エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
「珠希のご家族にも驚いたんだ。笹原先生の言葉を冷静に受け止めて、ありがとうございましたと礼まで言ってくれた。製薬会社の方だと後から聞いて納得したけど、それでも悲しみは相当なものだったはずだ。あのとき、無力感でいっぱいだった俺たち医師は珠希たちに救われたんだ」

言い終えた碧の目が、ほんの少し潤んでいる。

「でも私、本当は……笹原先生に文句を言いたかったんです。どうして治せないんですかって。父さんにも、どうしておじいちゃんの病気を治す薬を作らないのって。でも、それは言っても仕方がないことだってわかってたから我慢したんです。だけど、今日紗雪さんが碧さんに気持ちをぶつける声を聞いていて、私もあのときちゃんと言えばよかったって思ったんです」

もしそうしていれば、もっと早く白石病院を訪ねることができて、祖父との楽しい思い出を振り返るきっかけを掴めていたかもしれないのだ。
うつむく珠希を、碧は優しく抱き寄せた。

「ごめんなさい。文句なんて言ったら、碧さん達お医者様が困るだけなのに」

珠希は碧の胸に額を押し当て、謝罪を繰り返す。
今さら言っても仕方がないとわかっていても、この五年心の奥にしまいこんでいたあらゆる感情が一気に開放されたようで、止められないのだ。
今日、脳外科病棟で五年ぶりに見たあの絵が引き金となり、続けて聞いた紗雪の号泣する声。ギリギリのバランスで閉じ込めていた感情が、それらをきっかけに飛び出したのかもしれない。

「困らせてごめんなさい……愚痴っぽい話なんて、したくないのに」

珠希はこのまま碧に嫌われてしまうかもしれないと、しゅんと身体を小さくした。

「俺が前に言ったこと、忘れた?」

背中を優しく撫でる碧の手の優しさに、珠希はゆっくりと顔を上げた。
「前に言ったよな。俺をからかってもいいし、怒ってもいい。愚痴だってOKだって。感情表現は、心と体にある程度の余裕があってのことだから、医師としては大歓迎って」
「あ……」

それは、お見合いのあと、ふたりで食事に行ったときの言葉だ。
医師としてというより、碧の人としての姿勢を知ったようで感動し、今も心に残っている。

「だから、俺のことは気にせず愚痴っていいし、怒ってもいい。拗ねてもいいけど、それって可愛すぎるから俺の前限定で。わかった?」
「……頼りにしてます」

珠希の答えを聞いて、碧はにやりと笑う。

「とはいっても、珠希は患者じゃなくて、愛する妻だけどな」
「な、そ、そういうのは、慣れてないのでいきなりはやめてください」
「はいはい。顔が真っ赤でかわいいな。……俺の愛する妻は」

碧はそう言ってひとしきり笑い声をあげたあと、神妙な顔で珠希に尋ねた。

「笹原先生への愛を告白する会はこれで終わりにして、食事を再開していいか? さっきからあの唐揚げが気になって仕方がないんだ」
 
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