追放大聖女と天然ドラゴンの恋は宇宙を超えて
2章 崩れ行く世界
2-1. 想定外の言葉
「我と暮らすのは嫌になった?」
寂しそうな声を出すジェイド。
「そ、そんなこと無いわ! いつまでも一緒にいたいわ!」
ユリアは慌ててジェイドの胸に顔をうずめながら言った。
優しく背中をさするジェイド。
「ただ……。多くの人が傷つくのが耐えられないの……」
「ユリアは優しい娘だな……」
「神様にもらった『大聖女』の力を生かさないのは……なんだかサボってる気がして……」
ジェイドは優しくユリアの頭をなで、しばらく思案すると言った。
「分かった。我の方で、それとなく王都の情報を調べておこう」
「……。ありがとう……。ジェイド大好き……」
ユリアは自分の口をついた、とんでもない言葉に仰天する。
「あ、いや! だ、だ、だ、大好きっていうのはね……」
真っ赤になって慌てて取り繕う言葉を探すが……、見つからない。
「我も好きだぞ」
ジェイドはそう言ってユリアをギュッと抱きしめた。
「えっ!? えっ!?」
ユリアは激しく高鳴る心臓の音にどうしたらいいのか分からず、頭から湯気をあげながらただギュッとジェイドにしがみつく。
そんなユリアの頬を愛おしそうにジェイドはなでた。
優しい指使いに、ユリアはゾクッと背筋に痺れるものを感じ、恐る恐るジェイドの顔を見上げる。
月明かりに照らされた部屋の中で、ジェイドの瞳の中には紅く炎が揺らめいて見えた。
ユリアは思わずジェイドの頬に手を伸ばし……、指先でそっと触れる。
ジェイドの整った顔に真剣な表情が浮かび、ゆっくりとユリアに近づいた。
ユリアは緊張で硬くなりながらもそっと目を閉じる。
温かなジェイドの唇がユリアの可愛い唇に重なり、柔らかな舌がユリア唇を温かく湿らせる。
ユリアはピクッとファーストキスの感覚に驚き、固まる。
でも高まってくる熱い胸の内をどうしたらいいか困惑し……。
そして、意を決した時、ジェイドは離れる。
「おやすみ……」
ジェイドはユリアの額にキスをして、髪をなでると毛布を優しくかける。
……、え……、終わり?
ユリアは思わず口をポカンと開けてしまう。
モジモジと動くユリアだったが、やがて、ジェイドの寝息が聞こえてくる。
「えっ!?」
ライト・キスだけで放置するジェイドに、
「バカ……」
と、つぶやくと、寝返りを打ち、毛布をかぶった。
ただ、火照った身体は鎮まらない。
ユリアは毛布をそっと持ち上げて、幸せそうに寝ているジェイドをちょっとにらむと、
「あー! もう!」
と、一人で憤慨し、また毛布をかぶる。
その晩ユリアはしばらく寝付けなかった。
◇
それから数週間、ユリアは森の中で静かに暮らした。
言われた通りに、きっちりと大聖女の仕事を全うしてきたはずの自分が追放され、多くの死傷者が出てしまった。なぜこんな事になってしまったのか?
これまでの自分の生き方は正しかったのか? これからどう生きたらいいのか?
天気のいい日、ユリアは少し足を延ばし、水の透き通った綺麗な池のほとりに座って、鳥のさえずりを聞きながらゆったりと流れていく白い雲を眺めていた。
ただ、幾ら悩んでも答えなど分からない。
ふぅ、ユリアは大きく息をついて小石を投げ込み、広がる波紋をしずかに眺めた。
「ユリア、ここにいたのか」
ジェイドが爽やかな笑顔でやってくる。
吹っ切れた表情でユリアが言った。
「ねぇ、ジェイド。海を見に行きたいわ」
「海? 魚でも獲るのか?」
「違うわよ、泳ぐの! 海辺の街の人は暖かい季節にはビーチでくつろいだり泳いだりするって聞いたわ」
ユリアは楽しそうに言う。
「それ、楽しいのか?」
「知らないわよ! だから行ってみたいの!」
ユリアは口をとがらせる。
「……。南の島まで行けばもぐると綺麗かもな……。でも……、南の島はちょっと遠いぞ?」
ジェイドはユリアの気迫に押され気味だ。
「ふふっ、頼りにしてるわ!」
ユリアは最高の笑顔を見せる。
ジェイドは大きく息をつき、目をつぶってしばらく考えると、
「では、ピクニックセットを用意して、肉多めで行くか」
そう言ってニッコリと笑った。
◇
ジェイドはドラゴンとなり、ユリアを首の後ろに乗せ、言った。
「すごく高い所を行くからシールド張って」
「わ、分かったわ」
ユリアは得意の神聖魔法で自分の周りに強固なシールドを張る。
「では行くぞ!」
気合を入れた声が響いた。
後ろ足で大きく跳び上がり、そのまま大きな翼でバサッバサッと羽ばたいていくジェイド。
羽ばたくごとに森の木々が小さくなり、グングンとオンテークの山が遠ざかっていく。
ジェイドは加速しながら雲をつき抜けた。
すると一気に雲海の世界が広がる。燦燦と太陽がまぶしく輝き、真っ青な空に真っ白い雲の海。
「うわぁ、素敵……」
ユリアは初めて見る雲海に驚く。
すると、ジェイドは羽ばたくのをやめて翼を畳み、気合を入れると身を青白く光らせた。
「えっ!?」
ユリアがビックリしていると、ジェイドは飛行魔法でものすごい加速を始める。
「うわわわわ」
速度はグングンと上がり、やがて、ドン! という衝撃音を立てて音速を突破する。そして、さらにジェイドは高度を上げていった。
2-2. 黄金の祝福
やがて青空は暗くなり、昼なのに夜のような空になる。宇宙に近づいたのだ。
下を見ると、まるで地図を見ているみたいにくっきりと海岸線が見て取れる。
しばらく行くと、小さく城壁で囲まれた街がある。なんとそれは王都だった。
「えっ!?」
あの壮大な街がまるでオモチャみたいなのだ。
ユリアは大聖女として奮闘した二年間を思い出す。最後は追放されてしまったが、思い出の詰まった王都。
よく見ると城門の周辺が黒く焼け焦げて見える。その激しい戦闘の傷跡に思わず心臓がキュッとする。
ユリアは急いで手を合わせ、魔物の襲来で死傷してしまった人たちのことを思い、祈った。
そして、手を金色に光らせるとキラキラとした光の祝福を王都に向けて放つ。祝福はまるで黄金のオーロラの様にゆらゆらと光跡を描きながら王都の上空に展開し、まばゆい光の粒をひらひらと振りまいた。
王都の人々は皆、いきなり現れた光の舞う空を驚きながら見上げる。一体何が起こったのか分かっていなかったが、みんな神聖なる光に手を合わせ、幻想的な光景にしばらく見入っていた。
ゲーザは王宮の執務室で知らせを聞いて急いでテラスに出る。そして、美しく煌めく黄金のオーロラを見上げ、目を見開くと、キュッと唇を噛む。
「ユリアめ……、やはり殺しておけばよかった。忌々しい!」
そうつぶやくと急いで教会へと走り出した。
◇
ジェイドはさらに速度をあげながら南西へと進む。西隣の国オザッカ、その南の小さな島国サヌーク、そして遠く向こうに見えてくる大きな島国のサグ。
ユリアは地図でしか見たことのない国々を静かに眺めていた。ここのところ平和な時代は続いているが、噂によればこれらの国々は軍拡を進めているという。王国とは友好関係にはあるもののいつまでも平和な時代が続く保証はない。手を合わせて平和を祈ってはみたものの、何の力にもなれない自分の無力さに思わずため息を漏らした。
しばらく飛んで、サグを越えた辺りでジェイドは高度を落としていく。見ると、広い海の中に点々と島があった。
さらに降りて行くと、島の様子が見えてくる。島の周りはエメラルドグリーンに明るく彩られていた。最初は何の色か分からなかったが、近づいて行くと、それはサンゴ礁と透明度の高い海の色だった。
「うわぁ……」
ユリアはシールドを解いて思わず身を乗り出す。
「どうだ? 綺麗だろ?」
ジェイドが言う。
「うん! すごい、すごーい!」
ユリアはキラキラとした笑顔を振りまきながら、初めて見る南国の海に魅了されていた。
◇
ジェイドはさらに高度を落とし、そのまま真っ白なビーチの沖へ着水する。
ザザザザー! と派手に波しぶきをあげながら徐々に減速し……、ビーチのそばまでくるとゆっくりと止まった。
ザザーンという静かな波の音が響き、爽やかな潮風が吹き抜けていく。
「到着だ。お疲れ様」
ジェイドは首を低く下げる。
熱を持つジェイドのウロコは、波を受けるとシュワァと音を立てながら湯気を立てた。
真っ白なビーチにエメラルドグリーンの透明な海、真っ青な空にポッカリと浮かぶ白い雲。ユリアは周りを見回して、
「ヤッター!」
と、両手を突き上げて叫ぶ。そして、そのまま海に飛び込んだ。
ザッブーン! と上がる波しぶき。
ユリアはしばらく陽の光の煌めく透明な海の中をスーッと進み、
コポコポコポォと上がる泡の音を楽しむ。そして浮力に身を任せて水面に戻ってくると、
プハ――――!
