買われた花嫁は、極上の花の蕾
10、蕾は極上の花開く
マンションに帰宅したら心底ホッとした。
いつのまにか、もう、ここは華也子の家だった。
自分の持ち物があるわけでもないし、自分が選んだ家具があるわけでもない。
でも、世界で一番欲しいものが、たった一つだけある。
この家には弘毅がいる。
それ以外欲しいものなんてない、と華也子は思った。
グズグズ泣いているまま、車から降ろされ、弘毅と部屋に戻った。
彼は甘やかすようによしよしと頭を撫で、泡のお風呂をためてくれた。
華也子は一人で湯船につかった。
体を拭いて適当に寝巻きを着て出てきたら、外で待っていた弘毅に自分の部屋のベットに寝かされそうになったから、華也子は強引にそれを振り払って、弘毅の部屋に急いで突入した。
パタン!
今まで、勇気がなくて出来なかった事、弘毅にちゃんと気持ちを話そうと思う。
いつもみたいに『おやすみ』なんて、優しそうで全然優しくない扱いなんて、もう我慢できなかった。
弘毅のは部屋は、マンションのどの部屋とも違い、彼の生活の匂いがしていた。少し散らかっていて、弘毅の持ち物だらけで、やっと彼の素が見れたような気がした。
彼のベットに登って、彼の布団を勝手にかぶり、絶対に部屋から出ないと意思表示したら、
「おいおい」
と笑われた。
「何してんだ? こら」
「ここで寝るわ。弘毅も来てくれなきゃヤダ」
どこで、こんな話し方を知ったんだろう、私、と華也子は思う。こんな子供みたいな話し方をしていただろうか。しかし、これも華也子の地なのかもしれない。
弘毅に甘えている。弘毅を試している。この人に自分はどこまで許されるのだろうと考えている。
華也子は弘毅がいい。彼を手に入れたい。
我慢なんてしたくない。
『だから、』なんて苦しそうに言わせない。
✴︎
弘毅はブツブツ言いながら、さっさとシャワーを浴び、バスローブで戻ってきて、ベットの横に腰掛けた。
「まだいたのか? 」
と手で華也子の頭を撫でた。
弘毅の手は優しい。
これで華也子を突き放そうだなんて、出来る訳ない。
手から彼の気持ちが伝わってくるようだった⋯⋯
✴︎
⋯⋯ あの時会場で華也子を見た瞬間、魅入ったんだ。
あどけなくて、怯えながら顔を上げて妙に肝の座っている女。
まだ花開いていない、極上の女の蕾
いい男に愛されれば簡単に花開く、今か今かとその男の手を待つようだった
オレが断れば、おやっさんは違う男にお前を売るだろう、我慢できないと思ったんだ
突き動かされるような衝動だった
一時も信用ならない親父の元に置いておけなかった、すぐに誰かに彼女を売るかもしれないと思ったんだ
オレが必ず、解放してやると
必ず自由にしてやると決めた
話してもっと深く本気で惚れた。
実際の彼女は、真っ直ぐで単純で、ちょっと生意気で気遣いがある。彼女の強さも弱さも愛しい
いい女なのに、外に出ようとしない
その魅力をオレなんかに向ける
明るく照らす太陽のようだと思った
オレの全財産くれてやってもいい
君は誰よりも幸せになるんだ⋯⋯
