だけが男が確かにそこにいることを示していた。親しげにアイリーンを『姫さん』と呼ぶその男こそがアイリーンの恋人だと、ウィリアムは男の直感で確信した。

(・・・・・・・・今、確かにあの男はアイリを『姫』と呼んだ。空耳か? いや、確かに気安く『姫さん』とアイリのことを呼んでいた。まさかアイリは、自分の正体を男に明かしたのか? 行きずりの恋の相手に、あのアイリが? まさか! 恋は盲目といわれるが、あのアイリがそこまで骨抜きにされ、色恋に目が眩んだというのか? 何と言うことだ。姫巫女としてだけでなく、デロスの王女としても信じられないほどの堕落ぶりだ。気ままな旅で王女としての自覚をなくしたのか?・・・・・・・・)

 考えているだけで、ウィリアムは腸が煮えくり返るような怒りを覚え、痛む右手の拳を力いっぱいに握りしめた。
「コパル!」
 意図せず、いつもよりも厳しい声が出てしまい、驚いたコパルが階下から猛スピードで階段を駆け上がってきた。
「ジョージ様、いかがなさいましたか?」
 息を切らしながら問うコパルに、ウィリアムは背を向けて自分の部屋へと戻りながら命令を下した。
「コパル、妹を私の部屋へ。それからカトリーヌ、急いで部屋に戻りたいので肩を貸してくれ」
 呼ばれたカトリーヌは、侯爵家の廊下を走っていいものかと思案しながら急いでウィリアムの元まで行くと、肩を貸してウィリアムを部屋へと連れて行った。


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