と、水面から頭を出し、満足げな顔で大きく息をつく。
「素敵! でも塩辛いね」
ユリアは片目をぎゅっとつぶりながら、それでもうれしそうに言った。
ジェイドはうなずくと、
「準備してるね」
そういってザバザバと波を立てながらビーチに上陸し、ボン! と人化する。そして、アイテムバッグから敷物やロープなどを取り出すと拠点を設営し始めた。松のようなモクマオウの樹にロープを結んでタープを張り、その下に敷物を敷いて小さなちゃぶ台を出す。そしてガラスのピッチャーに魔法を使って氷水を注ぐと、そこにレモンとハチミツを入れてレモネードにし、グラスに注いでグーっと一気飲みをする。
ふぅ……。
ジェイドは一息つきながら、エメラルドグリーンの海ではしゃいでるユリアを見て目を細めた。
2-3. やっぱり見てた
しばらくすると、ユリアが大きく手を振りながらビーチに上がってくる。
ジェイドは最初ほほえましくユリアを見ていたが、何かに気がついて手のひらで目を覆った。
「ジェイドどうしたの?」
ユリアは目を合わせようとしないジェイドを不審に思う。
ジェイドはアイテムバッグから麻のベストを出し、
「これを着て」
と、そっぽを向きながら渡す。
「え……?」
何のことか分からなかったユリアは自分の身体を見て驚いた。白いシャツは身体にピッタリと張り付き、濡れて透け透けになっていたのだ。
「きゃぁ!」
ユリアは両手で胸を隠し、
「み、見たわね!?」
と、真っ赤な顔で言いながら、ベストをサッと奪い取った。
「遠目だったから見えてない……」
そう言って、ジェイドはそっぽを向きながらちょっと頬を赤らめる。
ユリアは急いでベストを羽織り、
「ウソばっかり……」
そう言って体育座りをしてひざに真っ赤な顔をうずめた。
「レ、レモネードでも飲んで……」
ジェイドはグラスにレモネードを満たすと、ちゃぶ台に置いた。
ユリアはしばらくむくれて動かない。
「裸じゃないんだから大丈夫だよ」
ジェイドはフォローするが、ユリアは微動だにしない……。
やがて小声で言った。
「ひ、貧弱で恥ずかしいの……」
ジェイドは首をかしげて言う。
「貧弱? 綺麗だったぞ?」
するとユリアはガバっと起き上がり、
「やっぱり見てたんじゃないのよぉ――――!!」
と、叫んでジェイドの二の腕をパシパシと叩いた。
「ごめん、ごめん……」
ジェイドは渋い顔で目をつぶる。
「……。でも……、ジェイドが悪い訳じゃないもんね……。ごめんなさい……」
そう言ってユリアはまた体育座りをして小さくなった。
「レモネード、美味しいよ」
ジェイドは優しく勧めた。
すると、ユリアは大きく深呼吸を繰り返し、チラッとジェイドを見ると、
「ありがと……」
と言って、レモネードをゴクッと飲み、水平線を眺めた。
コバルトブルーのまっすぐな水平線、ぽっかりと浮かぶ南国の雲、燦燦と照り付ける太陽……、そこは楽園だった。
ユリアはふぅ、と息をつくと、
「美味しい!」
と、言って、まだ少し恥ずかしそうな笑顔でジェイドを見る。
ジェイドはうんうんとうなずき、優しい目で微笑んだ。
◇
「では、潜りに行くか……」
そう言うとジェイドは指輪を見せた。
「ゆ……指輪?」
困惑するユリア。
「この指輪をしておくと水中でも息ができる」
「そ、そうなの……? じゃ、つけて!」
そう言うとユリアは両手の指を広げてジェイドに差し出し、赤くなってうつむいた。
ジェイドは微笑むと、聞いた。
「どの指がいい?」
「ジェ、ジェイドが決めて!」
「そうか……」
ジェイドはそう言うと、右手の薬指にスッとはめた。
「えっ!?」
ユリアは真っ赤になっておずおずとジェイドを見上げる。
「嫌か?」
ニコッと笑うジェイド。
「こ、これって……」
とまどうユリアにジェイドは、
「さぁ行くぞ」
と、言ってユリアの手を優しく引いて海へといざなった。
「えっ!? ちょ、ちょっと……」
ユリアは困惑しながら手を引かれるままに真っ白なビーチを歩き、透明な水の浅瀬をバチャバチャと進んだ。
腰の深さまで来ると、ジェイドは魔法のシールドをユリアの頭の周りに張って言った。
「では、海の世界にご招待だ。のぞいてごらん」
ユリアが恐る恐る海の中に顔をつけると、そこには美しいキラキラとした南国の海の世界が広がっていた。白い砂には陽の光が網目状の模様となって揺れ動き、小魚たちが群れ泳いでいる。
「うわぁ……」
ユリアは満面に笑みを浮かべ、トロピカルな海の世界に魅せられていた。
2-4. 天然のコンサートホール
「さぁ、行こう……」
そう言うとジェイドも一緒に潜り、ユリアの手を引いた。
二人は海の世界の中をスーッと潜っていく。
白い砂浜はやがてサンゴ礁となり、青や真紅の鮮やかな小魚の群れがサンゴの周りを覆っている。ひらひらと舞うミノカサゴを追い越し、さらに沖へと進んで行くと、徐々に風景が青くなっていく。
上を見上げると海面がキラキラと揺れ、陽の光がオーロラのように煌めきながら光のカーテンを作り、そこをウミガメがゆったりと横切って行った。
「うわぁ、素敵……」
ユリアは生まれて初めて見る海中の景色に、思わずウットリとしてしまう。
すると、巨大なナポレオンフィッシュが近づいてきて、好奇心旺盛にユリアの周りをゆっくりと泳ぐ。
ユリアが手を振ると不思議そうに目玉をキョロキョロさせながら手を眺め……、そして急に身をひるがえすと逃げていった。
何だろうと思っていると、巨大な影が近づいてくる。ゆうに三メートルは超えようかというイタチザメだった。体には特徴的なしま模様が見える。サメはスーッと近づいてくると、ギョロリとユリアをにらみ、通過していく。ユリアは思わず身をこわばらせた。そして、ゆったりとUターンすると、こちらに戻ってくる。
ジェイドはサメをにらむと、
グルグルグル、と重低音を発する。
するとサメはビクッと驚き、スーッと逃げて行った。
「ふぅ……、ビックリした……」
ユリアが胸をなでおろすと、ジェイドはサムアップしてニコッと笑う。
そして、ジェイドはさらに沖へとユリアを引っ張っていく。
しばらく行くと、紺色の海中の中にぼんやりと黒いものが見えてくる。何だろうと思っているとそれは巨大な穴だった。どこまでも真っ黒な底の見えない深さに思わずブルっと身を震わせるユリア……。
ジェイドはそんなユリアを見てニコッと笑うと、手を引いてその穴の中へと降りて行く。
穴は洞窟となっており、向こうの方に開いたいくつかの穴からは陽の光が差し込み、まるでスポットライトが当たっているかのように、揺らめきながら洞窟内を淡く照らしていた。そして、バラクーダのような長細い大きな魚の群れがスーッとそこを横切っていく。それはまるで天然のコンサートホールのようで、ユリアは思わず見とれてしまう。
海の中は驚きと感動の宝庫である。その後もあちこち海中を散歩し、ビーチへと戻ってきた頃には陽はすでに傾き、砂浜はオレンジ色に染めていた。
ユリアはタオルで髪の毛を拭きながら、
「海って素敵ね!」
と、嬉しそうに笑う。
ジェイドはレモネードを作り直しながらニッコリと微笑んだ。
ユリアは徐々に傾いていく太陽を見ながら、
「帰るのがもったいないくらいだわ……」
と、つぶやく。
「今晩はここに泊まる?」
ジェイドは楽しそうに聞いた。
「えっ!? ど、どこで寝るの?」
「ハンモックを釣ればいい」
ジェイドはそう言ってタープを結んでるモクマオウの樹を指さす。
「い、いいわよ」
ユリアは初めての野宿にちょっと不安を覚えつつも、好奇心に惹かれて答えた。
ジェイドは良さそうなモクマオウの樹を二本探し、それらの枝の間にロープを二本平行に結び付け、ロープの間に毛布を張った。
試しに寝転がるジェイド。ハンモックはゆらゆらと揺れ、いい具合である。
ジェイドは目をつぶり、満足したようにうなずいた。
それを見たユリアは、
「私も~!」
と、ジェイドの脇に強引に滑り込む。
「おっとっと……」
ギシギシと揺れるハンモックに慌てるジェイド。
「うわぁ、ハンモックって不思議ね」
ユリアは無邪気に喜ぶ。
やがて夕焼けが空を覆い、水平線の向こうに真っ赤な太陽が沈んでいく。
二人は何も言わず、その荘厳な大自然のショーを見つめていた。
茜色に染まる雲、キラキラと夕陽を反射する海面、ザザーンと音を立てながら夕日に染まる波打ち際……、その全てが神聖な感動をともなって胸に迫る。
「ジェイド……、ありがとう……」
ユリアはジェイドの手をギュッと握って言った。
「どうしたんだ? 改まって」
「私……、ジェイドに良くしてもらってばかりで申し訳なくって……」
「我はユリアといるだけで楽しいぞ」
ジェイドはユリアの髪をなでながら言う。
「ふふっ、ありがとう……」
ユリアはそう言うと伏し目がちに続けた。
「私ね、反省してるの」
「えっ?」
「私、幼なじみに裏切られて追放されたんだけど、それって半分私のせいなのよね」
「そう……なのか?」
「私、彼のことは便利な従者だとしか思ってなくて、一人の人間として接してなかったのよ」
「そんな、自分を責めなくても……」
「彼だけじゃないわ。公爵派が暗躍してたなんて知らなかったし、何の興味もなかったの。私は目の前の自分の仕事だけちゃんとしてればいいわって、狭い世界に閉じこもって自分のことだけ考えてたのよ……」
そして、ユリアは来る途中に見た王都の傷跡を思い出す。
「大聖女だからとおごっていたんだわ。結果として、多くの人を傷つけ、殺してしまったの……」
ユリアは目をギュッとつぶり、ポロポロと涙をこぼした。
「ユリアはまだ十六才だろ? 責任を感じることなんてない」
ジェイドはそう言ってギュッとユリアを抱きしめる。
うっうっうっ……。
ユリアはしばらく肩を揺らしていた。
やがて陽は沈み、茜色から群青色への美しいグラデーションが空を覆う。
宵の明星が西の空に鮮やかに輝き、いよいよ夜がやってくる。
ユリアは泣き疲れ、ジェイドの体温を感じながらいつの間にか寝入っていった。
2-5. ガラスの五十階建てビル
パチ、パチン!
