買われた花嫁は、極上の花の蕾

4、彼はワガママな女が好きという


華也子はあれから考えていた。

《離婚してやる》
《自立させてやる》

弘毅が言った。その言葉が頭の中をまわる。

(私、離婚されるんだ、)と思った。
(だれと? )と自分に問うたら可笑しくなって笑ってしまった。

夫と離婚するに決まっている。

華也子の夫の広岡弘毅と離婚する。華也子に1億払って、手放そうとしている人。
バツが悪そうに笑う人。

そして、華也子はすでに全く自由だった。1人部屋もある。お金も使うようにと置いてある。外にも出られる。

自由すぎた。自由すぎて、何のつもりか全然わからない。
弘毅とは、偶然顔を合わせたりちょっと話しぐらいはしていた。彼はただ優しくて親切で大人で『金はあるか? 』と聞くから『ある』って答えている。

弘毅は具体的にどうするつもりなんだろうと思った。離婚するにも日を決めて、準備もしなきゃいけないし、仕事も見つけなきゃいけないと思う。

何不自由ない、不自由もないんだけど⋯⋯ 。
せっかく自由らしいが、でも自由なのかどうかわからない。根本の立場がわからないからだ。
無視でもなく、親切に扱われ、本当にただ自由にさせてくれて何不自由ない、快適よ!

いったい何なんだろ、この状況⋯⋯ 。

辛いといえば贅沢だし、快適といえば嘘になってしまう。足元に何もない空間が広がっていて、ポツンと何かわからない足場に、かろうじて立っているみたいだ。

どちらの方向に足を踏み出せばいいのか、周りにどの道もない、踏み出したら何もない空間に落ちて呑まれてしまいそう。

そう思ったら、今日こそは弘毅と真面目に話さなくてはいけないと強く思った。


✴︎


リビングで待ち伏せして、勢い込んで弘毅をひっ捕まえて、きつく問いただした華也子は拍子抜けした。


「さてどうしたもんだろうね」


と弘毅が言ったのだ。
華也子も何だか勢いが削がれて、ソファーに座り込んだ。

広いリビングに沈黙が落ちた。

2人ともこの部屋を挟んで、それぞれの自室にばかりいるので、ほとんど華也子はリビングで座ったことがなかった。

生活感のない、使われていない広いソファー。体がじわじわと沈んで、ちょうど良いところでとまった。

動くのが億劫になるようなダメダメなソファーだな、と華也子は思った。
全身の力を抜いて、ソファーに体を預けて、だんだんソファーと自分の体の境目がわからないみたいな妙な気分がする。

これじゃぁダメだろう。自分なら、もう少し⋯⋯ なんて言うのか、もう少し普通のソファーにする。


「何なんだろ、この状況⋯⋯  」


と小さくつぶやいたら、


「何なんだろうな」


と彼もいう。それから苦笑した。
私達、無計画。なりゆきまかせ。結構それもどうでもいい。ちょっと面倒臭い。ま、いいんじゃない? と、いろいろな気持ちがごちゃ混ぜになり、ふと、近くに同じような格好で黙っている弘毅も、多分、同じような気分になっているのだろうと感じた。


「私はどうなればいいんだろ」


と、質問しようとも思っていない疑問を、華也子はちょっと口にしてみた。


「どうしたいんだろう。どんな大人になればいいんだろう」


横で弘毅がため息をついた。


「まだまだ、だな」


と言った。


「まだ、ダメじゃねぇか」


華也子が返事をしなかったら、


「おい、聞いてるか? 」


と、前を向いたまま言った。


「オレにそんな事言うな。好きにされちまうぞ。男を振り回すんだ、ちゃんと計算してワガママに見えてしたたかに。主導権は渡すな。男を使って幸せになるんだ」


隣の弘毅も、このやっかいなソファーに飲み込まれそうにじっとしながら、低い声で、別に華也子に言うでもなく話していた。

成り行きのまま、2人で話をしている。
この成り行きに、お互い困っている。
ソファーはこんなだ。

同じだな、と華也子は思った。
なぜか彼の気持ちが透けて見えるように感じるた。隙のない大人の顔をした弘毅の中の、ホントの彼の姿は華也子と同じだ。

胸が苦しくなるような気がした。

こんな状況じゃなかったら、知り合いにもならなかっただろう。でも、今、同じ状況に放り込まれた2人だ。妙な感覚だ。同志というか、他に誰もいなくて、この世に弘毅しかいないみたいだった。

