断片集

03

盗撮犯が誰なのかは後々、撮影しておけば見つかるかもしれないし、少し前の時間の映像に残っている可能性もある。
それは、係の人がやってくれるというので、ぼくとナツは廊下を歩いた。
クロスロード、に含まれる◇を見ながら。
「黒歴史のノートってあるじゃない」
「ああ」
「アレをそのままアレンジして、例えば、趣味でフリーゲームを作るじゃない」
「はあ」
「黒歴史っていうか、当時のマイブームとか、趣味で調べた知識とか、なんていうかな……たとえば。これは例だけど、千里眼とかさ、そういうのにはまってた時代があったとして、その愛をひたすら込めてるわけだよ」
「それが完成したら、もろに黒歴史の権化だよな」
「そうそう」
なのに作らずにはいられないって言うのが、ジレンマだ。
「配布するまでは良いんだけど、あまり流行るとそれはそれで作者のなんとも言えない羞恥の呻きが聞こえる仕組み」
「それはもう自業自得だぁ。作者、頑張って」
ふと、足元を見ると床に、黒い薄いシート状のものが落ちていた。
プラスチックで出来ている。
「なんだ、これ」
ぼくが拾うと、ナツがそれに描かれた文字を読んだ。
「SDって書いてある」
「どういう意味なの?」
「すげーでかい」
ちっさいカードの略称が、すげーでかいって、どうなの。
「えぇ、違うでしょ、たぶん」
とりあえず、それをポケットにしまっておいて、前へと進む。
廊下の両側、部屋を挟んでところどころ存在する窓からは、波が見える。
ゆらゆら、少し、世界が揺れている。
波のむこうに遠くの島が見える。
その島の山の中にぽつんと鳥居があるのだけれど、あれは引き潮のときしか通えない場所なのだ。
――あの島には、巫女さんが住んでいる。
巫女のミコさん。この辺りは神社が多い。彼女は古い知人だけど、その話はいつか、どこかでするかもしれないし、しないかもしれないけど、今は関係ないだろう。

































04


廊下の途中で、トイレの方に向かう女の人を見かけた。
「あ、あなたネネちゃんじゃない!」
瑠茄(るな)先生だ。綺麗な黒髪をいつもキャビンアテンダントみたいなお団子に結んでいる。目が大きくて、お気に入りだという赤い口紅が似合っている。
今日はバラみたいに赤いドレス姿だった。
本当は音楽の教師になりたかったという彼女は、勉強中に、音楽としての音の繋がりを認識するのに支障が出る症状――失音楽症を患って、音大の授業についていけなくなり中退、音楽教師を諦め、それでも歌詞などの言葉の部分に強い憧れや興味をもち、やがて国語の先生になったという、強い人だ。
ぼくが同じ立場だったら、もう一度立ち直れるかわからない。

「あんな大事なときに頭を打って、こんな風になるんなら、せっかく親に頭を下げてまで通った音大の費用がなんだったのって感じよっ! ふざけてるわっ!」と、おどけて笑えるまでに数年かかったのだという。
認識の問題は、症状に個人差が大きいこと、それと耳自体は聞こえるので、説明が難しく、ときどき理解の無い言葉に怯えたり、荒れてしまっていたのだというけど、今はそれが信じられないくらいに、おっとりしていて優しい先生だった。
年上の女性は苦手だけど、彼女はそんな感じがしない。
なぜだろう。ぼくと似ているところがあったから?
「ああ。お久しぶりです。柳(りゅう)さんは?」
「今日は居ないの。アイドルとか興味ねー、だってさっ!」
彼女は、同じような境遇の英語教師の人、柳さんと結婚しているのだ。

彼も過去に、医者になりたかったというけど幼い頃に受けさせられた検査(現代の小学校では廃止されているんだけど、昔はそういうのをさせられたんだって)で、色覚に異常が認められたため、些細な色の変化の見極めを必要とする職業に就くことを、諦めている。

彼らは、少し不便はあっても、一次的な知覚には影響が無いから普通の生活をしているのだけど、見た目からは何もわからないせいで『なぜやめたんだ』とか、『耳は聞こえてるじゃない』とか、そういうことを言われる生活に疲れ、何度か命を絶とうか考えたりもしたんだという。
でも二人は、結局、生きることを選んだのだ。