薪のはぜる音でユリアが目覚めると、満天の星々の中、濃い天の川がまるで光の柱の様に立ち昇っていて思わず目をこすり、息をのんだ。
「うわぁ……、綺麗……」
脇の方ではジェイドが焚火をたいて、ディナーの準備を進めている。香ばしい肉の焼ける匂いが漂ってくる。
「ごめんなさい、何か手伝うわ……」
ユリアは急いで駆け寄ると、ジェイドは
「では食器を並べて」
と言ってニコッと笑った。
◇
ジェイドはお皿に肉を削いで、グラスにリンゴ酒を注ぐ。そして、焚火のほのかな明かりの中で乾杯をした。
「さっきはごめんなさい……」
ユリアは、腫れぼったい目をしながら謝る。
「魔物で被害が出たならそれは魔物のせいだろ? 責任を感じることなんてない」
ジェイドは肉を食べながら淡々と返した。
「でも……」
「そんなことより、肉が冷めちゃうよ。早く食べて」
ジェイドは微笑んで言った。
ユリアは目をつぶって大きく息をつくと、
「そうよね……。それに、終わったことを悩んじゃダメね」
そう言ってこんがりと焼けたお肉をほお張る。
「美味しい……」
ユリアはしばらくジューシーな肉の旨味に癒されていた。
「たくさんあるから、いっぱい食べて」
ジェイドは肉を削いでユリアの皿に肉を追加する。
「ふふっ、ありがと……」
ユリアはうれしそうに笑った。
ジェイドはそんなユリアを見て微笑む。
◇
たらふく食べた後、紅茶を飲みながらユリアは聞いた。
「ジェイドさぁ……、魔法は作られたモノって言ってたよね?」
「そうだね」
「でも……、魔法って自分と深い所ですごいなじんでて、後付けされたように思えないんだけど……」
首をかしげるユリア。
「んー、人間もまた神様たちに作られたものだからね」
「う? 神様……?」
ユリアは驚いた顔でジェイドを見つめる。
「この星も一万年くらい前に作られて、その時に人間も生まれたんだ」
「ちょ、ちょっと待って!? 一万年!?」
「正確には一万二千年前くらいかな?」
「いやいや、地層とか化石とか、何千万年前の物だってあるわよ?」
「それは神様が埋めたんだよ」
ジェイドは笑いながら答える。
「埋めた!?」
「神様にしてみたら、その辺をシミュレートしてそれっぽく仕上げるのはお手の物だからね」
ユリアは絶句した。この世界は神様に作られ、自分の先祖もその時にできたものらしい。
「何か変かな?」
ショックを受けているユリアを見てジェイドが聞いた。
「え? いや……、神様はなんでそんなことを?」
「さぁ……、神様のすることなんて龍には分からない」
ジェイドは肩をすくめる。
「会ったこと……あるの?」
「前世で一回、視察に来られた女神様に会った。気さくな方だったよ」
「気さくな女神……。会って何したの?」
「この星の状況を聞かれたので答えたのと……、女神様の住む街、東京に連れてってもらった」
「東京? 神様の街?」
「住んでるのは人間だね。その中に紛れて神様たちの拠点があるんだ。とんでもない街だったよ。ガラス張りの五十階建てのビルとかが建っていて、それがたくさん並んでるんだ」
ジェイドは両手を広げ、少し興奮気味に言う。
「ガラス張りで五十階!? すごい魔法ね……」
「それが、魔法のない街なんだ」
「へ……? 魔法も無くてどうやって?」
「わからない。東京には一千万人の人が住んでいて、空には何百人乗りの乗り物が飛んで、時速三百キロで走る乗り物が街を繋いでいるんだ」
ユリアは絶句する。魔法もなしで一体そんなことどうやって実現するのか、皆目見当もつかなかった。
「次に機会があったら連れてってもらうといい」
微笑むジェイド。
「そ、そうね……」
この星と自分たちを作った神様が、五十階建てのガラスのビルの街で人々に紛れて暮らしている。ユリアはその信じがたい不思議な話をどう捉えたらいいか途方に暮れ、パチパチとはぜる焚火の炎をボーっと眺めていた。
2-6. 王都陥落
寝る時間になり、ジェイドはハンモックにユリアを寝かせると毛布を掛けた。
「え? ジェイドはどこで寝るの?」
ユリアが聞く。
「我は龍となってビーチで寝る」
そう言って優しく笑うとジェイドは立ち去ろうとする。
ユリアは急いでシャツの裾をつかんだ。
「ま、待って! さっきみたいに一緒に寝たら……いいんじゃない?」
少し引きつった笑顔を見せるユリア。
「狭いよ?」
ジェイドは首をかしげて答える。
ユリアはうつむいて、
「そ、そうよね……」
そう言って手を離し、ジェイドに背を向けて毛布をかぶった。
ベッドで添い寝してもらう暮らしに慣れてしまったユリアには、一人寝はさみしく感じられてしまう。
ふと気がつくと涙がうっすらと滲んでいる。ユリアはあわてて手でぬぐった。
男女の営みのないプラトニックな二人ではあったが、ユリアにとってジェイドがそれだけ大きな存在になってしまっていたのだ。
すると、毛布がそっと持ち上げられ、ジェイドがハンモックに乗り込んでくる。
「寝付くまで一緒にいてあげる」
ユリアは何も言わず、ギュッとジェイドを抱きしめた。
急いで動いたものだからハンモックは大きく揺れる。
「おっとっと……。急に動くと危ないぞ」
ジェイドは飛行魔法でハンモックの揺れを抑えながら言った。
ユリアは幸せそうにジェイドの胸に顔をうずめる。
ジェイドはそんなユリアの髪をそっとなで、微笑んだ。
◇
翌日も二人は海に潜り、魚と戯れ、南国のリゾートライフを満喫する。
午後に海からビーチへと戻ってきた二人は、レモネードを飲んで静かに海を眺めていた。
すると急にジェイドが険しい表情でブツブツと何かをつぶやきだす。
「……、王都? ……、オザッカ? ……、ありがとう……」
そして眉をひそめ、考え込む。
「ど、どうしたの?」
そのただならぬ雰囲気にユリアは恐る恐る聞いた。
ジェイドは大きく息をつくとユリアをじっと見て切り出す。
「戦争だ。王都が襲撃され、すでに陥落したらしい」
「えぇっ!?」
ユリアは思いもしなかった事態に青ざめた。
「オザッカの軍隊が一気に王都を襲い、王都側はまともな反撃もできずにあっという間に制圧されてしまったそうだ」
「そ、そんなことあり得ないわ! 王都の軍隊の方が圧倒的に強かったはず……」
そこまで言って、ユリアはスタンピードのことを思い出す。
「もしかして、魔物との戦いで弱ってしまって……いた……?」
「それもあるが、あっという間に城門を突破されてしまったらしいので、誰かが手引きしたのだろう」
「誰かって!?」
「公爵派じゃないか?」
「そ、そんな! 公爵だって王国の一員よ。王国を裏切るなんて……」
「王国を乗っ取るために公爵はオザッカと手を組んだ、と考えれば全てつじつまが合う。実際、公爵の軍隊は援軍として出てきていないそうだ」
「な、なんてことを……。私が居たらスタンピードも防げたし……」
と、言ってユリアは、気がついてしまった。
大聖女の追放、スタンピード襲来、オザッカによる制圧、全部最初から計画だったのでは?
