エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
「今はもう、大丈夫ですよ。というより、今日大丈夫になりました。紗雪さんのおかげです」
「紗雪の?」
「はい」

ぎこちない笑みを浮かべる珠希を、碧はいぶかしげに見る。
珠希は碧の鎖骨辺りに頭を乗せ、両手を碧の背中に回した。

「今日の紗雪さん、あれは五年前の私です。正確には、五年前にむりやり押し殺してしまった私です。本当は私もあんな風に泣きたかったし、おじいちゃんを助けてって言いたかった。それに……おじいちゃんの病室に今まで見たことがない点滴が下がってたとき、病気が進んじゃったのかなって思って泣きました。だから、紗雪さんが今日混乱してたのもよくわかるんです。だって、あれは五年前の私だから」
「珠希」

いつの間にか涙を流している珠希の頬を、碧は指先で丁寧に拭っていく。

「ごめん。あのとき泣かせてあげられなくてごめん。珠希が気持ちを押し殺してることに気づいてたんだ。なのになにもしてやれなくて、ごめん」

碧は声を絞り出し、珠希を胸にかき抱いた。

「……え? 気づいてたって、それって」

珠希はおずおずと顔を上げた。

「笹原先生から、なにか聞いているんですか?」

涙混じりの声で問いかける珠希に、碧は力なく首を振る。

「聞いたんじゃなくて、見ていたんだよ。ご家族への告知のとき、笹原先生から少し離れた場所にいて、見ていたんだ。あのとき、珠希は笹原先生を責めなかったし、泣かなかった」
「あ……そういえば」

それまでぼんやりしていた珠希の目が大きく開き、碧を真っすぐ見つめた。

「たしかに笹原先生以外にもドクターが何人かいました」

告知を受けているとき、部屋の端に、白衣姿のドクターが数人立っていた。状況が状況だけに笹原の話を聞くだけで精一杯で、周囲に気を配る余裕などなく、今の今まで思い出すこともなかった。

「そのとき三人いたうちのひとりが俺だ」
「そうだったんですか……」
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