✴︎
⋯⋯ 頭を優しく撫でる弘毅に、華也子は話しかけた。
「ねえ、弘毅」
「ん? 」
「私じゃなくても買った? ううん! もしもの話なんて意味がない! 私以外の人を買わないでよ」
「⋯⋯ いや、買わねぇよ」
「私を追い出すの? 」
「⋯⋯ 自由になるのは華也子だ」
「そんなこと、別にしたくないわ⋯⋯ 」
「君はオレの好みなんだよ、どんぴしゃの。
だから好きにさせてやりたいよ」
弘毅の好みなんだ⋯⋯うっ ⋯⋯ と華也子ちょっと言葉につまったが、だからと続く弘毅の言葉は、苦しそうだった。
「あとオレが20若けりゃね⋯⋯ だからお前はやはり⋯⋯ 」
華也子の頭を撫でる手にグッと力がこもる。
それでも、弘毅はまだそんなことを言う。
「バカな人ね、抗ったって、わかってるのに! 」
と華也子は布団の中から目を出して、彼を睨んだ。
「くそ、どうして君はそうやって、間違えるんだ⋯⋯ いろんなことをしてきたんだ、見る目と運だけはある。オレの目は確かだ、自信がある」
とクシャリと華也子の頭を撫でた。
「お前がオレに1億円で買われたのなら、1億お前にやるから、それで買い戻せよ。でも、オレはいらないから1億持って、ほれ、自由だよお前は」
「何言ってるのよ、結局どちらもあなたのお金じゃない! それじゃぁ、あなたは2倍払うだけじゃない」
と笑えば、
「はっ、バカにするな。何なら上乗せしてやろうか? 海外セレブ並みに」
と自信たっぷりに続けた。
「君にはそれだけの価値がある、オレが言ってるんだ、自信を持て。どんなものも手に入る。君ならば。どんな若い男だって、どんな新しい人生だって⋯⋯ 」
と言葉が途切れた。
「オレは25も上なんだ⋯⋯ 。お前はちゃんと考えるんだ、幸せになれるんだから、ちゃんと⋯⋯ 」
「そんなこと無理よ」
べそべそと、華也子は泣き出した。
「あなたでなきゃ嫌だと私が言ってる、聞こえてる? 私はあなたがいい! どんな過去も、年齢もお金も関係ない! あなたがいいの」
私は私だ、私の気持ちも私のもの、私の幸せは私が決めると華也子は思った。私は自由だ。
「あなただけが欲しい、この世で、あなただけが欲しいのよ! 」
「あぁ、」
と弘毅が唸った、華也子の目からボロボロと涙が落ちた。
「あーあ、泣くなよ。どうすりゃいいんだ」
「私が他の人の物になってもいいの? キスされちゃったり、もっと、すごいこともされちゃって、いいの? 」
「⋯⋯ すごいことって⋯⋯ 、」
と弘毅は苦笑した。
「分かって言ってるのか? 」
「分からなくていいのよ、その人にぜんっぶ、教えてもらうんだから」
「はは、それは嫌だね⋯⋯ 生意気なことを言う、オレを傷つける言葉をよく知ってるじゃないか、なかなか痛いね⋯⋯ 」
「おじいちゃんなんでしょ、抱かれなくたってかまわないのよ、どうせ知らないんだから。食べたこともないものを欲しないんだから」
「そんなこと言って⋯⋯ 」
「だって、どうして? 私はここにいる! 今、目の前にいる! あなたに縋っている!
