虜にさせてみて?
「響君、今日の夜は帰りが遅いからコンビニしか行けないけど、今度行ってみたい場所とかある?」

さりげなく聞いてみる。

「つまんなくないとこ。あっ、近くにバーらしきものはがあるだろ?あそこがいい」

案内した時に通りすがりに建物を見たらしい。オーベルジュの坂を下ったバーは、響君には教えていなかった。

「あ、あそこは駄目!」

「何でだよ?」

「駄目ったら、駄目なの!」

私が思いきり拒否すると、面白くなくなったのか無言でラウンジの中に戻った。

だって、あそこには……。あのバーには……、私は立ち寄ってはいけない理由がある。

まだ響君には真実を知られたくない。否、知られても構わない。

ただ、私の心が動かない内は駄目なんだ。響君は私を軽蔑するだろうか?

それ以前に人として最低だ。救いの手などないかもしれない。

その後、お客様が来て響君は営業スマイルで接客中。拒否した私など眼中に入れたくないのか、私に頼ることなく、お客様に出すコーヒーや紅茶の準備をしている。

一人前に仕事をこなしてくれれば、私的にはありがたいのだけれども。何故だか、切ない。不穏な空気は漂ったまま、私は退勤する時間を迎えた。

一足先にタイムカードをきり、自分の部屋の中。

響君の仕事は夜のバーまでで、閉店は23時。

ノーゲストなら時間になれば閉めて良い。現在、23時50分。

鳴らないスマホとにらめっこしている私。メールを入れといたのに連絡はない。

今日は駄目かな? 話をしたかったのに。

今日で揺らぐ気持ちとは、さよならしたかっただけなのに。

物思いに耽っていると部屋のドアを叩く音が聞こえた。

自分の世界に入り込んでいた為にドキッとしながら、携帯をテーブルに置いてドアに近づく。

「響君がひよりを待ってるみたいだよ。二人は仲良しなの? いーなぁ、響君、カッコイイしさぁ」

訪ねて来たのは、この職場で一番の仲良しの美奈だった。
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