エリート外科医との政略結婚は、離婚予定につき~この愛に溺れるわけにはいきません~
看護師長としてまだまだ現役の母に手こずる碧を想像し、珠希は笑った。

「気にしないでください。音大時代の友人が出演している作品なので、お願いしたらいい席を用意してくれたんです」
「だとしても。母が今回のことに味をしめて、無茶を言い出したらすぐに教えて。叱っておくから」
「心配いりません。私の母も気の合う友達ができたって喜んでます」

肩を揺らしクスクス笑う珠希を、碧は目を細め優しく見つめている。
珠希との時間を楽しんでいる碧の気持ちが伝わってきて、珠希の胸がじんわりと温かくなる。

「珠希がステージに立つ機会はないの? あ、クリスマスに病院で演奏してくれるんだよね。そういえば、病院内に告知のポスターが貼り出されてたな」

碧の弾む声に、珠希はぎこちない笑みを返した。

「そうなんです。プロでもない私の演奏で申し訳ないんですけど、楽しんでもらえるように頑張ります」

人気ミュージカルの話題から突然自分の演奏に話が移り、珠希は決まりの悪さに身体を小さくした。

「卒業して以来、ステージに立つ機会はほとんどなかったので、今から緊張してます」

学生時代は年間を通して数多くのコンクールに参加していてステージに立つ機会は多かったが、今では立場が変わり教え子たちをステージに送り出すサポート役だ。

ステージに立ち観客を満足させられるほどの力が今の自分にあるのか、不安ばかりだ。

「もっと自信を持っていいと思うけど」
「え?」

碧の言葉が理解できず、珠希は神妙な顔で首をかしげる。

「少なくとも遥香ちゃんも俺も、あの日ホールで聞いた珠希の演奏に、鳥肌が立つほど感動した」
「うそ……」

碧の力強い声に、珠希の心が大きく震えた。

「嘘でも冗談でもない。もちろん気休めでもない」

続けてそう言うと、碧はすくっと立ち上がり、座卓を回って珠希の傍らに腰を下ろした。
珠希はその素早い動き目を丸くする。
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