我が君の願いならば

1.7日間の恋人


世の中には後遺症というものがある。
私の場合、その日にあったことを、8日後に忘れてしまう記憶障害がある。

だから今日よりも8日前の記憶が全てない。
まあつまり、私の頭は7日間の出来事しか記憶にできないということ。

何かの事故に巻き込まれた“らしい”けど、そもそもどういう事故だったのかも思い出せなくて。いつ、どこで、何をしていて。
私は怪我をしたのか、それとも精神的苦痛により記憶喪失になってしまったのか分からないけど。


「こんばんは、ナナちゃん」

夕暮れ時、屋敷にある庭のベンチに座って何も考えずぼんやりとしている時、茶色の髪をした20歳ほどの若い男性が笑顔でやってきた。
若いけれど、紳士的な人。
笑顔が素敵な人で。
どうやら私を知っているらしいけど、私は全く誰か分からなかった。
きっと今よりも8日前に会った人だろう。
7日前なら覚えていたと思うけど。

笑顔が素敵なその人は、“彼”と同じで、少し肌が白かった。

思い出せないと分かっているけど、とりあえず脳内を探ってみた。それでもやっぱり思い出せなくて。せっかく話しかけてくれたのに思い出せないことが申し訳なくて、眉を下げてしまう。


「すみません…、私のお知りあいですか?」

申し訳ない気持ちを込めて謝罪をしながら言えば、その人は怒りもせず、静かに笑った。


「そうか、会ったのは9日前だったね」

──ごめんね、と、彼は全く悪くないのに謝ってきて。
どうも私の記憶障害のことを知っているらしい。


「そんな薄着でいると風邪をひくよ」

紳士的な男性はそういうと、自身が来ていたキャラメルのような色をしたコートを脱いだ。スマートに脱いだコートをベンチに座る私にかけてくれて、親切な人だなあと心の中で思う。


「……ありがとうございます」

見上げながらお礼を言えば、やっぱり優しく紳士的に笑っていて。

「では俺はこれで。またね、レイの姫君」

その男性はベンチに座る私の前に跪くと、私の手を持ち、その手の甲にキスをしてきた。

〝レイの姫君〟
やっぱりこの人は、〝彼〟の知りあいらしかった。


紳士的な男性はどこかに消え、私も庭から屋敷に戻り、大きくて広い廊下を歩いている時だった。


「──ナナ」

背後から透き通るような低い声が聞こえ、振り向けば、予想通り〝彼〟がいて。
私はさっきの紳士的な男性は知らない。それでも〝彼〟は知っている。だって〝彼〟は毎日会っているから。
でも、いつ出会ったのか覚えていない。


「ずっと庭にいたのか?」

長い足のおかげで、数歩程の距離を一瞬にして近距離にした。


「はい、今から部屋に戻るところです」

背が高く、黒髪で。
白い肌と紺青の瞳で冷酷感を漂わせているが、本当は優しい人だと知っている。


「このコートはユーリのだな。会ったのか?」

先程の男性は、ユーリというらしい。
名前を聞いても、やっぱり聞き覚えがなくて。
だけども彼の知り合いらしい。


「はい。茶色い髪をした紳士的な男性です。薄着だった私にかけてくださって」

彼の綺麗な二重の切れ長の瞳が少しだけ細くなり、私に向かって紺青の瞳を向け優しく微笑んでくれた。彼は冷酷感を漂わせているけど本当はとても優しい笑顔をする人。


「確かに冷えているな、髪が冷たい」

彼、──レイはそう言いながら、私の髪を一撫でした。


「先に体を温めた方がいい。それから夕食にしよう」

「はい」

「────そこの、ナナを浴室に。温めてやってくれ」


レイは近くを通り過ぎた使用人の女性に話しかけた。使用人の女性は「かしこまりました」と頭を下げた。


レイはこの大きな屋敷の主人で、とっても偉い人らしく。誰もレイに逆らえない。
使用人の女性に入浴を手伝ってもらって、すっかりポカポカになった体を柔らかいバスローブが身を包む。今から使用人の女性が、大きな鏡の前で髪を乾かしてくれるらしい。

