君を愛せないと言った冷徹御曹司は、かりそめ妻に秘めた恋情を刻む
「お母さん、両想いになれるのって奇跡だね」

きっと天文学的確率だ。

恋愛相談などしたことはないのに、いきなりそんなふうに話しかけたから、母はびっくりしただろうか。

……お母さん、私、初めて好きな人ができたんだ。

でも私ではだめだった。

「あっ、お母さんのせいじゃないよ」

それだけはちゃんと言っておかなければ。

誰のせいでもない。私と郁人さんはこうなる運命だったのだ。

どこか遠くへ引っ越すのもいいなと考えているから、母にしばらく来られないと告げて寺院をあとにした。

移住する前に行きたい場所がもうひとつあった。

私の足は、以前母と住んでいたアパートの方角を向いていた。


再びバスに乗り、郁人さんと出会った川の橋に着く頃には日が暮れかけていた。

この辺りには二度と来ることはないと思っていたのに、たった三カ月で戻ってくるなんて。

都内の中心地から離れたこの場所は、相変わらず車の通りもなく、人の姿もない。

あの日と違うのは寒さが和らぎ、ぐんと過ごしやすい気候になったことだ。

橋の上に立ち、静かに流れる川を眺める。

夕日の名残のほのかな色が水面にとどまっているけれど、以前郁人さんが教えてくれた海の生き物の姿は視認できない。

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