君を愛せないと言った冷徹御曹司は、かりそめ妻に秘めた恋情を刻む
「俺はこっちのほうがうれしいよ」

彼は微笑んで、私のマフラーを首に巻いた。

彼が身につけると、とても上質なものに見えてくるからすごい。

「よく似合っています。……それじゃあ」

いつまでも彼を引き止めるわけにはいかないし、私から別れを切り出した。

「ああ」

「さよなら。お気をつけて」

「さよなら。暖かくして休んで」

「はい」

最後の挨拶を交わした。

彼は私が部屋に入るまで見届けてくれる。

結局お互いに名乗りもしないままだった。

玄関ドアを閉めたところで、胸がきゅっと締めつけられる。

名前くらい聞いておけばよかった。

またどこかで偶然会えるといいな。

彼にもらったマフラーに、そっと顔を埋める。

「いいにおい」

彼の体温はもう消えていたけれど、甘い残り香はあった。とても優しいおとなの男の人だった。

――恋の蕾はたしかに私の中で芽吹いた。

この先花を咲かせることはないけれど、彼との出会いは一生忘れない。

「よし! 新生活、バリバリがんばるぞ」

改めて気合いを入れた。

彼もどうか結婚相手の娘さんとうまくいきますように。

彼が何者なのかわからないけれど、彼の幸せを願っている。



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