青ざめるユリア。
自分が呑気に暮らしている間に進んでいた恐るべき計画。こんな所で遊んでる場合じゃない。
「行かなきゃ!」
ユリアは目に涙をいっぱいため、ジェイドの手をガシッと握った。
「行って……、どうする?」
ジェイドは淡々と言う。
「どうするって、決まってるじゃない! オザッカの兵士たちを王都から追い出すのよ!」
「その後は? もう、王族は残っていないと思うが」
「えっ!?」
ユリアは言葉を失う。
確かに公爵派が仕組んだとすれば王族は皆殺しにされているだろう。と、なると、オザッカの兵士を追い出しても後に入るのは……誰?
「追い出しても次は公爵の軍隊が攻めてくるだろう」
「そ、そんなぁ……」
ユリアはがっくりと肩を落とし……、うなだれた。
「これは権力闘争であり、覇権争いだ。ユリアは近づかない方がいい」
ジェイドは諭すように言う。
ユリアはあまりにもたくさんの想い、考えが渦巻いてぐちゃぐちゃとなり、頭を抱えた。
確かに権力闘争であればユリアは近づくべきではない。でも……、優しくしてくれた侍女や聖女のみんながひどい目に遭っているとしたらそれは助けたい。そしてアルシェ……彼がまだ生きているなら力になりたい。自分が強制収容所送りにならなかったのは彼のおかげなのだから。
ユリアはガバっと身を起こすと、しっかりとした目で言った。
「ジェイド、王都まで送って。この目で見て、できることを考えたいの」
ジェイドは目をつぶって大きく息をつき、しばらく考える。
そして意を決すると、ユリアを見てゆっくりとうなずいた。
2-7. 大聖女の矜持
ジェイドはすさまじい速さでかっ飛んだ。行きよりもずっと高く、ずっと激しい光を放ちながら飛んだ。
島国サヌークを超え、オザッカを超え、やがて盆地の向こうに小さく王都が見えてくる。
「あぁっ! 燃えてるわ!」
ユリアは思わず叫んだ。王都はあちこちから黒煙が上がり、物々しい雰囲気が伝わってくる。
ユリアは初めて見る戦争の恐ろしさに思わず背筋が凍る。あの煙の下では多くの人の命が奪われているのかもしれない。優しかった侍女たちがひどい目に遭っているのかも……。ユリアは目の前が真っ暗になり、うなだれた。
◇
王都が徐々に近づいてきて、被害の様子が明らかになってくる。黒煙は中心部のあちこちから立ち昇っており、宮殿の美しかった庭園も黒焦げになっていた。
「どこに行けばいい?」
ジェイドは王都へと急降下しながら聞いてくる。
「きゅ、宮殿北側の大広間にお願い!」
ユリアは青い顔でガタガタと震えながら答える。
ジェイドが宮殿に接近していくと、炎の矢や氷の槍といった攻撃魔法があちこちから一斉に放たれた。
ユリアは金色の魔法陣のシールドを展開してそれらの攻撃を弾き飛ばし、ジェイドは攻撃が放たれた拠点に次々とエネルギー弾を打ち込んでいく。
ズン! ズズン!
宮殿のあちこちが爆発炎上した。きっと何人も死者が出たに違いない。
ユリアは、すでに取り返しのつかないレベルで戦争に関与してしまったことに顔面蒼白となり、思わず震える自分の手を見た。
しかし、これが自分の選んだ道なのだ。元大聖女として、王都を守り続けた矜持にかけてこの狂った世界を正さねばならない。
ユリアは涙をポロポロとこぼしながら前を向いた。
◇
宮殿の大広間の大きな窓から中の様子が見える。どうやら宴会が行われているようだった。もう呑気に祝勝会をしているのだ。よく見ると、侍女の女の子をはべらせて酒を飲んでいる。ユリアはぎゅっと奥歯をかみしめ、覚悟を決めた。オザッカを追い出した後の事など後で考えればいい。今は彼女たちの救出が先である。
「ジェイド! 大広間の壁をぶち抜いて!」
と、叫んだ。
ジェイドは一瞬考え込み、意を決すると、
「分かった。まかせろ」
そう言って、中に人がいない辺りの壁にそのまま体当たりしながら着地した。
ズガーン!
激しい衝撃音を放ちながら大広間にドラゴンが乱入し、浮かれ切っていたオザッカの将校たちは呆然とする。
「キャ――――!」「うわぁ!!」
大広間には悲鳴が響いた。
直後ユリアは
「範囲催眠!」
と、叫んで激しい光を放つ。
大広間には金色に輝くオーロラが展開され、無数の光の微粒子が人々に降りかかっていく。
将校たちも女の子たちも意識を奪われ、バタバタと次々と倒れた。
しかし、上級将校たちは魔法をレジストし、立ち上がる。
「これはこれは、元大聖女様じゃないですか」
一番奥で、頬に大きな傷を持つ筋骨隆々とした男が声を上げる。将軍クラスだろう。
「今すぐ王都から出ていって!」
ユリアは男をにらみ、叫んだ。
将軍はドラゴンをチラッと見ると肩をすくめながら言った。
「いいでしょう。ドラゴンと事を構えるほど馬鹿じゃない……。その代わり、王都の統治権は公爵殿に取ってもらってください。王都がまとまらずに荒れては困るのでね」
「それはダメよ。今回の侵略の裏に公爵がいることくらい知ってるのよ!」
将軍はピクッと眉を動かし、腕組みをして考えこむ。すると隣の将校が言った。
「大聖女さまはドラゴンを使って公爵家を滅ぼすつもりですか?」
「王都の街の人たちの安全と平和のためなら何だってやるわ!」
しかし、将校はいやらしい笑みを浮かべて言う。
「あなた、追放されたんですよね? 何の権限でそんなことを?」
ユリアはハッとする。追い出す正当性を問われるとユリアは弱い。政治的に言えば無関係な第三者がドラゴンを駆って王都を侵略している形になってしまう。
そして、言葉を失い、ギュッと唇を噛んで将校をにらんだ。
「黙れ!」
ジェイドの重低音の叫びが大広間に響いた。
その腹に響く重低音は本能的に人間には抗いがたい恐怖を呼ぶ。将校たちは青い顔をして黙り込んだ。
「今後どうするかはお前らには関係ない! 今すぐ撤退の指示をしろ!」
ジェイドはそう叫び、将校に撤退の指示を出させた。
王宮の外でパッパッパー! パッパッパー! と、撤退ラッパの音が響きわたる。
「て、撤退させました……」
将校は報告する。
するとジェイドは、
「ご苦労」
と言って、カッ! と衝撃波を放ち、将校たちを吹き飛ばした。
屈強な将校たちもドラゴンにかかれば赤子同然である。皆意識を失って転がっている。
ユリアは侍女たちを起こし、オザッカの将校たちを縄で縛るように指示すると、アルシェを探しに牢屋へと急いだ。
2-8. ざまぁな惨状
ユリアは人化したジェイドと一緒に、自分が監禁されていた牢屋への階段を下りていく……。
すると、もわぁと、すえた悪臭が漂ってくる。
ユリアは眉をひそめ、慎重に降りて行く……。
最初の牢をのぞくと、衣服をビリビリに破られ、ぐちゃぐちゃに乱暴された女性が白い肌をさらしながら倒れ、痙攣していた。
「ひっ!?」
思わず後ずさるユリア。
それはついさっきまで男たちにもてあそばれていた女の子。体のあちこちには悪臭を放つ体液が残されていた。
「えっ……? ゲ、ゲーザ……?」
思わずユリアは口を手で覆う。
それはよく見ると銀髪を編み込んだ紅い唇の女性、ゲーザだった。
ユリアを陥れ、追放させた悪女は自らの愚行で墓穴を掘ったのだ。
「じ、自業自得だわ……。ざまぁよ!」
そう言いながらもユリアの目には涙が浮かび、おもわずジェイドに抱き着く。
うっうっうっ……。
ユリアは涙を流しながら、不幸の連鎖、どこかで歯車が狂ってしまった世界を呪った。
ジェイドはそんなユリアを心配そうに見つめ、髪を優しくなでる。
すると、隣の牢からもすすり泣く声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。
ユリアはハッとして隣の牢へ走る。
そこで倒れていたのはかつての聖女の仲間たちだった。彼女たちにもまた、乱暴された跡が生々しく残り、悲痛なうめきが牢に響く。
ユリアは清浄化の魔法と治癒魔法を部屋全体にかける。牢の中は金色の光の微粒子が舞い、緑の光の渦がゆったりと牢の中を回った。
「ユリアさまぁ……、うわぁぁん!」「ユリアさまぁ!」
ユリアは泣きながら飛びついてくる聖女たちを両手いっぱいに抱きしめ、そして一緒に涙を流す。
例え大聖女であっても、彼女たちの穢された悲しみを癒してやることなんて到底できない。ただ一緒に泣いてあげることしかできなかった。
◇
さらに隣の牢を見ると、教皇が囚われていた。
教皇はユリアを見るとビクッとして無言のままうつむく。
ユリアの追放に関与していたはずの教皇。ユリアは険しい声で言った。
「公爵派の暗躍について証言してもらえますか?」
すると教皇は口を開いた。
「ワシも全貌は知らん。じゃが、こうやって収監されてしまった以上、公爵派の肩を持つ気もない。全て話そう」
「私の追放は公爵派の陰謀だったという事でいいですね?」
「そうじゃ、そなたには……、申し訳ない事をした」
そう言って教皇は頭を下げる。
「ふざけるな!」
ジェイドは目の奥に赤い炎を揺らし、重低音のどすを聞かせた声を響かせた。
ひぃ!