身を任せ乾かしてもらっている最中、その女性が「ナナ様は本当にお幸せ者ですね」と、微笑んだ。


「……え?」

「こんなにもあのレイ様からご寵愛を受けておられるのですから」


にっこりと笑った使用人の女性に、「はい、私もそう思います」と私も微笑み返した。

自室に戻り、夕食をすませ、レイから贈られた本を読んでいるとノックの音が部屋に響いた。──部屋に入ってきたのはレイ。
夜の部屋には基本的にレイしか入ってこない。
だってここの部屋は、レイの部屋でもあり、寝室でもあるから。
仕事が終わったのだろう。
夕方に見たレイの服とは違い、とても動きやすそうな格好になっていた。


「おかえりなさい」

私は本を閉じて、レイに声をかける。


「遅くなってすまない、夕食は?」

「いただきました」

「何の本を?」

「3日前にレイから贈られたものです。もうすぐ読み終わります」

「面白かったか?」

「はい、とても」


私に近づいてきたレイは、少し前かがみになると、顔を傾けた。毎日のようにしているから何をされるか分かった私はそのまま瞳を閉じた。

柔らかい感覚が唇に当たる。


「おいで」

イスに座っていた私にキスをしてきたレイは、そのまま私の手を握り、立ち上がらせた。レイの手は冷たい。それはきっとまだ食事をとっていないからだと思う。

レイがスムーズな動きで私を連れてきたのは、大きなベットの上。


「レイ?」

「うん?」


ベットに腰かけたレイと向き合うようにした私は、気になったことを口にした。


「私はいつからこの屋敷にいるのですか?」

広い広い屋敷。
きっと入ったことの無い部屋が沢山あると思う。──それとも私が覚えていないだけか。


「何か気になることでも?」

冷たいレイの指先が軽く私の髪をまとめると、そのまま斜めにずらし背中の方へと髪を移動させた。
さらけ出されるのは、首筋──。


「いえ、ふと思ったんです」

レイの柔らかい唇が、私の首筋にあたる。


「ナナの体が俺を覚えているほど、俺たちは一緒にいるよ」

いつからとは言ってくれない。
どうして秘密にするのだろう?
私の過去に何かあるのだろうか?

