買われた花嫁は、極上の花の蕾

5、あなたのために生きたい


『オレは1人でいいんだ』

と弘毅は言った。
華也子を解放するためだけに買って妻にしたと言った。
なのに一向に具体的な事を決めてこない。
実際に今、華也子が解放されたところで、どうにも出来ないのも確かだ。

自由にさせてくれるってやっかいだ。自由って華也子が決めてそうしていくってことだからだ。

華也子がどうしたいか、華也子が決めなくてはいけない。

弘毅がそれを決めたら、自由にさせてやるって事が崩れてしまうからだ。
しかし実際のところ、ここに華也子が存在していて、弘毅はさてどうする事がいいのか、何不自由なく整える事しか出来なくなっている。

弘毅自身は、マメな男のようだ。

お手伝いさんもいるようだが、基本身の回りのことはさっさと自分でしてしまう。帰るとすぐに彼の部屋の方の洗濯機の音が微かに聞こえる。

華也子には食事を運んでくれる人がいるのに、彼は自分で作って食べているようだ。あっという間に使ったキッチンまで片付けて、まるで巣穴に戻る野生動物のように部屋に篭ってしまう。

孤独でいたいネコ科のヒョウ?

なんて。

同じマンションにいても、めったに姿を見ることも出来ない。彼の家だと言うのに、足音さえあまり立たず、しなやかに、隠れるように、彼は過ごしている。

弘毅はそれでいいの? と思った。こんな風でいいの?
でも(私は嫌だ)と華也子は思った。

不自由のない私はどうしたいのか。
私が自由にするならば⋯⋯ 。

私は一人でいたくない。
弘毅も一人にしたくない。


✴︎


「何してんの? 」

「晩ごはん」

「なんで」


瞬間、チラリと弘毅の顔に出たのは嬉しそうな感情だ。全然、独り身で満足している孤独な野生動物なんかじゃない。この人。

孤独を気取るイヌ科のオオカミ?

食事を見て、涎を垂らしそうに嬉しそうじゃない、華也子はそんな弘毅を可愛いと思ってしまった。


「出かけるのもキラい、1人もイヤ」

「ワガママな子だな」


仕方ないな、みたいに弘毅は苦笑した。
余裕ぶってる、嬉しいくせに、と華也子は思った。
実年齢じゃなくて、彼の精神年齢は同じぐらいなんじゃない? それとも⋯⋯ と華也子はこっそり思った。
弘毅は《オレは大人で年上、45なんだ》と振る舞いたがるからだ。カッコつけている。


「弘毅が相手してくれないと、私、1人だわ」

「だけど、そんなことしなくていいのに⋯⋯ 」

「じゃ、何をしていろと言うの? 」

「旅行か、買い物か、 」

「また決める! 」

「じゃどう言ってほしいんだ? 」

「ただ好きにすればいい、と言えばいいのよ」


弘毅が黙って華也子を見た。

部屋の中で、2人きり。空気がなにか、ふと緊張をはらんだものに変化している事を華也子は感じ取っていた。
濃度が急に濃くなったみたいだ。

弘毅は自分自身の素を、全く彼の中に押し込めている。
それが思わず溢れてきて空気が濃くなったみたいだ。華也子に対する彼の気持ち、余裕ぶって隠している彼の素の感情。
そんな1人でぜんぶぜんぶ、押し込めて抱え込んで1人ぼっちで生きていくなんて、嫌だ。

表面では世間的にキチンとした立場を築いているようで、その実、便りなく流されているみたいだ。

(私がいるのに! )と華也子は強く思った。

出して欲しい、彼の生の感情を。
強く抑えている感情を、抑えきれないぐらいの何かに突き動かされて、引き摺り出してやりたい。


「料理したい」


と華也子は弘毅の目に挑むように言った。
絶対に晒さないんだから。
彼の押さえている気持ちと同じぐらいの強さで、


「弘毅と一緒に食べたい」


と言った。彼の目の中が揺れる、その感情、手を伸ばせば触れられるんだろうか。彼自身に。


「掃除したい」

「⋯⋯ 」

「何かしていたい、」

「⋯⋯ 」

「役に立ちたい、弘毅の」

「⋯⋯ 」

「生きていていいと言われたい、あなたに」


弘毅は実際のところ、華也子を好きにさせて、好きに生かせてやりたいだけだった。

だからどうすればいいのか。

衣食住はいくらでも与えてやれる。 
しかし彼女の生き方までは決められない。

解放してやりたくて連れてきて、さぁ、と戸口を開けて、外に向かってどうぞと言ったところで、なぜか、弘毅の方向に向いてしがみついてきたみたいだ。しかもそれが華也子が自由にしている事だった。


「生きていていいなんて、当たり前じゃないか⋯⋯ 」


真っ直ぐに向かってくる華也子に、弘毅は戸惑っている。
弘毅は大人しく、成り行きじゃ仕方ないみたいな顔をしながらいる。

華也子に誘われて、彼女の作った食事も一緒に食べた。こんな事をしていていいのかと思いながら、しかし、華也子が彼女の自由にすれば良いと思うから、そうしかしようがない。

食事中、華也子がじっと弘毅の顔を見ていたら、


「なに? 」


と苦笑いした弘毅と目が合った。


「教えない」

「生意気だな」

「どうやって生きていけばいいのかわからない。弘毅と一緒にいたいって言ったら、どうする? 」

「困った時にたまたま見たのがオレだから、ヒナのように思っただけだろ」


とこともなげに弘毅は言った。
こんな状況だからな、だからこそ彼女を戸口の方にむけて背中を押さなければならない、未来に向けて、広い世界に出ていけるようにと、そして自分の感情は抑える。

弘毅のいるところは、もうこんなだ。
成り行きだけでここにいる、人生の半ばの男。この先も1人だけの人生。


✴︎


華也子は、ゴロゴロと自室のベットに転がりながら、彼のことを考えていた。
同じマンションの、扉を開けたところに彼はいる。近くて遠い。

広岡弘毅
45才
身寄りなし

人を買った。

でも優しい。

優しいとこしかない。優しいために強い。
彼を知りたい。






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