買われた花嫁は、極上の花の蕾
7、解放してやるよ
近寄ると、あわてて逃げる。
知らん顔をすると、捨てられた子犬みたいな表情をしている。
最近の弘毅。
華也子は近づこうとしているのに、彼からは絶対に手を伸ばしてこない。華也子に立ち入れさそうとしない弘毅の気持ちの強さ、自分をおさえる強さに、華也子は逆に気持ちが抑えられないような気がする。
あわてて1人の巣穴に戻り、それでいいのだというフリをしながら、全神経をこちらに向けているような、頑なで頑張っていて、しかもそれが華也子にとってその方がいいと思っているから、何だかたまらない。
巣穴から引き摺り出したい
弘毅の過去を聞いた。施設の事、助けた老人の事、彼の母の事。
挙げ句、自由にさすために花嫁を買って、離婚してやると言う。華也子を自由にしてやると言う。
それならば華也子は弘毅に、一緒にいて、と言った。
「人生何が起こるかわからん、あきらめず、でも欲しがりすぎずにな」
先日。弘毅はそんなことを言っていた。
「欲しがればつらい。どんなに手を伸ばしたって欲しいものは手に入らない。なのに、なんの苦労もせずに突然何かが転がり込んでくる。
そんなもんだ。プラマイゼロだろ。欲張るな。
奢るな。本当に欲しいものは、手に入らないんだ」
だって。
そうだろうか、と華也子は言った。
「欲しいものにだけ手を伸ばして掴んでいけばいいじゃない、転がり込んできたものだって、絶対に気に入ったら手放さない、全部私のもの」
「なかなかいいね、」
と弘毅は笑った。
「若くて欲があっていいよ。華也子ははっきりしてる」
「私は自分の気持ちは分かってるのよ、はっきりとあからさまに、間違わないわ、迷わない、だって自分のことだから、後悔しない」
だから、と弘毅を見た。真っ直ぐな視線だった。
「だから弘毅といたい」
弘毅は困ったように、
「そんなこと、簡単に言うな」
と言う。
「じゃ、弘毅はわからないの? 自分の気持ちすら? 」
「いや⋯⋯ 」
シラっと弘毅は答える。
正直、華也子は少し焦っていた。
なかなかに弘毅は頑固だし、曲げないみたいだからだ。
手に入らないもの、手を伸ばしてはいけないもの、信念としてそう言っているかもしれないが、伸ばせばいいだけだ、と華也子は思う。
「引っ付かせて」
「やめろ」
「だって! あなたしか会う人がいないんだから、誰かにさわりたい」
「今までどうしてたんだ⁈ 」
「父はあんなでしよ、あまり家でも会わなかった。でも、学校は楽しかったし、お手伝いさんにも可愛がってもらってた。私は人恋しい」
それでも華也子の手を避ける弘毅に、
「誰かいるの? 弘毅には、私以外に誰かいる? 」
と聞いたら、
「いねぇよ、そんなもん」
と言った。
「じゃ、いいじゃない。だっこしてよ」
と強引に弘毅の胸に顔を埋めた。
安心する温もり、匂い。男の人の体。ちょっと体温が高くて、細身でも広くてがっしりしていて、すっぽりとおさまる。
彼の体の緊張が、なんだか、自分が優位な気がする。
「バカだな」
と言われたから、もっと体を全部預ける。
弘毅は華也子に触れてしまわないように、両手を宙に浮かせて、全身の力を入れている。
そのまま、間近に彼の顔を覗き込めば、長いまつ毛と、高い鼻梁、薄いほおの肉。
まつ毛の奥には、何かにけぶる瞳⋯⋯ 。
知らない熱い熱い熱をはらんだ、目。
見たい、熱に溶かされたい、包まれたい、あなたを知りたい。
「何してんだ⁈ 」
「ユウワクしてるの! 」
「⋯⋯ 」
「好きにしてるの! 」
「やめとけ」
「どうして? 買ったのにどうして好きにしないの? 」
「その気にならんからな」
「その気って? 」
「やめるんだ! 自分を大事にしろ! どうなるか分かってんのか? 知らんぞ⁈ 」
「どうなるの? 」
と華也子は強く弘毅を見つめた。
「あなたは今どうなってるの? 」
弘毅は答えられなかった。
「それで、どうなるというの? 」
弘毅は、答えなかった。
手を宙に向けたまま。
しばらくして、
「気が済んだか? 」
と低く言って体を離した。
✴︎
弘毅は1人で華也子の事を考えていた。
バカな女だな、と。
早く離してやらないといけないんだ、あんなバカなあんな魅力的な女は。
幸せになるべきなんだ、オレじゃない、だって45だぜ? オレは。
苦しくて、息が出来ないほどだと思った。
✴︎
華也子に父から連絡があった。何年も、あんなに無関心そうに、不自由なくさせていた父は、もしかして『自由』にさせてたつもりだったんだろうか。
なんか、愛情が変な人だ。
華也子を弘毅に売っておいて。今更、父は華也子を心配し出したのだ。
《酷い目にあってるんやないか? あんな薄情そうな男、暴力振るわれてへんか? 変な要求されてんとちゃうやろな》
華也子はいらっとした。
「弘毅はそんな人じゃないわよ」
と言ったのに、
《好き放題されてるんじゃないのか? あんな育ちの悪い男だ。金はあっても、何をしてきたかわからんから⋯⋯》
「そんな! 」
華也子は腹が立った、あんな、傷ついてあんな頑固なほど高潔な人なのに!
「父、それ以上言わないで下さい。弘毅は何もしないわ。全く酷くもない。私の嫌なことは何一つしたりしない」
私の気持ちにすら答えてくれない、と心で思う
《じゃ、お前》
「そうよ! お父さんが思うようなことは何もないわ。私にだって、変なことは一切してない! そんな人よ! 」
父が何か思案気に黙った、華也子は怒っていて、父の思惑に全く気が付いていなかった。