レイの唇が首筋をなぞり、「──いい?」とやけに甘い声が耳に届いた。


「はい」

レイの歯が、首筋にあたる。
少しだけ、ほんの少しだけ皮膚が破れる感覚がして痛みが走り。そこからじわりと熱い何かが首筋から全身に伝わってくる。


「──…っ」

少しずつ出てくる痺れ。
血の香り。
段々私の体を熱くさせていき。
レイの腕がまるで逃がさないようにと、私を強く抱きしめた。


「ナナ……」

甘い声を出すレイは、そのまま舌先で傷口を綺麗に治す。それが終わった時にはもうぐったりとしていて、私はいつものようにレイの胸に体を預けていた。


「すまない、飲みすぎたな」

そう言ったレイの指先はもう温かくなっていた。


「…大丈夫です……」

レイは私を抱きしめたあと、ゆっくりベットに寝転ばせてくれた。柔らかいシーツが体を包む。


「……レイ……」

「うん」

レイの温かい手が、私の頭を撫でる。


「──…私は、吸血鬼ですか?」

「いや、ナナは人間だよ」

ナナは、ってことは、レイはやっぱり吸血鬼。この吸血行動は体が覚えてる。
レイは毎晩飲んでいるから。
でも私は血を飲んだことがない…と思う。


「髪を乾かしてくれた、女性は……」

「彼女も人間」

「……私、この質問、何回目……」

「そんなの気にしなくていい」

私の質問に優しく笑ってくれた。
こんなにも優しいレイを、なぜ7日間しか覚えることができないんだろう。


「……ごめんなさい、何も覚えてなくて」

「何回でも俺が教える」

「どうして私、7日間しか……」

「ナナ」

「……」

「今日も愛しているよ」

レイに優しくキスされた私は、7日前のことを思い出していた。7日前も、こうして眠る前はレイは「愛している」と言ってくれた。


「私も愛してます」

そう言って笑った私に、レイはまた優しいキスをくれた。








私はどちらかというと、屋敷の中よりも外の方が好きだった。だから私の好きなたくさん花が咲いている庭のベンチに座っていることが多く。空気が新鮮でとても気持ちがいい。

私の専属の使用人であるリザがいれてくれた紅茶を飲みながら、昨日レイから贈られた本を読んでいると、「こんにちは」と話しかけられ。

その声に聞き覚えがある私は、本から視線を外し、顔を上げた。紳士的に笑うその男性の事が分かる私は自然と笑みを浮かべていた。


「こんにちは」

「ありがとう、覚えてくれているんだね」

「はい、一昨日の、ユーリさんですよね。この前はコートをありがとうございました」

そう言うと、ユーリというの男性は、柔らかく笑った。


「名前、レイから聞いたの?」

「え?」

「この前は名乗らずに帰ってしまったから」

「はい、あとからこの前のコートはユーリさんのだと、レイが言っていました」

「あの後すぐに送られてきたよ。ナナちゃんが風邪をひかなくてよかった」

──隣に座ってもいい?と聞いてくるユーリに、どうぞと返事をした。ユーリの雰囲気がとてもいい人だと感じさせる。


「レイに話があって来たんだけど、仕事で手が離せないみたいだね」

「レイに会いに来たのですね」

「そう。あいつから呼びつけたのに1時間は無理だって言われて。酷くない?」


困ったように笑うユーリに、私はクスクスと笑った。

「ユーリさんはレイと親しいのですね」

「幼い頃からの付き合いだからね」

私の知っているレイは、今より7日前だけ。
だからレイがどんな人なのか知れる度に嬉しくなる。
幼い頃。
幼い頃は、どんなレイだったのだろう?
今みたいに優しい子だったのだろうか?


「レイの悪戯好きにはもうすごく困らされた」

「悪戯?」

「俺の嫌いな食べ物を無理矢理口に入れようとしたり」

「そんなことを?」

「それがまだ可愛いもんだからね」


レイのことを悪く言っているけど、ユーリが言うぶんには全く悪意が感じられなかった。
きっとそれほどレイとユーリの間には深い友人関係があるのだろう。

ユーリは優しい人だ。
きっと分かっているんだ。
私がレイの話を聞くと喜ぶと。
だからもう、同じ話を何回もしてくれてるんだろうな……。



「────で、そのとき、、っと、もうこんな時間。そろそろレイのところに行かないと」

ユーリが懐中電灯を見ながら言った。


「送ります」

「ナナちゃんが?大丈夫だよ。そんなことをさせたら、レイに怒られちゃう」

ベンチからよいしょ、と、立ち上がったユーリ。
そろそろお昼時。私も部屋に戻らないとリザが呼びに来るかもしれないと、ベンチから立ち上がろうとした時だった。


「──っ、痛!」

突然走った指先の痛み。
本を持っていない方の指先を見つめれば、そこは何かに切れたのか血が滲み出ていて。


「大丈夫?!」

私の声に気づいたユーリが、慌ててこちらに振り向いてきた。私の血が出ている指先を見るやいなや、「怪我したの?!」と焦ったような声を出した。

木のベンチを見つめれば、ささくれがあって。
多分ここで切ってしまったのだろう。
血は出ているものの、傷口は小さい。


「大丈夫です、これくらいなら舐めれば……。……──ユーリさん?」

そう言って笑いかけようとした時だった。血が出ている方の手をユーリが掴んできた。その力は強く、「あの、本当に大丈夫ですよ」と言おうとしたのに。
ユーリの雰囲気が先程と変わり、全く、穏やかな気配が感じられなくて。


「……あの、」

黙ったまま、私の指先を見つめるユーリ。
指先の血が、スー……っと、重力に従い流れていく。


「……ナナちゃん、……今すぐ、大きな声を出して……」

息が上手く出来ないのか、歯を噛み締め、ユーリの額から汗が出てきているのが分かり。
何が何だか分からない私は、狼狽えるばかりで。

大声……、なに?
ユーリの方を見ていると、綺麗な茶色い瞳が、赤く──赤よりも深い、血のような色に変わる。


その目を見てぞわりと悪寒が走り、冷や汗が流れるのが分かった。私はこの目を知っている。レイの瞳と一緒だから。レイも変わる。このような真っ赤な瞳に。──私の血を飲む時に。