だのに、なぜ、じっとしているの? 」
華也子は必死で弘毅に言った。年の差が何だと言うんだろう。
「幸せって何? 」
華也子は弘毅の頬を掴んで、自分に真っ直ぐ向けさせた。弘毅は晒すから。年令差を理由にまだ自分じゃダメだと思ってるから。
「ここにある、それ以外の何が幸せだと言うの? 」
弘毅の瞳が華也子だけを映し、華也子だけに魅入る。
「私はあなたが好きだわ。だから、あなたから拒否されたら、どうせ一生、このまま一人よ」
「そんなことないだろ!⋯⋯ 何言ってんだよ⋯⋯ 極上の女が!⋯⋯ 」
と彼は泣きそうな顔をした。
「私はワガママなの。あなたじゃなきゃイヤ。弘毅じゃなきゃ、嫌なの! 」
「⋯⋯ 」
「もう出来ないのを気にしてるの? それならさっき言ったようにかまわないのに」
「⋯⋯ 全く⋯⋯ 誰が抱けないんだ? 人の気持ちも知らずに⋯⋯ 」
「だって⋯⋯ それか、もしかして、私なんて欲しくない? 」
「はっ、ばかな! ほんとに男の気持ちのわからん子だな! 」
「じゃぁ、もう、抑えないでよ⋯⋯ 」
「あんたしか欲しくないよ、もうずっと」
「弘毅が幸せにしてくれなきゃ嫌よ。子供もいっぱい産む。弘毅は運動会で走らないといけないから、鍛えなきゃならないわ」
未来の話、でも必ず実現する予感が2人の間に確実に存在していた。
弘毅が、少し体を起こして、華也子をじっと見つめた。
「本当にいいのか? 」
「⋯⋯ どうすればいいの? 」
と華也子が問えば、
「策なんて弄さなくていい、そのままでいいんだ」
と彼が熱さを抑えるように言いながら、フッと優しく笑った。
「オレがいなくても、笑いながら楽しく過ごせるしたたかさや強さは欲しいが、ベットの中ではバカみたいに素直なのが可愛いよ。何でも教えてやる、真っ新な君に、オレ好みに仕込んでやる安心しろ」
と言いながら、溺れるように華也子の首筋に顔を埋めた。
「あぁ、刺激的だ⋯⋯ 。余裕なんて、なくなってしまう、素直で天然で極上の君に⋯⋯ 。君みたいな人は天性で知ってるんだろ、惑わせ方⋯⋯ あぁ、極上だよ、誰より⋯⋯ 」
弘毅の心の中が言葉になって華也子に伝えられる。こんな時、華也子はなんて答えて良いのか分からなかった。
オレの最後の女だから⋯⋯ と弘毅は囁いた。
「オレの体も、人生も、命も、過去も、財産も、全部お前のもんだ。好きにすればいい。
そのかわり、オレの愛は重いぜ。なかなか死んでやらない。死んでも取り付くかもしれない」
「取り付けばいい、私がお墓から引き摺り出してあげるわ⋯⋯ 」
✴︎
⋯⋯ そんなこと言って
ワルいみたいに、奪うみたいに彼は言った
なのに、最初、酷薄そうだと思った彼の薄い唇は、そっとそっと宝物のように触れてきて
大切に大切に華也子を扱う
なんなの、こんなに大事にされたら涙が出てくる
彼は経験豊富なくせに、まるではじめてみたいに、怖がりながら華也子を辿る
引き摺り出してあげる、あなたを⋯⋯ と唇に噛み付いたら、驚いたように、コラって言った
彼の下で睨んだら、優しく獰猛にニヤリと笑う、目には命より深い愛情
彼と視線が絡み合う
〈仕方ねぇな、もう足らないのか?〉
と彼が低い声でささやいた
熱を孕む深い声
〈そうよ、愛してるから、全部ぶつけてよ〉
はむ
柔らかくて形が薄いから? 彼だから? 上唇も下唇も、優しく柔らかく、獰猛に、執拗に、たどる
確かに慣れているのかもしれないが、私は彼の生涯、最後の女なんだ
過去を比べればいい
誰と比べても、誰よりも、自分は極上で彼の最後の女なんだ
✴︎
蕾が開いていくように、華也子は花開いていく。
愛され、愛し、大輪の花のようだった。
(まだ20だもんな)
と弘毅は思った。
まだ、彼女は20なんだ。もう覚えていないほどの20才の時代。
若々しく華やかで張りのある彼女の頬は、輝いている。
やがては、彼女からオレの血を分けた子供が出てくる。
オレより華也子に年の近い赤ん坊。
執着する。
何度でも自分の証を刻み、何度でもその結晶を手にして、彼女をオレの生の証で溺れさせたい。
(岩に齧り付いてでもか)
自分は生に執着する事になるんだろう。
長いこれからの人生、足掻き続けるんだろう。
最後の瞬間まで。
貪欲に、しがみつく。
1秒でも。
(なかなかな人生じゃねぇか)
と弘毅は苦笑いした。
✴︎✴︎✴︎おわり✴︎✴︎✴︎