教皇は恐ろしいドラゴンの威圧にやられ、しゃがみこんで頭を抱え、
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
と、泣き叫んだ。
「謝ってすむ話じゃない!」
ジェイドはさらに凄んだが、ユリアはそれを制止する。
「そういうのは後にしましょう。今は公爵派の陰謀の立証を優先させたいの」
「な、何でもする。だから許してくれぇ!」
すっかり恐怖で追い込まれた教皇は、ユリアに手を合わせてひたすら頭を下げた。
◇
次に捕虜が拘束されている大講堂へと移動する。
大講堂はすでに解放の喜びで大騒ぎとなっていた。
ユリアが入り口を入ると、
「ユ、ユリア様だぁ!」「あ、ありがとうございます!」「ユリア様――――!」
と、歓声が上がり、次々と人が集まってくる。
予想外の大歓迎を受け、圧倒されるユリア。
もみくちゃにされながら奥に進むと、向こうの方には負傷兵たちがたくさん横たわっていた。雑に巻かれた包帯は血で滲み、高熱を出してうなされているものも少なくない。
ユリアは、ギョッとし息をのむと、ギュッと目をつぶった。そして、大きく深呼吸を繰り返して心を落ち着かせ、「範囲上級治癒!」と、叫んで緑色の光の渦を大講堂中に展開した。
緑の光の流れは負傷兵たちの身体をすり抜けながら少しずつ治癒の奇跡を起こし続け、やがて、みんな元の身体を取り戻していく。
「おぉぉぉ!」「うわぁぁぁ!」「す、すごいぞ!」
大講堂にいた人たちは皆、ユリアの起こす奇跡に圧倒され、あるものは涙を流し、あるものはユリアにひざまずいて手を合わせた。
すると、下級兵士の服装をした黒髪の少年が駆けてきて、
「ユリア、ありがとう!」
と叫んでユリアの手を両手で包んだ。
ユリアは一瞬戸惑った。透き通るような白い肌に凛とした鼻筋……、それはアルシェに見えるが……。
「あれ? アルシェ……よね?」
「あ、ゴメンゴメン」
そう言うと、少年はかかっていた変装の魔法を解き、輝くような金髪とエンペラーグリーンに輝く瞳を取り戻した。
「アルシェ! 無事だったのね!」
ユリアは死んだと思っていた恩人の登場に感極まってハグをする。
死を覚悟していたアルシェも緊張の糸が切れ、涙が止まらなくなった。
二人はしばらくお互いの体温を感じながら無事を喜びあう。
周りの観衆たちもそんな二人の涙にもらい泣きをして、鼻をすする音がいくつも響いた。
2-9. 公爵の街、ダギュラ
「こんな事態になったのは君たち王族の問題だ」
ジェイドはアルシェに厳しい声で言う。
アルシェは驚いて顔を上げ、ジェイドを見る。
「そ、そうかもしれません……」
アルシェはうなだれた。
「ジェイド、彼はまだ十四歳よ。責任は無いわ」
ユリアはアルシェをかばう。
そんなユリアをジェイドは少し不機嫌そうに見つめた。
「ユリア、いいんだ……。王族……というのはそれだけ責任が……あるんだ」
アルシェはうなだれながら絞り出すように言う。
「これからどうするんだ?」
ジェイドは淡々と聞く。
「父や兄……主要な王族は全員……処刑されてしまいました。僕が立て直すしかありません……。うっうっう……」
アルシェはそう言ってうなだれ、ポトポトと涙を落とす。
「アルシェ……」
ユリアはアルシェを引き寄せ、優しくハグをする。
ジェイドは何かを言おうとして……、目をつぶるとため息をついた。
◇
今は亡き国王の執務室に移動し、善後策を話し合う。ポイントは二つ、内政をどう立て直すか、と対公爵などの外交をどうするかだった。内政はアルシェが王位を継承したことを国民に広く周知し、生き残った幹部で新たな体制を作り回していくしかない。これは大変だがそれでも作業の話だ。
問題は外交、これは喫緊の課題だ。公爵の影響を排除をしなくてはならないが、公爵と全面戦争なんてしたらまた外国に狙われてしまう。あくまでも戦争をせずに公爵家をお取りつぶしにしないとならない。しかし、どうやって?
アルシェはジェイドに頭を下げて言った。
「申し訳ありません、僕に力を貸してくれませんか?」
ジェイドは不機嫌そうに答える。
「お前たちはユリアを傷つけた。気軽に味方などできん」
アルシェはうつむき、ギュッとこぶしを握ると、ジェイドに土下座して、
「それについては申し開きもありません。でも、ユリアを陥れたのは公爵です。公爵を倒すのだけ、ご協力いただけませんか? なにとぞ!」
と、大きな声で頼んだ。
ジェイドは返答に詰まる。仮にも一国の王が額を床に付けている。その意味は重い。
大きく息をつき……、そして、ユリアの方を向く。
ユリアは悩む。もちろん、公爵は倒さねばならない。でも、それはジェイドとは関係ない話なのだ。ユリアが頼めば力は貸してくれるだろうが、それでいいのだろうか? 自分への好意を利用する、それは正しいことなのだろうか?
「ジェイド……。私はどうしたらいいの……?」
ユリアも答えが出せずにジェイドの袖をつまみ、うつむいて言った。
ジェイドはしばらく思案し、毅然とした態度で言う。
「やはりダメだ。一緒に家に帰ろう。人間界の争いに首など突っ込んじゃダメだ」
ユリアは泣きそうな顔でジェイドを見上げる。
「王都解放までやったんだ。それで十分じゃないか。追放されたユリアがこれ以上助ける筋合いなんてない」
確かにその通りである。追放された時、群衆に石を投げられたことを思い出せば、王国で大聖女として復帰する事も素直に喜べない自分がいる。もちろん、大聖女の力を人々のために使い、安心と平和をもたらしたいという思いはある。だが、それは王国の大聖女という地位とはイコールではない。国に帰属しない道だってあるのだ。
「ユリア! お願いだ、見捨てないでくれ!」
アルシェは立ち上がり、ユリアの手を取って真剣な目で頼む。
ユリアは悩んだ。アルシェは助けてあげたいが、ジェイドを巻き込むのも気が引けるし、公爵軍の兵士たちにだって家族がいるのだ。敵だからと簡単に殺していい話ではない。
何が正解か全然見えてこなかった。
ユリアは目をつぶり、しばらく考えると、ジェイドに聞く。
「公爵をさらってくる。これだけ……、お願いできるかな?」
「さらう……」
ジェイドは気乗りのしない顔でしばらく考え、
「まぁ……、さらうだけなら……」
と、嫌そうに答えた。
◇
ユリアを乗せたドラゴンは澄んだ群青色の空を飛ぶ。力強く羽ばたきながら雲を越え、ひたすらに東を目指す。公爵の支配する街、ダギュラが見えてきた頃にはすっかりと暗くなり、上弦の月が高く輝いていた。
「見えてきた、あそこだ」
ジェイドが言う。
「あそこね……、結界……かしら?」
ぼうっと明るく光る城郭都市の中心部にはガラスドームのような結界があり、淡く虹色に蛍光して神秘的なイルミネーションとなっていた。宮殿はそのドームの中にある。
「あのくらいなら破れるだろう」
「さすがジェイドね!」
ユリアはジェイドのウロコのトゲにギュッとしがみつく。
ジェイドは宮殿に向けて急降下しながら青白く全身を光らせ、直後、衝撃波を放つ。
衝撃波は結界を砕き、ガシャ――――ン! パリパリというガラスが割れたような音を立てながら崩壊していった。
ジェイドはそのまま一気に突入し、綺麗に手入れされた庭園の広がる正面玄関前に着地する。
しかし……、宮殿には明かりはなく、静まり返り、ただ、不気味に街灯だけが魔法の炎を揺らしていた。
2-10. ドラゴンスレイヤー
「これは……、どういうことだ?」
ジェイドは首を低くしてユリアを下ろしながら言った。
「誰も……いないのかしら?」
「いやいや、まだ宵の口、ディナータイムだ。誰もいないなんてこと無いだろう」
ジェイドはそう言うと人に戻る。
そして、二人は不気味に静まり返る宮殿へそろそろと近づいて行った。
正面の巨大なドアを引いてみると、ガチャリと重厚な音がして動く。カギもかかっていない。
二人は顔を見合わせ、うなずき合うと恐る恐るドアを開けた……。
中は真っ暗で、静まり返っている。
「誰も……、いないみたいよ?」
ユリアがキョロキョロと見回した時だった。急に魔法のランプがポツポツと光り始め、豪奢で広大なエントランスを照らしだす。
ひっ!