ユーリは、吸血鬼らしい。
それは分かった。
でも、レイとは全く雰囲気が違って……。


「はやく……大きな声で……レイを……」

「ユ、リさ、……離して……」

「っ、……ごめん、」

「やめて…」


怖い。
指先に、ユーリの唇があたり。
そこに伝わるユーリの熱い舌。


「や、やめてくださいっ……」

逃げるために後ずさるけどユーリは離れてくれず、それどころかベンチに再び押さえ込まれるように座り込み、上へ覆いかぶさってくるユーリに逃げることができなくて。

──チカラが、強い。
私はユーリを人間だと思っていた。


「──やっ、誰か!!レイ!!」


7日間よりも前の私なら、ユーリが吸血鬼だと知っていたのだろうか。


ユーリはどうなってしまったのか。
さっきまで優しく笑っていたのに。
どれだけ暴れてもやめてと言っても、ユーリはやめてくれない。私を押し倒し指先を舐めるのをやめない。

強い力によって抑え込まれた私は、我を失ったように赤い目をして首筋に顔を埋めてくるユーリが、怖くて──

レイの時は、少しも怖いと思わないのに。


「っ、やだ…ッ、やめて、…ユーリさっ」

首筋に歯があたる。
体が震え、こんなにもユーリの体を押しているのに、ユーリは石のようにビクともしない。

飲まれる、
飲まれる。
血を、飲まれてしまう。

ぐっと、まぶたを閉じ、歯があたる不快感に涙を流そうとした、その刹那──


「ナナ!!!」


上にいたはずのユーリがいなくなっていて。


「ナナ!」


気づけば、私は抱きしめられていた。
ぬくもりと、香りと、声と髪色で誰か分かり。怖さの涙から安心の涙に変わりポロポロと涙が溢れ出した。


「、……レイ……?」

「ああ、俺だよ」

「っ……」

「遅くなった…、怖い思いをさせたな」


吸われたためか、まだ微かに指先に痺れが残っていて。その指先はユーリの唾液がついたからか、傷口が塞がっていた。


まだ恐怖で震えがおさまらず、レイの腕の中でガタガタとしていた時、「──痛ッ……」とユーリの声がして。

ビクリと反応した私はレイの腕の中から声のした方へ見た。何がどうなったか分からないけど、何メートルも離れた花壇の上に倒れていた。


「──ユーリ」

私を抱きしめるレイが、聞いたこともないぐらい低い声を出し。


「……悪い、助かった」

そう言ったユーリの瞳は茶色く。


「……飲んだのか?」

「悪い……」

「量は」

「指先、3口ぐらい……」


ユーリは少しだけふらつきながら立ち上がり、「ごめんナナちゃん……」と謝ってくるけど、まださっきのことを覚えている私は震えることしかできなくて。


「ユーリ、先に部屋へ行ってろ」

レイはそう言うと、私を横向きに抱き上げた。そのまま屋敷の中へと入っていく。


「レイ様、ナナ様は?!」


レイが「人間」と言っていた使用人が慌てたように近づいてくる…。


「部屋へ行く、誰も近寄らせるな」


レイは私を抱えたまま、自室へと戻り。私がいつも本を読んでいるイスへ私を下ろすと、そのまま膝をついて私の手を握り顔を覗き込んできた。


未だに恐怖でガタガタと震える私を見て、険しい顔をしたレイは、「……──もう大丈夫、怖がらなくていい。大丈夫だ」とそのまま私の頭を抱えるように抱きしめた。


「っ、」

「ナナ」

優しいレイの声。


「遅くなってすまなかった」

「ユ、ユーリさ、は」

「もう大丈夫だ」

「ど、どうして、あんな……」

「ナナ」

「人が変わったように……私の血を、」

「ナナ…、もうユーリがナナを襲うことは無い」

「……っ、」

「もう大丈夫だから落ち着いてくれ……」


おちつくなんて、できるわけない……。


それでも何度も何度も泣きそうになる私をレイが「もう大丈夫」と励ましてくれるから。少しずつ恐怖と戸惑いが無くなっていき。

落ち着いてきた頃、「俺がユーリのことを吸血鬼だと言わなかったせいだ、すまない」とその言葉を口にし。


「ナナ」

涙のせいで充血したまだ赤い瞳をレイに向ける。


「ユーリはいつもあんなふうに襲うわけじゃない。それだけは覚えておいて欲しい」

