鉄仮面御曹司が愛に目覚めたら、契約妻は一途な熱情に抗えない
神楽坂さんが、姿勢を正す。
「人間ひとりの人生の限りある時間のなかで、一年間は決して短くはありません。それに入籍もする訳ですから、勿論離婚すれば戸籍に傷がつきます」
 いわゆる、バツ一というやつだろう。
「深く人を傷つける。ご両親や友人、あなたを心配する人が離婚で傷つきます。それを考えたら三百万じゃ安い……五百万にしましょうか」
 放っておいたら更にとんでもない値段になりそうなのを、慌てて止めた。
「神楽坂さん、私の一年間なんかにそんな価値はありません!」
「いいえ、あります。それに、僕は高梨さんの弱みにつけ込んでいます。夢の足がかりとなる資金を失ったあなたに、金でつけ込もうとしている」
 そう言い切って、神楽坂さんは俯いた。
 こんなに相手のことを考えていて、それでも神楽坂さんは『結婚していた事実』を欲しがる。
「僕は、僕と結婚しても傷つかない人を探しています。離婚したあとも、何事もなく別の道を歩んでいく人を」
 この人のこの先の人生のなかでは、それがよっぽど必要なことなんだ。まるで御守りか、印籠のように。
 考える。
 恋人や結婚なんて、夢ばかり追いかけてきた自分には二の次になっていた。
 これからまた、失った三百万円と同額を貯めるには相当の時間が必要になるだろう。
 一年間、神楽坂さんは三百万円で私の時間を買ってくれると言っている。
「……神楽坂さん」
 私が結婚するってなったら両親は驚き、喜ぶだろうな。離婚してしまうのだけど。
 バツは全然構わない、いまどき珍しくもない。
「はい」
 俯いていた神楽坂さんが、顔を上げる。
「甘いものは好きですか?」 
 私からの突拍子もない質問に神楽坂さんは一瞬驚いたけど、すぐに意図を察したようだ。
「意外だと言われますが、甘いものは好きな方です。パンケーキなんかは、おかわりしたいくらいだ」
 そう聞いて、私は妙に安心した。嘘でも良かった、ただ、私がこれから言うことが通じて嬉しく感じていた。
 
「私、パンケーキ焼くのも得意です。これから一年間、神楽坂さんの食べたい時に好きなだけ焼きましょう。結婚、してください」
 神楽坂さんは、一度だけすんと鼻を鳴らして、こくりと力強く頷いた。
 
< 6 / 39 >

この作品をシェア

pagetop