思わずジェイドにしがみつくユリア。
ジェイドはそっとユリアの頭をなで、辺りを見回す……。
エントランスの床には青を基調とした壮大なモザイクが施され、大理石でできた真っ白との壁との対比が美しく、壮麗な雰囲気を演出していた。
そして、優美な曲線を描きながら二階へと続く赤じゅうたんの階段、王宮よりも立派な造りにユリアは訝しがる。
「お待ちしていましたよ、グフフフ……」
いきなり声がした。
二人が見上げると、正面の階段をニヤけた男がスタスタと下りてくる。
それはユリアも見覚えもある、頭の薄くなった小太りの中年、ホレス公爵だった。
「こ、公爵! いたのね!」
ユリアは公爵の不気味さに気おされながら声を上げる。
「ドラゴンを殺す様子なんて、家の者には見せられないのでね……」
いやらしい笑みを浮かべるホレス。
『ドラゴンを殺す』というホレスの言葉にユリアは激しい違和感を覚えた。そんなことただの人間にできる訳がない。なぜ、そんなことが言えるのだろう? ホレスの異様な雰囲気にユリアは背筋に冷たいものを感じた。
「よ、よくも追放なんてしてくれたわね! あなたの悪だくみはバレてるの。法廷で裁いてやるから神妙にしなさい!」
ユリアは勇気を振り絞って叫ぶ。
「グフフフ、弱い犬ほどよく吠える……ほわぁぁぁ!」
ホレスがそう叫ぶと、全身がボコボコと膨れだし、肌の色も緑へと変わり始める。
「へっ!?」
思わず後ずさりするユリア。
グッ、グッ……グギャァァ!
ホレスが瞳を黄色に光らせながら苦しそうに喚くと、シャツがパン! と破け、ボコボコと盛り上がった筋肉が不気味に緑色に光った。それは、もはや人間ではない、まるでオーガのような姿だった。
ひぃぃぃ!
異形に変化してしまった公爵、その異様さに圧倒されてユリアはジェイドの後ろに隠れる。
「この姿を見た以上、君たちには死んでもらわんとな……」
ホレスはそう言うと、スラリと幅広の剣を引き抜いた。それは瑠璃色に輝く刀身を持つ美しい剣。表面には幻獣の模様が彫ってあり、もはや宝剣といった風格がある。
「くっ! なぜ、お前がそれを!?」
ジェイドの表情が険しくなる。
「そう、ドラゴンスレイヤー、龍退治用の神の剣だよ、グフフフ」
ホレスはまるで曲芸師の様にドラゴンスレイヤーをブンブンを振り回し、クルクルと回した。
ちっ!
ジェイドは美しい顔を歪めると、気合を込め、全力の衝撃波をホレスへと放った。
ズン!
衝撃波はホレスに直撃し、周囲の階段やインテリアがぐちゃぐちゃに壊れて吹き飛ぶ。
きゃぁ!
その爆風にユリアは思わずしゃがみ込んだ。
コツコツコツ。
爆煙の中から靴音を響かせながらホレスはにやけ顔で現れる。
「物理攻撃無効、魔法攻撃無効、ドラゴンと言えどこの身体、かすり傷一つつけることはできんよ、グフフフ」
そう言いながら、ホレスはブンとジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振った。刀身から放たれた青く輝く光の刃がジェイドを襲う。ジェイドは瞬時にシールドを展開したが、刃はシールドを素通りし、そのままジェイドの身体を切り裂いた。
ぐはぁ!
ジェイドの肩口がザックリと斬れ、血が噴き出す。
「ダ、ダメだ……、逃げる……ぞ!」
そう言ってジェイドはユリアの手を取って出口に駆けだしたが、
「逃がさんよ」
ホレスはそう言いながら瞬歩で一気に間合いを詰めると、ジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振りかかぶった。
「ダメぇ!」
ユリアはジェイドの手を振りほどくと、渾身の神聖魔法を瑠璃色の刀身に放つ。
ガン!
強固な結界が膨張する衝撃で刀身が弾かれ、ドラゴンスレイヤーはホレスの手から離れた。
カン! カン! と音を立てて床を転がっていく。
「くっ! このアマが!」
ホレスは瞳に憎悪の炎を燃やし、逃げようとするユリアに向けて魔法の鎖を放つ。
きゃぁ!
鎖は不気味な紫色の光を放ちながら、まるで触手のようにユリアに巻き付いていく。
ユリアは魔法で何とか鎖を外そうとあがいたが、全ての魔法は跳ね返され、あえなくグルグル巻きにされ、引き倒された。
「いやぁ!」
「ユ、ユリア!」
ジェイドは傷口を手で押さえ、血をボタボタとたらしながらユリアを助けようとしたが、ホレスはドラゴンスレイヤーを拾って再度ジェイドに狙いを絞る。
「ダメ! 逃げてぇ!」
ユリアの悲痛な叫びが広間にこだました。
2-11. 瑠璃色の刀身
くっ!
敵は攻撃の効かない身体にドラゴンスレイヤー、活路を見いだせないジェイドは悔しさで顔を歪めながら一旦外に逃げた。
そして、そっと窓から中の様子をのぞく。
「おやおや、イケメンに逃げられちゃったな」
ホレスはそう言いながら鎖を引っ張り、ユリアをソファまで引きずると、髪の毛をガシッとつかみ、ソファに転がした。
「痛ぁい!」
ユリアは苦悶の表情を浮かべる。
「さーて、ドラゴン。この女をヒィヒィ言わせちゃうぞ!」
ホレスは金色の目で窓をにらみながらユリアの身体をまさぐった。
「何すんの! やめて!」
ユリアは身体をよじらせながら叫ぶ。
するとホレスは、ドラゴンスレイヤーの刃をユリアの頬にピタリと当てる。
ひっ!
氷のように冷たい瑠璃色の刀身がユリアを硬直させる。
「暴れると……、この刃が食い込んじゃうかも……しれないよ?」
そう言ってホレスはドラゴンスレイヤーの刃を少し引く。
柔らかいすべすべとしたユリアの頬が切れ、血がタラリとたれた。
ひぃぃぃ……。
ユリアは何も言えなくなり、涙がポロリとこぼれる。
「さて、ショータイムといこう!」
ホレスは窓に向いて叫ぶと、ドラゴンスレイヤーの刀身の平たい面でユリアの白いワンピースをパン! と叩いた。
すると、ワンピースは一瞬閃光を放ち、ポン! と破裂音を伴いながらはじけ飛んだ。
「い、いやぁ!」
ユリアは全裸となり、かろうじてボロきれが大切な所を覆っている。
なんとかしたいと、もがくユリアだったが、鎖にガッシリと縛られてどうにもならない。
「なんだ、お前まだ男を知らんのか。イケメンとよろしくやってると思ったんだが……」
ホレスはいやらしい笑みでユリアの身体をなめるように見た。
「うっうっうっ、やめてぇ……」
ユリアはか細い声をあげて泣く。
「さーて、ドラゴン! こいつが女になるところをしっかりと見とけよ!」
ホレスはそう言うとユリアの両足をつかんだ。
「ダメぇ!」
ユリアは足を動かそうとするがビクともしない。まるで鋼鉄に足をつかまれたかのようにほんの少しも動く気配がなかった。
その時だった、バン! という扉を蹴る音がしてジェイドがダッシュで駆けてくる。
血をふりまき、美しい顔を苦痛でゆがめながら瞳を真っ赤に輝かせて飛ぶようにホレスに接近した。
「バカめ!」
ホレスはドラゴンスレイヤーを振り上げ、ジェイドめがけて振り下ろそうとする。
その時、ボシュ! という音がして盛大な蒸気がホレスの目の前に吹き上がった。ジェイドは水魔法と火魔法を同時に出し、煙幕としたのだ。
くっ!