華也子は知りたいと思った。25才年上の弘毅だけど、全く同じ今を過ごしている隣の弘毅。感じることも、欲しいと思うことも、悲しいと思うことも、きっと年齢じゃない。同じ時間と同じ気持ちなんだろう。

弘毅の強がりが分かってしまう。素顔が見えてしまうと、なんていうのか、どうしていいのかわからない
なんでそう思うかもわからない。

でも華也子は今、苦しいほどに弘毅に聞いて欲しいと思うから口にした。立ち入って欲しくなっている。こっちを見て話してほしいと思っている。

華也子が立ち入って欲しいのと同じぐらい、彼に立ち入りたい。弘毅を知りたい。
理屈じゃない。

華也子は弘毅に近づきたいんだ、と思った。

ぽつりぽつりと言葉をつなぎ、お互い相手に話しかけるでもなく、しかし、2人きりで話している今。
彼の妻として、同じマンションに住んで、そのリビングで話している今。


「ワガママに見えるようにするの? 」


と聞いたら、


「いや、ワガママな女になればいいんじゃないか? 」


と弘毅が言った。
見えればいいんじゃなくて、本当にそうなるって事? 反対の意味かその通りか、華也子には読み取れなかった。


「ワガママでいい。したたかな方がいい。
強くいて欲しい、自分がいなくても、ヘでもないような」


ワガママって何だろう。


「一日中、男を待ったりするな。世界でオレだけだと言ったりするな。男に左右されるなよ、強く凛としていればいい」


それから、眉毛だけ上げて、横目で華也子を見た。


「オレはワガママな女が好きだよ」


と彼は言った。


「じゃぁ、ワガママになったら離婚しない? 」

「オレはダメだ」


と弘毅は間髪入れずに言った。


「オレなんてダメだ」

「なぜ弘毅はダメなの? 」


華也子の声はソファーに吸い込まれるみたいだった。弘毅の言葉も華也子の質問も、宙ぶらりんに消えてなくなる。

しばらくして、弘毅が、


「オレは施設育ちなんだ」


とボソッと言った。らしいのからしくないのか、それほど弘毅を知っているわけじゃない。でも、だから何だというんだろう。弘毅はチラリとさりげなく華也子に視線を向ける、伺っている、華也子がどう思うか気にしているのだ。


「ふーん、それで」


と華也子は特に取り立ててそれで今の彼と関係しているわけじゃない、そんな事で判断しない、という感情を示したつもりだった。
通じたのか通じてないのか、さして興味がないと思われたのか。

弘毅はポツポツと、ソファーに埋もれたまま、華也子に向けてなのか、独り言のように話す。
華也子は、その声を、やはりソファーに埋れながら一言も聞き漏らさないように聞いた。

《中3の時に、線路にふらついて落ちた老人を助けたんだ、その後もお小遣いをくれるので何も考えずに手伝いに行っていた、金の分ぐらいはなんかやってやるよと思っていたんだ。ある日まとまった金の包みを渡された、絶対使うな、税金を払えと言われた、手をつけずにいたら、じぃさんが死んだ。小さな古い家を相続する事になった。じぃさんは身寄りがなかった。言いつけ通りに相続税を払って、でも、次の税金は? こんな古いもんもらってどうするんだ? バカなもんくれたと考えていたんだ。しかし再開発される区間に入っているのが分かった。粘って粘って吊り上げて、金を得た。それを元手に転がして、それで今こうして独り身だ》


誇れるもんじゃない。努力だか何だかわからない。成り行きのように、表面だけ金持ちになって、その実、彼の心は小さい頃のまま、世間の中でただ1人で彷徨っているのだ。


「まぁ、別に不満足でもねぇ。このまま1人でいいんだ」


と弘毅がぽつりと言った。
不満足ではない、だからといって満足ではない。不幸ではないが幸せではない。華也子もそんなところだ。

その結果、弘毅は1人でいいんだろうか、と華也子は思った。




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