鉄仮面御曹司が愛に目覚めたら、契約妻は一途な熱情に抗えない

話す途中、何度も言葉に詰まり沈黙の時間ができてしまった。
 それでも神楽坂さんは、私を急かすことなく耳を傾けてくれた。
 小さな頃からの私たち姉妹の違い、追いかけていた夢、その為にバイトを掛け持ちしお金を貯めながら製菓学校へ通ったこと。
 『sakazaki』にパティシエと就職できて、沢山の勉強をさせて貰ったこと。
 タイミング的に今だと決め、自分の店を立ち上がる決意をした。そうしてテナント探しや準備の為に退職を決意して。
 ……今日、そのお店の基盤となる開店資金三百万円を全て妹に持ち逃げされてしまった。
 「妹から、ごめんねってメッセージが届いたんです。それでもの凄く嫌な予感がして、慌てて銀行のアプリで残高の確認をしました」
「……うん」
「それで、小銭を残して全て預金が下ろされていたのが分かりました。私バカみたいに、何度も何度も確認しちゃって……」
 ここで、また涙があふれてしまう。神楽坂さんに身内の手癖の悪さを晒して、自分のマヌケさまで……そう考えたから、急に恥ずかしくなってしまった。
「それは、大変な目に合いましたね。身内であろうと、警察に相談した方がいいかもしれません。一人で行くのが難しいなら、僕も付き添います」
「警察は……だめです。両親を妹のことで、これ以上心配かけたくありません。それに、こんな大金を失ったと知ったら、私を手元に戻そうとするかもしれないので」
 贔屓、とは言いたくないけれど、やはりどうしても妹のほうが昔から目をかけて貰っていた。
 『お姉ちゃんは大丈夫だよね』と言い聞かせられてきた私は、家から逃げ出すように都内の製菓学校を選んで上京した。
 これで、妹と自分を比べないで済む。
 親からの愛情を、比べないで済むんだ。
 一人暮らしを始めた開放感と何とも言葉に出来ない寂しさは、いまでも忘れられないでいる。
 神楽坂さんは考え込みながら黙り込んでしまった。
 それはそうだ。金銭トラブルなのだ、私が警察に行かないとなれば、話はここで詰む。
 神楽坂さんが、ふとコーヒーカップに視線を落とした。
 しばしの沈黙。私も気まずくなってきてしまって、下を向く。
 テーブルの下でちらりと腕時計を見ると、十九時を過ぎようとしている。
 このタイミングで話を聞いてくれたお礼を言って、別れるのが良いかもしれない。
 せめてもと涙を拭おうと顔を上げると、神楽坂さんが私をじっと見ていた。
「高梨さん。不躾な質問をしますが、また一から資金を貯める予定ですか?」
 夢に期限は無いけれど、また一からとなると気持ちが前を向けないでいる。
 いっそ諦められたら、こんなに苦しまないで済むのに。
「正直、いまはわかりません。妹から取り返せればと思いましたが、現実的ではありません。きっと私からの電話は着信拒否にでもしてあるでしょうし」
「そうですね。お話を伺っていて、僕も妹さんと連絡を取るのは難しいだろうと考えています」
 ふうっと、神楽坂さんが息を吐く。きっと神楽坂さんの身近な人達の中には、こんなだらしない人間は居ないのだろう。
「大切な質問をします。高梨さんはいま、好きな人やお付き合いをしている方はいらっしゃいますか?」
「……えっ?」 
 予想もしていなかった方向の質問に、目が点になる。
 冗談かな、と神楽坂さんの顔を見ても真剣そのものだ。
「す、好きな人や、付き合ってる人ですか」
「はい。とても大事なことです」
 そういう人に、頼れという話だろうか。
 背筋を伸ばし、はっきりと答える。
「そういった人は居ませんし、居たとしても頼るつもりはありません」
 私の答えに、神楽坂さんは静かに「うん」と言って頷いた。
 視線が合う。
 端正な顔立ちのなかの、形の良い唇が動く。
 
 「下衆な提案ですが、明日からの高梨さんのこの先一年間を、僕が三百万で買います。僕と契約結婚しませんか?」
 
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