いつも襲うわけじゃない?
だけど、私を襲ってきた。
紳士的な、ユーリ……。


「……それなのに、どうして、血を…」

「ナナの血が特殊なんだ」

「……特殊?」

「だからいつもユーリがここに来る時は血を飲んでから来ている。もしもの場合でも、満腹感で襲わないように」

「……もしもの場合…?」

「そう、今日みたいな。──特殊だから、この屋敷でナナの世話をする使用人たちもみな人間なんだよ」

「特殊ってなに……」

意味が分からず、泣きそうになる私の頬を撫でるレイ。


「人間の血にもランクがあって……。上からS、A、B、Cと。基本的にはその4段階に分けられている」

「ランク?」

「だけどその中にも該当しない特殊な血を持つ人が存在する。それがナナなんだ」


特殊な血?
そう言われても、あまりよく分からない。
だって私は普通の人間なのに。


「だからナナ、吸血鬼の前では怪我をしてはいけない」

「……私の血が、特殊で、先程のユーリさんみたいに襲われるからですか」

「そう」

「特殊、という意味が、まだ分かりません…。人間ではないということですか……?」

「人間だよ。ナナは俺のかわいい婚約者だ」

レイはそう呟くと、優しく私にキスをしてきた。


「……血を見せれば、吸血鬼に襲われるの?」

「ああ、吸血行動の理性が働かなくなる」

「……じゃあレイは?」

「俺は毎日飲んでいるから、慣れてるしナナを襲うことはない」

「……」

「って言いたいけど、たまに理性が飛びそうになる」

「……え?」

「それでもナナを愛しているから、絶対に傷つけることはないよ」


柔らかく笑ったレイは、「怖かったな、今日はこのまま休もう」と、暫く私を抱きしめていた。


私の血は特殊らしい。
ランクにも該当しないらしい。


「……この世界に、吸血鬼は何人いるの?」

レイは「3割ほど」と教えてくれて。
そのレイを除く3割の吸血鬼に、血を匂わせてはいけないらしく。
不安になる私に「大丈夫、俺が守るから」と何度もキスをしてくれた。



──翌日、いつも座っていたベンチが木から石へと変わっていた。



──私の髪色は、多色性というものらしい。
基本的な色はベージュというかミルクがたっぷり入った紅茶のような色をしているけど。
角度によればミルクティーピンクになったり、ミルクティーグレージュのように見えたりする。
グラデーションなどで色が変わるのではなくて、角度の光の加減によって変わる。
夜の月明かりの下では、ホワイトカラーにもなったりする。

そんな変な色の髪だけど、レイは「美しい」と言ってくれる。そんな私はレイの痛みのない真っ黒の髪が好きだった。

私が怪我をしないようにベンチを木から石の材質に変えてくれたレイは、その日、私の首筋から血を飲むことは無かった。


「飲まないのですか?」

ベットの中。そう聞いても、レイは首を横に振った。


「飲まないよ、ナナを怖がらせたくない」

そう言ったレイの指先は冷たく。吸血鬼は血を飲むと指先が温かくなる。だから逆に、血を飲まなければ指先からどんどん心臓に向かって冷えていく。そう4日前にリザが教えてくれた。


「私はレイを怖いと思ったことはありませんよ。だから飲んでも……」

「大丈夫」

「でも、レイの指が冷たい」

「今日はこのまま抱きしめたい気分なんだ」


私を思いそう言ってくれたレイが愛おしく。私はこれ以上レイの体が冷たくならないように抱きしめながら眠りにつきそうになって。
こんなにも愛しいレイを忘れたくない。それでも私は忘れてしまうのだろう。ユーリに襲われたことも。レイが私の髪色を「美しい」と言ってくれたことも。
私の血が特殊ということも。



──想像通り、一定期間が過ぎると私はユーリのことを綺麗さっぱり忘れていた。それでもレイを〝愛しい〟という気持ちを忘れないのは、それほどレイが私を大切にしてくれているからだと思う。

そんな今日も庭に設置された石で作られたベンチに座り、本を読んでいると「ナナ」と甘い声が聞こえ。本から顔を上げた刹那、ふわりと温かいものが体をつつんだ。
よく見ると肩にブランケットをかけられていて。


