お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!
 看板は緑色で、金の飾り文字で『緑の妖精』と書かれていた。
 今まで足を踏み入れた酒場とは違い、空気を入れ換えるために窓が少し開けられていた。

(・・・・・・・・あの方が仰ることが事実なら、これが最後のチャンス。これを逃したら、もう、お兄様を探しにタリアレーナに行くことは諦めないといけないかもしれない・・・・・・・・)

 アイリーンはギュッと拳を握り、大きく深呼吸した。

(・・・・・・・・土下座してでも、船に乗せて貰わなくちゃ!・・・・・・・・)

 ゆっくりと店の扉を開けると、バターと魚の焼ける美味しそうな匂いが漂ってきた。
 多少、煙草の紫煙が煙ってはいたが、視界は悪くなく、テーブルについている客の殆どはナイフとフォークを使って食事をしていた。
 店の中を見回すと、右手奥の方で揺れる孔雀の羽が見えた。
「お一人様でいらっしゃいますか?」
 ウェイターに声をかけられ、アイリーンは飛び上がりそうに驚いた。
「お客様? 大丈夫でいらっしゃいますか?」
 丁寧なウェイターの物腰に、アイリーンはホッと胸をなで下ろしたい気持ちになった。
「あの、ごめんなさい。食事に来たのではなくて、奥の席にいらっしゃる船長にお目にかかりに来たの」
 アイリーンが答えると、ウェイターは『左様でございますか、では、奥へどうぞ』と言ってアイリーン奥へと進ませてくれた。
 ゆっくりとテーブルに歩み寄ると、教えられたとおりの派手な帽子をかぶり『海の女神への愛は不滅』と言う刺青が腕に書かれていた。
 恰幅の良い船長は、今までのむさ苦しい男達とは違い、しっかりと襟付きのシャツを着てナイフとフォークで舌平目のムニエルを食べ、白ワインを上品に味わっていた。
「あの、お食事中申し訳ありません」
 アイリーンが声をかけると、船長はアイリーンの方を向いた。
「食事の邪魔をされるのは好きじゃない。せっかくのムニエルが冷えるからな」
 船長は言うと、再びムニエルに取りかかった。
「あの、本当に申し訳ありません。でも、船長にお願いがあって参りました」
 アイリーンは諦めずに声をかけた。
「なら、食事が終わるまで座って待ってろ」
 船長はアイリーンの方を見ようともせず、ムニエルを楽しみながら言った。
「では、失礼致します」
 アイリーンは一声かけると、船長の向かいの席に腰をおろした。
「あんた、随分なべっぴんさんだな。あんたみたいなべっぴんさんを見ながらだと魚の味がもっとうまく感じるぜ」
 船長はニヤリと笑って言うと、手振りでウェイターにグラスを持ってこさせた。
「まあ、ワインでも飲んで待ってな」
 船長は手ずからワインをグラスに注ぐと、アイリーンの方へと差し出した。
「ありがとうございます」
 アイリーンはお礼を言うと、ワインを一口飲んだ。
 ドライで辛口の白ワインは、アイリーンの好みでは無かったので、それ以上は口を付けなかった。
 直径三十センチ以上はある大皿から頭と尻尾をはみ出させているデロス特産の巨大な舌平目は、あっと言う間に船長のおなかの中に消えていった。
「ん? 白ワインは嫌いか?」
「あ、いえ。あまりお酒に強くないので」
 アイリーンは船長の気分を損ねないように、細心の注意を払った。
 ウェイターが皿を下げると、船長はグラスのワインを一気に飲み干し、再びグラスをワインで満たした。
「で、何を運んで欲しいんだ?」
 舌平目に満足した船長は上機嫌で尋ねた。
「あ、人です」
「人? そりゃ無理だ。うちは貨物船だ。密入国の手助けはしてない」
「なれなら、樽に入れて荷物扱いでもかまいません」
 アイリーンの言葉に、船長がお腹を抱えて笑った。
「どこまで運んで欲しいのかは知らないが、つく頃には干からびてミイラになっちまうが、それでもいいのか? 樽に入った荷物には、水も食事も出ないからな」
 船長は笑いながら言った。
「それは困ります。船に乗ったら、出して戴いて、掃除とか洗濯、縫い物とか、お料理の手伝いをさせて戴きます」
 アイリーンは真剣な表情で言った。
「なあ、お嬢さん。貨物船ってのは荷物を運ぶ船で、人を運ぶもんじゃないんだ。船に乗りたいなら、お金を払って客船に乗るんだな」
 さっきから何度も言われた言葉だった。
「それは出来ないんです」
 アイリーンは俯いて言った。
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