ホレスはあてずっぽうにドラゴンスレイヤーを振り回したがジェイドには当たらない。
直後、ジェイドがホレスの頭上に現れた。
「ワシには攻撃など効かん!」
そう言いながらドラゴンスレイヤーを構えなおすホレス。
直後、ジェイドは何かを振り下ろす。
うひぃぃ――――。
奇妙な声を残して、ホレスは消えた……。
「えっ!?」
ユリアは驚いた。緑色の巨体が一瞬で消え去ったのだ。
あっけに取られていると、ジェイドがアイテムバックを見せる。なんと、ホレスをアイテムバッグに収納してしまったのだった。
通常、生き物を吸い込んでしまわないようにアイテムバッグにはセーフティロックがかかっているが、ジェイドはそれを解除して武器として使ったのだ。
クッ……。
ジェイドがガクッとひざをついて、血がポタポタと落ちる。
「あぁっ! ジェイド!」
魔法の鎖が解けたユリアはボロ布で身体を隠しながら、うずくまるジェイドに治癒魔法をかける。しかし、ジェイドの傷はふさがらず、血がだらだらと流れるばかりだった。
ツゥ……。
ジェイドは痛みに顔を歪ませる。
「えっ!? なんで効かないの!?」
ユリアは必死に何度も治癒魔法をかけた。
「神の力でついた傷には魔法は効かないんだ」
「ど、どうしたら治るの?」
ユリアは涙をポロポロ流しながら聞く。
「自然治癒で直すしかない。棲み処へ帰らないと……」
ジェイドはアイテムバッグからユリアの服を出しユリアに渡すと、立ち上がったが……、貧血でふらついた。
「あぁ!」
ユリアは急いで支える。ジェイドの暖かい血がたらたらとユリアの白い肌を赤く染めながら流れていく。
「ジェ、ジェイド……?」
ジェイドは荒い息で凄い高熱を発している。
ユリアはことの深刻さに目の前が真っ暗になる。
「えっ!? ジェイド、ジェイドが死んじゃう――――!」
ユリアは急いでソファにジェイドを横たえると、傷口に布を当て、ジャケットの袖を器用に縛って止血をする。
ジェイドは苦しそうに荒く息をするばかりだった。
2-12. 口移し
「ジェイド! お家に帰ろう!」
ユリアはジェイドに話しかけるが返事がない。意識がもう失われてしまっている。
一刻を争う事態に、ユリアはジェイドを背負うと飛行魔法で浮かび上がった。
そして、月夜の空へ飛び立っていく。
ダギュラの街明かりを受けながら徐々に高度を上げるユリア。
だが、ジェイドを担いで飛ぶのはユリアには荷が重かった。何度もフラフラとバランスを崩しながらも必死に飛び続ける。
「ジェイド、死んじゃダメ!」
ユリアは月明かりを浴びながら涙をポロポロとこぼし、必死にオンテークを目指す。
自分が余計なことを頼んだがためにジェイドを傷つけてしまった。ユリアは自分の考えの甘さが招いた悲劇に打ちひしがれながら必死に飛んだ。
ジェイドのいない人生なんてもうユリアには考えられない。ジェイドを失ったらもう生きていく自信なんてなかった。
自分を救ってくれた大切な人、こんな自分を「好き」と、言ってくれたかけがえのない人、自分が命にかけても救うのだ。
ユリアは歯をぎゅっと食いしばると飛行のイメージを固め、さらに加速していく。
途中何度も強風であおられるも、ユリアは自分の命も燃やす勢いで力を絞り出し、ただひたすらに遠くに見えてきた火山、オンテークを目指した。
◇
月が沈みかける頃、ユリアはボロボロになりながらようやくジェイドの棲み処に戻ってきた。
ユリアはジェイドをベッドに寝かせると、服をはいで傷口を露わにする。パックリと開いた肩口の傷はまだ血が止まらず、青黒く変色しており、その痛々しいさまにユリアは思わず歯がガチガチと鳴る。この傷をうまく治療できないとジェイドは死んでしまうだろう。ユリアは涙をポロポロとこぼしながら、浄化魔法をかけた。
ぐわぁぁ!
ジェイドは、苦しそうに叫ぶ。浄化魔法が瘡蓋になりかけの部分までぬぐってしまっているからなのか、相当に痛そうだった。でも傷口を綺麗にしなければ化膿してしまう。
「ごめんね、ごめんね」
ユリアは泣きながら手を握り、浄化魔法を続けた。
消毒が終わると、裁縫道具から糸と針を取り出す。戦場では消毒して傷口を縫うと聞いたことがある。自分は回復魔法が使えるから無関係だと思っていたが今、大切の人の命を懸けて縫わねばならない。
ユリアはブルブルと震える手を何とか押さえ、溢れてくる血の中、一針ずつ涙をポロポロとこぼしながら縫っていった。
縫うたびにジェイドは歯を食いしばり、苦しそうにするが、どうしようもない。
「もう少し……もう少し、我慢してね」
ユリアは袖で涙をぬぐいながら針を進めた。
◇
全部縫い終わると、タオルを縫い合わせた包帯で患部をグルグルと巻き、毛布を掛け、寝かせた。
しかし、ジェイドの息は荒く、高熱で汗が止まらない。
このままだと脱水症状になってしまう。ユリアは、水をくんでくると、ジェイドに飲ませようとした。しかし、意識がもうろうとしているジェイドはうまく飲んでくれない。
「あぁ……、どうしよう。ジェイド……」
ギュッと手を握って、苦しそうに喘ぐジェイドを悲痛な思いで眺めるユリア。
そして意を決すると、ユリアは自分の口に水を含み、そのままジェイドのくちびるに重ねた。そして舌で少しずつすき間を作り、ジェイドの中へと口移しで流し込んでいく。最初は戸惑っているようだったジェイドも、無心にゴクゴクと飲む。
何回か水を飲ませると、ジェイドは少し安らいだ表情になって静かに眠りについていった。
◇
ベッドわきで看病しながら眠り込んでいたユリアは、頬を優しくなでられて目が覚めた。
「ん……?」
目を開けると、ジェイドが優しく微笑んでいる。
「ジェ、ジェイドぉ!」
ユリアはバッと身を起こすと、ジェイドの手を抱きしめ、ポロポロと涙をこぼした。
「ユリアのおかげだ。ありがとう」
ジェイドはそう言って震えるユリアに頬を寄せる。
うっうっうっ……。
ユリアは大切な人が回復した喜びと同時に、自分のせいでジェイドを失いかけた恐ろしさを思い出し、頭の中がぐちゃぐちゃになってただ泣きじゃくっていた。
2-13. 神様の戯れ
ジェイドの傷は快方には向かっているものの、重傷であり、少なくとも一週間は寝たきりである。
その間、ユリアは食事を用意したり、包帯を替えたり、身体を綺麗にしたり、かいがいしく看病をした。
公爵を捕縛した事はアルシェには伝えてあるが、ジェイドがこんな状態である以上、しばらく王都へは行けない。王国の立て直しは十四歳の新王には荷が重いとは思うが、化け物と化した公爵を見てしまったユリアには、もう政治の世界に近づく気にはなれなかった。
「公爵は……、なんであんな化け物になっちゃったのかな……?」
ユリアは食後に紅茶を入れながら聞いた。
「分からない。だが、彼が使っていたのは神の力……、人間が手にできるような力ではない」
「後ろに神様がついてるってこと? 神様が私を追放させ、王国を滅ぼそうとしたってことなの?」
「そうなるが……、神様にはそんなことするメリットなんてない。公爵なんか使わなくても一人で王国なんて滅ぼせてしまうし」
ジェイドは眉をひそめながら紅茶をすすった。
「そうよね……。どういうことなのかしら……」
「神様が関わっているとしたら我はもう出られない」
ジェイドは傷口をさすりながら言う。
「そうよね……」
アルシェを手伝ってあげたい思いもあるが、これ以上ジェイドを危険な目に遭わせるわけにはいかないのだ。
神様の戯れに振り回される人間たち……。
ユリアは大きくため息を漏らし、紅茶をすすりながら思案に沈んだ。
◇
その晩、ユリアがベッドに入ると、ジェイドが腕枕をしてきた。
「えっ!? 傷口が開くわよ?」
ユリアは驚く。
「このくらい大丈夫だ。いろいろありがとう」
ジェイドはユリアの頭をなでながら言った、
ユリアはジェイドの精悍な男の匂いに頬を赤らめながら、
「このくらい大したこと無いわ」
と言って、スリスリと頬でジェイドを感じた。
「最初の晩に……」
ジェイドがちょっと恥ずかしそうに切り出す。
「え?」
「もしかして、水を……飲ませてくれた?」
ユリアはボッと顔から火が出る思いで真っ赤にして、
「ごめんなさい、あれは必死だったの!」
そう言ってジェイドの胸に顔をうずめた。
「謝らないで……。もっとして欲しいくらいなんだから……」
ジェイドはユリアに頬を寄せ、耳元でささやく。
「え……?」
ユリアは恐る恐るジェイドを見る。
すると、ジェイドは優しくユリアの頬にキスをした。
唇の温かな感触にユリアは少しボーっとして……、そして、吸い寄せられるようにジェイドの唇を求めた。
ぎこちなく唇を重ねるユリアをジェイドは優しく受け入れる。しばらく二人はお互いの想いを確かめるように舌を絡めた。
想いが高まったユリアはついジェイドを抱きしめようと、もう片方の腕に触れてしまう。
うっ!
