断片集
ある日、そう吐露する彼女に、ぼくは何も言えなかった。
好きだから、と私物を持っていったり、付き纏われたりするのがしばらく続けば、正しい好意なんか判別できなくなっても仕方が無い。
好きだといわれても、それは言葉だ、と思うらしい。それにはぼくも、少し共感してし
まうところがあるけれど、でも、彼女の痛みは彼女にしか無いだろう。だからそう感じてしまうことに自己嫌悪する彼女を、救うほどの何かを持てるのも、やはり同じく、ファンでしかないと思った。
「ああ。久しぶりに、こっちに寄ったもんでな。どういうことか、聞かせて欲しい」
そう言った母に、古里さんはわかった、と、その場で話し始めた。
それは彼女が、今回歌う予定だった歌を一通り披露し終わって、アンコールを求めたときだった。
ステージの影、カーテンで隠された裏方の方から、ぱしゃ、と音がしたんだという。
最初は気のせいかと思ったが、アンコールの一曲を歌い終えて、頭を下げた瞬間、またしても微かなシャッターのような音。
そして、少し足元で光ったらしい。
そして考えてみたら、やたらと、彼女の足元の方でばかり、カメラみたいな音が数回起こった。
「怖くなって、私、少し右後を向いたのよ。そしたら。なんていうんだっけ、あの、レンズが大きくて、ぐぐっと、前へ結構伸びるやつ。裏方から誰かがこちらを見てて『まずい』って、呟いてたわ。男だったとは、思う。なんとなく、肩とか、声の低さ的に」
詳しくはわからないが、きっと遠くからでも高画質を狙える感じのカメラなんだろう。
その男は、カメラを慌てて担いでリュックに押し込むと、走って行ってしまったようだ。
「それ、は……まずいですね」
ぼくは呟く。
あまりに露骨で具体的な辺り、勘違いとかじゃなさそう。
足元ばかりといえば、彼女はミニスカート姿だ。
何度も言うが、ぼくは人間に興味が無いので人間の肌なんか何が楽しいのかぼくは全然わからない。けれどそういうのが好きな人間も居るので、そういった趣向の人が盗撮しているのかもと考えたら、ぞっとする。
「ロリショタを心配している場合じゃないぞ」
ナツが呟く。
「ええ、そうなのよ」
彼女にしてはシリアスな感じの返事。
「どうしよう……」
不快だとか、腹が立つとかそういうのはもはや通り越しているみたいだ。
ただ悲しい。
もう一度、信じることが、怖くなってしまいそうだという、恐怖が伝わる。
「私、もう、ファンのことを、嫌いになりたくないよ。やっと、やっと、もう一度、みんなのことを信じられると思ったのに……チャイムが鳴る度に、ドアのレンズをのぞき込んでは怯えていた日々とは、違うんだって、ようやく、前に出てもいいって、思えているのに」
「大丈夫だ」
母さんが言う。
「船といえば密室、相手もここじゃあ逃げられない。その間に私たちがどうにかしてみせるし」
そしてすぐに、母さんの提案で、全ての出入り口の見張りが強化される。
人が足りないところ(ホール)は、彼女がステージに居る間の動作を確認していた監視カメラを借りて設置し、係の人がモニターをチェックすることになった。
多くの犯人は『見つかる』ことを第一に恐れるらしいので、見つかる、場所を増やすことで、逃げ場を少なくすることが、まず大事だという。
「って、ちょっと」
ずかずかと歩いていく母さんを慌てて追いかけて、階段を上る。
さっき見た、変わった会話の男女の居た手すりの辺りで、彼女はこちらに振り向いた。
「あとり」
「何」
「大きくなったな」
そんなの、自分でわかるわけないだろ。
ぼくとは、彼女は滅多に会わないので、そういえば、久しぶりの再会だったが。
引き取っていたという事実があるだけで、大して母親らしくも無いし……
なんだかよくわからない関係なので、正直、あまり感動も覚えない。
「私が居なくて寂しくなかったか」
母さんはきりっとした感じでこちらに聞いてきた。
「うん……寂しくて、たまに泣いちゃったよぉ。お母さん、めったに帰って来ないんだもーん。久しぶりだなぁ。嬉しいっ」
ぼくは精一杯、いじらしい感じの子どもを演出する。
子どもは大変だ。親はいつまでも『こども』としか見てないんだから。
「そうか、棒読みな辺りに私への愛を感じる」
ほら、感動している。母さんは目頭を押さえている。
ぼくは満足して、そしてまた思考に戻る。
3が無い。
思い返せばあの話をしていた二人のうち、男の方がそのような見た目だった気がした。
「じゃあ、また行って来る」
と、ステージの方で、古里さんを呼ぶ声がした。
ひきつった笑顔でこちらに手を振った彼女のその強さを見ると、彼女はやっぱり、アイドルなんだ、と思う。