「また薄着で出て。昨日言ったばかりだろう」


怒っている言い方なのに、優しい声のトーンに思わず頬を緩めてしまう。


「ごめんなさい……。お仕事は?もう終わったのですか?」

「いや、窓からナナの姿が見えたから抜けてきた」

「わざわざブランケットを持って来てくださったのですね、ありがとうございます」


笑いかければ、レイも目を細め笑い。
私の横に座ったレイは、私の肩に腕を回しスムーズな動きで引き寄せた。そして我慢できないとでもいうように、私の頭にキスをしてきて。


「ナナは本当にここの庭が好きだな。いつもここにいる」

「はい、大きな庭で、花の香りもすきなんです」

「そうか。どの花が好きなんだ?」

「全部好きですが、その中でも私は白い花が好きです」

「では、部屋にも飾ろう」

「いいのですか?」

「ああ。ナナが喜ぶならなんでもしよう」

「リザが言うんです。私はレイ愛されて幸せですねって」

「ナナもそう思っているのか?」

「幸せだと?」

「ああ」

「思っていますよ、レイに愛されて私は幸せです」


顔を傾けてきたレイは、そのまま私の唇に、自身の唇を寄せた。ふれるぐらいのキスをしてきたレイは「寒くはないか?」と私の心配をする。


「大丈夫ですよ。とても温かくなりました」


クスクスと笑えば、レイは「3日後、」とそれを口にする。


「俺の妻になることに、不満はないか?」

「ありません。昨日も一昨日も聞かれていましたね」

「本当に不満はないのか?」

「さっき、幸せだと言いましたよ」


レイも柔らかく笑い。


「……結婚する前に、ナナに言わなければならないことがある」


それでもレイの真剣な声に、何かあると悟り、私はレイの目を見つめた。紺青の瞳を持つレイ。


「なんですか?」

「ナナがこの屋敷に来る前の話を、ナナに言わなればならない」


この屋敷に来る前?
記憶にない私の時間。
レイの言葉に、私は少し驚いた。


「私はずっと、この屋敷で暮らしたわけではないのですか?」


いうならば、私はずっと、レイといると思っていた。


「そうだよ、ナナがこの屋敷に住むようになったのは、2年ほど前」

「……2年?」

「ああ。ナナはこことは違う場所に住んでいた」

「……」

「それでも、俺たちが出会ったのはナナが小さい頃だ」

「……小さい頃?」

「ああ、俺が昔──、その恥ずかしい話だが、自分が1番強く誇らしいと思っていた。だからその力を見せびらかすために色んなところに手を出していた」

「力?」

「ああ、吸血鬼には家柄により、使える力というものがある。どの吸血鬼も風みたいに相手を吹き飛ばすこともできるが、セントリア家の血をつぐ者にしか草や木を操ることが出来ない、など…」

「……木?」

「うん、そのおかげで、まあ簡単にケンカをして、負けて。──遠くに飛ばされた。遠くに飛ばされて怪我をし、ユーリを呼ぼうにも全く身動きが出来なかった。このまま死を待つのみと思っていた時、ナナが現れたんだよ」


私……?
ユーリって誰だろう?


「俺の姿を見て、──私の血を飲んで、と」

「……私が?」

「ナナがいなければ俺は死んでいた」


ここにこうしているレイが?
死んでいたかもしれないの?


「ナナは俺の命の恩人だ」


そう言ってレイは優しく笑った。


「恩人だなんて……」


私は忘れているのに……。


「だから俺はナナのためなら何でもすると誓った」

「レイ……」

「それが俺とナナの出会い」


出会い……。


「でも、この屋敷に来たのは2年前だと…」

「うん、ナナの血は特殊で。吸血鬼にとっては貴重な存在でこの世の誰もが欲しがった」


特殊?
私の血が?
貴重?


「レイが夜に飲んでいる私の血ですか?」

「ああ。きっとナナの血を見て理性を保てる吸血鬼はいない」


レイの言葉に、違和感がして。


「でも、レイは保っていますよ」

「それは俺が毎日飲んでいるか?まだマシってだけで。──実際は気が狂いそうになる」

「──……私の、血がですか?」

「そう、この世に〝数人〟しかいないはずだ」


世界に数人?


「ナナはとある、吸血鬼の一族にいた」

「一族?」


レイが私を見つめ、抱きしめる。


「そこでナナは……酷い扱いを受けていた」

「え?」

「ナナのことをエサだと。血を作る入れ物だと……。そんな扱いを受けていた」


レイはいったい、何を言っているんだろう?
私がなに。
エサ?
血を作る入れ物?


