買われた花嫁は、極上の花の蕾

1、売りに出された娘


「この物件を買っていただけるのなら、娘もつけさせてもらお、思うてます。独身でっしゃろ? もろてくれまへんか? ハタチになったばかりですわ」


立花と名乗る50代の男は、よほど金に困っていると見えた。
口調ははやる心を押さえて押さえて、何でもないように話す。しかし、こせこせと手を動かし、決めろ決めろ、さあ、今、さぁ、と心の声が聞こえてくるようだった。

たぶん、おおまかに分ければ、自身もこの男と同じぐらいの年齢、アラフィフというのか、四捨五入して50。

つい先日45才になった弘毅(こうき)は、立花を見ながら不思議な気持ちがしていた。

弘毅は年齢がそのまま魅力に現れているような男だった。したたるような色気と、少し長めの前髪が、ワルい魅力に溢れ、年を重ねてますます渋みが増してしまった感じだ。一生独り身なのだろうね、と周囲にも笑って話す自由な独身男。

対して立花は、まさに50代と言った感じ。初老のどっしりとした体格で、仕事も家庭も年相応の、見てくれは立派な紳士だ。同じような年月を生きてきているはずが、こんな風に違う道を歩んできている結果を体現しているようだ。

しかしながら立花は、自身の娘をこんな風に扱う。

妻としてビルと一緒に買えと言ってんだろ。

今回の物件はそこそこ中心地にある角地のビルだ。購入にあたって事前に調べた話では、立花は海外でのギャンブルで多額の借金をし、どうしても数日後に迫る月末の期限で支払わないと破滅らしい。

他人事には興味はないが、まだ20そこそこの自分の娘まで売るほどなのかと、それをあからさまに口に出されて、嫌悪感を超えてあきれるような心境だった。
娘とやらには興味もないが、可哀想なもんだ。ビルのおまけのように扱われて。

アホらしくなり、少し焦らして気を揉ませてやろうと思った。
娘をつけてきたことが、すんなりと話を呑むには許し難い。

しかしその後、声を落として立花が言い出した内容で、弘毅は心底落ち込んだ気持ちになった。


「いや、実を言いますとな⋯⋯ こんな話⋯⋯ 、いや、しかし、娘に稼がしたらどうや、と⋯⋯ 娘を連れてこんかと⋯⋯ 」


彼の声が震える。言葉が続かなくなる。
最悪の話。
自分の借金のせいだと震えている。現実。
そんな娘はごまんといるんだろう。
しかし目の前で話され、弘毅にはもう無関係でなくなってしまっているから、胸も痛むし嫌な気がする。
親のせいで苦しむ子供。同情。
これが弘毅の甘さであり、痛みだった。


「1億上乗せしてやるよ」


と言ったら、立花は驚いた顔をして、それから不審な表情を浮かべた。
こんな男にまで怪しまれるなんて、頼まれたから買ってやるのはオレの方なのにな。

いくつになっても、金持ちになっても、自分はその中には入れないんだと、こんな時にも突きつけられる。

娘を不憫に思い、慈善の気持ちでいるなど、誰も信じないんだろう。


「では、では、では、そ、その金額で」


と弘毅の気がかわらないよう、慌てふためく立花に、


「やはり会場をひと回りしてくるかな」


と思案げに低くつぶやく。

心の傷をニヒルな笑いで誤魔化して、弘毅は余裕そうにニヤリとした。
もう自分は買うんだろう、しかし、お前は気を揉んで反省しろ、と思う。


「えっ⁈ 」


と目の合った立花に、


「それで他に話を振るなよ、そこで待っとけ」


今にも決めたかったであろう立花は、あからさまにのけぞり、それでも縋るように、


「気分を変えてこられましてな、すぐ! すぐ!、書類の準備しておきますから」


と引き攣りながら、縋るように見てきた。

確かにこのご時世、現金で3億の交渉をする人間は限られているだろう。
弘毅を逃せば、彼が借金をしている筋より、もっとヤバい人物がで出来て、彼はもう二度と世に戻れないような事になる。

娘もか⋯⋯ 。

必死なのも頷けるが、しかし、そこに子を巻き込んだのは面白くない。
かと言って、弘毅が拒めば、その子の未来すら想像に難くない。

人助けか、柄にもない。
身寄りのない子を引き取るような感覚か⋯⋯ 。


「とにかくひと回りしてくる」


と言い捨てて、小部屋からパーティー会場に足を踏み出した。     

同情していたらキリがない。
それぞれが自分でどうにかしなければいけないんだ、と冷めた気持ちもある。
しかし、親のしでかした事を背負わされるのは、本当に子として許せないと思う。
仕方のない不幸もあろうが、親がバカをしてそれをかぶるのだけは、その親が許せないから心が痛いんだ。

