鉄仮面御曹司が愛に目覚めたら、契約妻は一途な熱情に抗えない
「……おはようございます」
「神楽坂さん、ここ、眼鏡の跡がついてますよ」
 琴子さんが僕の顔を見ながら、自分の鼻を指でさすった。
 それを真似て自分でも鼻の付け根付近を触ってみると、跡になってへこんでいる気がする。
「ああ……昨晩は本を読みながら眠ってしまいました。そういえば眼鏡どこいったのかな。あ、老眼鏡じゃないですからね」
 琴子さんは「別に老眼鏡でもいいじゃないですか」と目を細める。
「神楽坂さんて、自分のことをおじさんって言ったり、かと思えばそういう風に見られたくないようなことを言うし」
「……確かに」
「私は気にしませんけどね、神楽坂さんは神楽坂さんだし。それに四十路はまだ若いですよ、私との年の差はいっそいまは忘れてください」
 多分それが原因ですよね?と、琴子さんは言いながら鞄にスマホを入れる。
 そろそろ出勤か。琴子さんは自分のセミロングの髪をくくる髪ゴムが鞄に入っているのを確認した。
 そうして立ち上がると、あっと声を上げる。
「今日の夕飯は冷やし豚しゃぶしゃぶの予定です。ゴマだれと醤油だれ、両方用意しますね」 
「いいですね、それは楽しみだ。そういえばホテルでもディナーの夏メニューが始まったんですよ」
「そうか、もう夏メニューなんだ」
 その声色は、懐かしさと多少の寂しさを含んでいた。
「それじゃ、いってきます!」
 琴子さんはそれを振り切るように、元気に玄関から出ていった。
 
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