「4年前に俺と出会った時も血を飲まれすぎて、やせ細り……」


血を飲まれすぎて?
言葉が出ない。
衝撃すぎて、唇が震え。
レイも分かっているのか私の体を安心させるかのようにさすった。



「ナナの姿を見て、俺が助けてやる、守りたいと思った。けどその頃の俺には力がない。助け出すのに2年の時間がかかった」


……2年。


「ナナ、よく聞いて」

「……?」

「ナナの、記憶を消したのは俺だよ」


レイは信じられないことを口にした。
驚いてレイを見つめれば、悲しく、笑っていて。


「ごめん……本当に」

「……」

「ナナに、過去を思い出させたくない」

「まって、」

「うん」

「私の記憶、」

「うん」

「レイが」

「うん」

「……消してた?」

「そう」

「どう、やって」

「吸血鬼には人間の記憶を消す力がある。そもそもこの力は吸血行動を人間の頭から消すために作られたと言われている」


レイが、記憶を消していた。


「どうして、7日間で消えるの……」

「それは、」


レイが大きく、息を吸う。


7日間の記憶···。それも、レイが。
昔の私は、どうしてそんなことを言ったの?
思い出を作りたくないほど、私は4年前に、その吸血鬼の一族という人に、酷い目に合わされていたの?



「──ナナが、思い出を作りたくないと言ったから」

「え?」

「この屋敷に来た時のナナは、これから作る思い出も悲しくなっては嫌だからと、それならいっそ、記憶を忘れ続けたいと」


忘れ続けたい……。
レイに出会う前は、酷い扱いを受けていたから。


「ナナの意見を尊重し、7日間で記憶が消えるという力を、ナナの頭に入れた」

「……」

「ナナ、俺を恨んでくれて構わない」

「──」

「この2年間の間で、記憶が無いと戸惑いを見せ暴れたこともある。それを見ることしか出来なかった」

「レイは」

「うん」

「悲しくなかったのですか?私が忘れちゃって···、自分のせいだと、自分が記憶を消したからって···。レイは自分を責めなかったのですか? 」


レイは笑う。
悲しそうに。


「ならないよ」

「ど、して?」

「俺はナナが傍にいてくれるだけで、幸せだから。記憶を失っても、優しいナナは変わらない
。今も、自分より、俺の心配をしてくれてる」


その涙を、レイの冷たい指がなぞる。
冷たい冷たい···レイの指···。


「レイ···?」

「うん?」

「レイは···、初めて会った私の血を飲んで···、私の血がほしいとおもったのですか···?」


だから、私を、助けてくれた?



「────···ナナが好きだからだよ」



私を助けてくれたレイ。
辛かった思い出をレイが消してくれた。

そして、私の我儘で、7日間で記憶が消えるという力を使った。

何も覚えていない。
思い出せない。


何度も暴れ回る私を見て、レイはどう思った。
今まで、何度も同じことを聞く私を、レイはどう思った。

いつでも当たり前のように、そばにいて、大切にしてくれるレイ。レイの優しい表情を見るたび、優しい声を聞くたび、すごく安心する。


私を好きだと言ってくれたレイを。
私は、無意識にレイの首に腕を回し抱きしめていた。
レイは私が抱きつくとは思わなかったのか一瞬動きが止まったけれど、すぐに受けて入れてくれて。


「……教えてくださって、ありがとうございます……」

「明日、返事を聞かせてくれないか」

「……え?」

「必ず幸せにする、だから7日間の記憶の解除をするのを。これからはずっと幸せな思い出をナナに贈りたい」

「……」

「その間によく考えてくれ。本当にそれでいいのか」


本当にって···


「当たり前です、私、レイと思い出を···作りたい」

「うん。すごく嬉しいよ···、でもよく考えて。俺のためじゃなく自分のために。それまでは解除しないから」

「レイ……」


どこまでも優しいレイ。

本当にそれでいいのか。昔の私の意思を尊重しなくていいのか。


「きっと私の気持ちは変わりません···」

「必ず幸せにする」

「レイ?」

「ん?」

「私は今でも、この先も幸せですよ」


レイは優しいキスをくれた。



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