面と向かってはっきりとかかわってしまうと、急にその見知らぬ1人の若い女の子の人生の重みがズシリとかかってくる。
聞いてしまって頼まれて、ただ交差するだけの他人が一瞬で無関係じゃなくなる。

親の罪悪感。

赤の他人なのにその一言で心が疼く。自分だってそうだったんだ、親のせいでこうなり、一瞬で無関係でなくなった他人のお陰で、今、ここにいる。
感傷に浸りながら、弘毅は会場を見渡した。

ここにいる人達。本当に苦労を知らない金持ちは、お優しく善行を施すが、所詮自分と関係ない、立場が違うと割り切っている。さも同情してくれるが、自分たちとは無関係なんだ。


《まぁ、ご苦労なさって偉いわ、私達には想像もできなくてよ、》
《自分でぜんっぶしなきゃいけないなんて、はぁ》
《お掃除は? どうされてたの? わたくしなんて、ほら、ずっとお手伝いさんがくるのが当たり前だったでしょう? お掃除もした事がないのに、そんなんどうすればいいの?》
《あー、うちもないない、》
《それはそうとあなたの欲しがっていたバックだけど⋯⋯ 》


彼女達の想像する大変な不幸は、自身で掃除をしなきゃいけない、だったりする。
珍しく話した弘毅の母親の死に、掃除はどうしていたのかとまず心配され、すぐにブランド品の話を同列にされた時は、あぜんとしたもんだ。

さっきの小部屋もパーティー会場も落ち着いた光に柔らかく照らし出され、多くの上流階級と言われる人々は、上品そうに、穏やかな声色で談笑している。

その実、他人の痛みに疎く、内面はぬけめなく全ての人を観察をしているのだ。他人の弱みは、いつのまにか皆が知るところとなる。

まるで興味がなさそうな顔をしながら、チラリと自分を伺う、体格の良い婦人のその下心がつきささる。

(ゲスい心根を上品な面を被って隠しやがって)

好奇心旺盛な視線は大嫌いだ。

へぇー、という、好奇心が丸見え、そのたびに心底その人が嫌いになる。
その上、知り合いでもないくせに、まるで、ワタクシが存じ上げてるんですよ、と、弘毅をダシに知ったかぶりで自慢し合うのだ。

確かに、45にもなって、この様だからな。

しかしこんな場は、本当に仕事の話に繋がる。先ほどのように、取引があったりしているのだ。


✴︎


この会場はホテルではない。
S倶楽部という名門のゴルフ場のメンバーだけが使える社交場だ。有名建築士が設計した由緒あるこの館で、パーティーを年に何回か行なっている。
日頃はクラブメンバーだけが個々に使用できるレストランになる。

落ち着いた建物に、落ち着いた照明。
趣味の良い調度品や食器。
華美すぎない食事。

ホテルの宴会場ほども広くないこの部屋の前面は大きなガラス窓で、敷地内の庭の大きな木がゆれている。
弘毅はこの場所は好きだった。
アンティークのドイツ風。どっしりと落ち着いていて、なぜか懐かしい。

静かな談笑の中、時折挨拶を返しながら、実は無意識で探していた。

立花の娘は⋯⋯ 。
知るはずがない、弘毅に買われそうな花嫁は⋯⋯ 。

しかしこんな時、弘毅は自分の勘の良さに辟易する事になる。(あの子だ)と分かったからだ。
他の人から、まるでくっきりと1人だけ、浮かび上がるように弘毅の目を捉えた。

たぶん、おそらく。

だいたい、弘毅のように1人の参加者なんてほとんどいない。
若い人で、それでも40代以上。
家族会ではないのだ、子供は来ていない。
別の日の、家族での集まりで子供もくることがあるが今回のパーティーは違う。
子育ての落ち着いた、50代以上がほとんどだ。
お互いが元気にしていたかと確かめ合うような場になっているこの会場で、たった1人、ポトンと落とされたように、しかも、その心細さを凛と自分だけで何とか立て直そうとしている若い女。

彼女だと思った。

壮年の男性がたまにチラリと見るが、今回はほとんどが夫婦で来ている事もあり、誰も話しかけない。

社交的に挨拶はしても、立ち入って話しかけるような事もない。
しかも立ち入るのをハッキリと拒むような雰囲気が彼女の側にはあった。

長い髪を、それでも肩より前に落ちてこないぐらいには背筋をぴんと真っ直ぐに、たった1人でも、誰の手も必要としない強さでいる。

まだあどけない白い顔を、柔らかそうな頬を、ピンク色の唇を引き結んで⋯⋯ 。

  
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