「他もだけど、芸術も、やっぱりお金がかかるからね、しばらく実家のそばでバイトして、親に借りた入学金と、あと奨学金の返済に必死だった。こういうイベントに行く元気なんか、昔は無かったなぁ。怠けてるって怒られるわ、実家に帰って、じっちゃんになんでやめたんだ、甘ったれがって言われるわ……あの人説明聞かないからなぁ……ふふ」
「そうですよね」
ぼくは頷く。
骨折みたいに、ばーんと目の前に示すのも難しいだろう。
「自己啓発本とか、読まされたけども。そういうことじゃないから、もやっとしてたな」
「もやっと……」
「やりたいことがあっても、やる気があっても、努力していても、ダメになることがある。普通なのに、努力の時点で躓く人たちのことを、恨んだりもした。普通って時点で私には無いものを持ってるのに、やりたいことを探さないなんて、それは勿体ない、なんてさ」
「……」
「よく、『生きたい人に失礼だよ』って言葉があるけどさ、それはそうだろうけど、いきなり怒られても困るじゃない。『それだけ苦しいんだ』ってことも、ちゃんと、聞いてあげて欲しいよね……別に礼を失するのが嫌だから生きようなんて話じゃないじゃない。でも、私も似たようなことを、実感を持って、思ってしまっていたからさ、皮肉だねぇ、みたいな」
「……」
「何でも良い、死ぬまでその探す時間が確保されてるじゃないって。綺麗ごとかもね。でもね」
「…………」
「感じることさえ出来なくなったら、考えることさえ出来なくなったら、それだけで、世界は歪んじゃうのよ、才能とか、それ以前。評価する立場さえも、見に行くことさえも、嫌になったらさ。『好きって何?』って」
「…………」
「そのとき、何が残るかなんてさ、本当に、不安定なことなんだよ。本当に、実は、生きて、呼吸をして、歩いて、喋っているだけで、かなりの才能なんだよ。人はさ」
「…………」
「私の時間を、返して、って思った。あなたが浪費する、けど私に無い時間を、頂戴って思った」
ずきん、と胸が痛む言葉だった。
彼らには彼らの事情があることは、彼女も知っている。
でも、それでも。それに悩むことが出来るという事もまた、悩むことさえ許されない誰かにとっては、すごいことだったのかもしれない。
「羨ましかったの」
「来られて良かったですね」
「ええ。CDはきっともう買えないけどね」
彼女は笑う。
泣きそうな、けれど何かを乗り越えたっていう笑顔だ。

「でも、こんな些細なことでもね、それに憧れる私には、それは大きな欠陥だったのよ」
「ええ、わかっています」
「ああー歌いたいなぁ。ピアノが弾きたいな。今日ね、アイドルの歌うところを見ていて、またそう思ったの……なんでだろうね、世界は、とっても、楽しいのに。今は、とても、幸せなのに、やっと、似たような夢を見られて、充実しててさ――」
彼女の目に、雫が浮かんだ。
真珠みたいにきらめいて、消えていく。
気付いている。
似たような夢は、似たような夢だ。

「なのに、残酷よね」
廊下から、音楽が流れている。
彼女の好きだったアイドルの歌。
今の彼女には、どう聞こえるのだろう。
「なんでか、ときどき……堪え、きれない、好きでいられたら、それでもういいって、思ってたのに、なのに、なんで、私、こんなに苛立ってるの。来るんじゃなかったって、気持ちになるのよ……!」
しゃがみこんだ彼女の口から、声にならない言葉が零れる。
本当に欲しいものは、
誰にも気付かれないまま――――
それは、たとえば前を向くために付けていた日記みたいに。
ただ生きて、どうにか前を見るために描いていた絵のように。
別に評価が欲しいんじゃなくって。
ただの、感情の浪費で、ただの深い意味の無い吐露で。
ただ、生きていることを、自分で信じたくて。

だから、一見綺麗な色で作られた、それはそれは、深い闇と孤独の築く醜い塊だったもの。
「違います、あなたは、来るんじゃなかったって思ってるわけじゃない」
言い切る。出来るだけ、強く。
「え?」
彼女が、ぼくを見上げる。
頬で涙が乾いていた。
「ただ、また歌いたかったんですよね」
「…………」
「歌ったり楽器を弾いたり、もう一度、やりたくなったんですよね」
彼女は、ただ、頷く。
「それは、悪くないです。ずっと好きだったんでしょう? 悔しくなるのも当然じゃないですか。りこさんが歌えなくなっても、あなたは嬉しくないでしょ?」
ぼくたちは、もう一度生きたいのだ。
壊れてしまっても。ありふれなくても。
「う、ぁ……………」
彼女は、顔を覆って泣き出した。


それでも誰かを、自分を責めたりするべきじゃない。
なのに、ときどき、苦しくなる。なんだったんだろうって。
全部夢だったのかって。
かつて、自分自身に、こんなにも絶望があったなんて、ぼくも思いもしなかった。
まだ、執着する自分に、少し失望しそうになった。
余計に、寂しくなってしまった。
誰が悪いわけでもなく、向き合わなきゃいけないものが
×××××××んに×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××て、×××と××××××なのに××××して×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××だって××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××


あー。
もう、手に入らないなぁ。
って。
気付いてしまった。
やっぱり、『大丈夫、そういうことよくあるよ』なんて。
『私も経験したよ』なんて。
『あの人もそうなの』なんて。
『昔は俺もそうだったよ』なんて。
『まぁ、誰もが通る道で、大人になったら、治ったよ』なんて。
それは、実は当たり前のことだよ。

なんて。
そう

もしかしたらそんな、ありふれたことが聞けないかな。
よくありすぎて面白くないとか、私もそうだったとか、そう言われるくらい、実は当たり前のことだったりしないかな?
面白いとか、そんなんじゃなくて。
よくあるよって。
そしたら、もう少し、前を向けるかも。
なんて、そんな淡い期待なんかして――再確認してしまった。
知るんじゃ、なかったな。






どこにも、居場所なんてない。
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