エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
碧が言うように、室内はとても静かだ。ふすま越しに店内のざわめきがわずかに聞き取れ
る程度で、ゆったりした空気が流れている。
珠希は碧と顔を合わせて以来抱えていた緊張感が、ほんの少し解けた気がした。

「なんでも食べて、たくさん食べる」
「え?」

不意に碧の声が部屋に響いた。

「この間も気持ちいいくらいに食べてたけど、ここの料理も絶品だから、なんでもたくさん
食べて」
「あ……ありがとうございます」

碧は前回ふたりで食事をしたときに珠希が口にした言葉を、覚えていたようだ。
あの日も碧お勧めのレストランでかなりの量を完食した。

「それより、うちの両親が先走ったことをして、申し訳ない」

碧はばつが悪そうな表情を浮かべ、軽く頭を下げる。
一瞬碧がなにを言っているのかが理解できず、珠希はきょとんとする。
けれどすぐにピンときた。
見合いの日の夜にかかってきた、碧の両親からの電話のことだろう。
珠希は今日碧に会いに来た目的を思い出し、表情を固くした。

「俺の気が変わらないうちにって両親が盛り上がってるのは知ってたけど、まさか当日の夜に電話を入れるとは思わなかったんだ。結婚のことは俺の口から直接伝えたかったから、正直気が抜けた」

碧の表情はひどく深刻で、珠希は彼の結婚の意志の固さにたじろいだ。
単なる付き合いではなく結婚に向けての本気の思いが伝わってくる。
見合いの向こう側に結婚が控えているのはわかるが、碧の前のめりとも言える姿勢に、珠希は違和感を覚えた。
見合いの日以前に病院で顔を合わせているとはいえ、今日を含めても会うのはまだ三回目だ。
なのに結婚に前向きすぎる碧の気持ちが、珠希には理解できない。
好きでもない珠希と結婚して、碧にはどんなメリットがあるのだろう。
この一週間どれだけ考えても、しっくりくる理由は見つからないままだ。
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