ジェイドが痛そうな声をあげて固まる。
「あっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
ユリアは慌てて離れた。
「だ、大丈夫……」
ジェイドは美しい顔を歪めながら傷口を押さえる。
ユリアはジェイドの様子を申し訳なさそうにしばらく眺め、毛布を広げるとそっとジェイドにかぶせた。
◇
翌日、ユリアが食事の用意をして部屋に持ってくると、ジェイドが深刻そうな顔をしている。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
ユリアがプレートをテーブルに置きながら、引きつった笑顔で聞く。
ジェイドは大きく息をつくと言った。
「王国で内戦だ。公爵軍が反旗を翻した」
「えっ!? 公爵はもういないのに?」
「先日のオザッカの侵攻で王国軍がかなりやられてしまったので、統制が効かないのだろう」
「ど、ど、ど、どうしよう……」
ユリアは青くなってうつむく。また多くの人が死んでしまう。アルシェも死んでしまうかもしれない……。
「どうしようもない。人間同士の争いに首を突っ込んじゃダメだ」
「そ、そんな……」
ユリアが行ったとして戦争なんて止められない。それは分かっているが、王都の人たちが傷つくのは何とか減らしたい。何かいい手は無いだろうか……?
「治癒だけ、ケガを直すのだけやればいいのかも?」
「ダメだ。直した兵士はまた戦いに行くし、ユリアも標的になる」
「じゃあどうしたら!?」
ユリアは今にも泣きそうな目でジェイドを見る。
ジェイドは目をつぶり、大きく息をつくと諭すように言う。
「祈る……しかない」
「そんなぁ!」
ユリアはガックリとうなだれ、涙をポロポロとこぼす。
自分の無力さ、神の理不尽さ、そんな神に踊らされる人間たちの不甲斐なさに打ちのめされ、動けなくなった。
2-14. 荒廃した大地
「勝敗がついたら……、復興を手伝いに行こう」
「そんなこと言って、アルシェが死んだらどうするのよ!」
ジェイドはムッとした様子で言う。
「あいつは特別なのか?」
「と、と、特別……、なんかじゃないけど……。追放された時にずいぶん助けてもらって勇気づけられたの」
ジェイドはふぅ……と、息をつくと言った。
「分かった、友達に言って彼が死ぬことのないように警護してもらおう」
「えっ?」
「この情報をくれたのも彼女なんだが、友達の妖狐が今、王都で様子をうかがってくれている。本陣が危なくなったら彼だけでも助けだしてもらうよう頼んでみよう」
「あ、ありがとう!」
ユリアはジェイドの手を取り、涙をぬぐう。
「戦争が終わったら彼女に美味しいものでも食べさせてやってくれ」
ジェイドはユリアの手をギュッと握る。
ユリアはゆっくりうなずいた。
◇
しばらく二人は妖狐からの戦況情報を聞きながら、一喜一憂する落ち着かない日々を過ごしていた。
すると、突然、とんでもない情報がもたらされる。
南西にある大きな島国のサグが挙兵してオザッカに攻め込んだというのだ。オザッカは先の王都侵攻で将校たちが囚われ、軍事力に陰りが出ているのは確かだったが、全く予想外の事態にユリアはうろたえる。
「王国が分裂してるからチャンスだと思ったんだろう」
ジェイドが淡々と言った。
「サグがオザッカを制圧したら王国にも……来るかな?」
ユリアが泣きそうな顔で言う。
「反乱をうまく鎮圧できなければ来るだろうね」
「そ、そんな……」
うなだれるユリア。
ジェイドは心配そうにユリアを見つめ、そっとハグした。
事態はさらに混迷を深めていく。
オザッカをあっという間に制圧したサグはその勢いのまま王都へと侵攻していった。
アルシェたちは王都で籠城をし、サグを迎え撃ったが、なんとその時、島国サヌークの軍隊が電撃的にサグの首都を急襲したとの報が駆け巡る。
これですべての国が戦争に突入し、全土が戦火に覆われることになった。
街の人たちは次々と田舎へと逃げだし、街は閑散として経済もマヒする。さらに軍隊の特殊部隊は敵地の農村の田畑を焼き払い、兵糧攻めを図る。
食べ物を失った人々は次々と飢えに倒れ、地獄絵図があちこちで展開されることとなった。
◇
じっとしてられないユリアは、朝早くジェイドに内緒で王都へと飛んだ。
森を越えると焼け焦げた農村が広がり、人の姿はどこにも見えない。あれほど豊かな実りを見せていた豊穣の大地はただの焼け野原となり、まさに地獄と化していた。
ユリアはあまりのことに呆然とし、涙をポロポロとこぼしながら飛ぶ。
うっうっうっ……。
とめどなくあふれてくる涙を止めることをできないまま、ただ、王都へと急いだ。
遠くに王都が見えてきたが、どうも様子がおかしい。いつもならにぎやかに人が行きかい、あちこちから湯気の上がる活気を見せていた街には何の動きも見られない。
はやる気持ちを押さえながら近づいて行くと、そこはゴーストタウンだった。あれほど活気にあふれていた街には誰もいなかったのだ。
「うそ……」
ユリアはその惨状に言葉を失ってしまう。
つい先日まで王国の中心として十万人の人が暮らしていた活気のある巨大な街が、あちこち焼け焦げた廃墟の街と化してしまっていたのだ。
かろうじて中心部の方に人の気配があり、ユリアは急いで飛んだ。
王宮が見えてきたが、美しかった庭園は掘り起こされ、畑となっており、何人かが畑仕事をしている。
ユリアが着陸しようとすると、魔法が飛んできた。急いでシールドを張って防いだが、次々と攻撃を受け、やむなく引き返すことにする。
敵意がない事をちゃんと示して丁寧にやればよかったのかもしれないが、荒廃しきった王都や農村を見てしまったユリアは、もういっぱいいっぱいでそんな余裕もなかったのだ。
2-1. 想定外の言葉
「我と暮らすのは嫌になった?」
寂しそうな声を出すジェイド。
「そ、そんなこと無いわ! いつまでも一緒にいたいわ!」
ユリアは慌ててジェイドの胸に顔をうずめながら言った。
優しく背中をさするジェイド。
「ただ……。多くの人が傷つくのが耐えられないの……」
「ユリアは優しい娘だな……」
「神様にもらった『大聖女』の力を生かさないのは……なんだかサボってる気がして……」
ジェイドは優しくユリアの頭をなで、しばらく思案すると言った。
「分かった。我の方で、それとなく王都の情報を調べておこう」
「……。ありがとう……。ジェイド大好き……」
ユリアは自分の口をついた、とんでもない言葉に仰天する。
「あ、いや! だ、だ、だ、大好きっていうのはね……」
真っ赤になって慌てて取り繕う言葉を探すが……、見つからない。
「我も好きだぞ」
ジェイドはそう言ってユリアをギュッと抱きしめた。
「えっ!? えっ!?」
ユリアは激しく高鳴る心臓の音にどうしたらいいのか分からず、頭から湯気をあげながらただギュッとジェイドにしがみつく。
そんなユリアの頬を愛おしそうにジェイドはなでた。
優しい指使いに、ユリアはゾクッと背筋に痺れるものを感じ、恐る恐るジェイドの顔を見上げる。
月明かりに照らされた部屋の中で、ジェイドの瞳の中には紅く炎が揺らめいて見えた。
ユリアは思わずジェイドの頬に手を伸ばし……、指先でそっと触れる。
ジェイドの整った顔に真剣な表情が浮かび、ゆっくりとユリアに近づいた。
ユリアは緊張で硬くなりながらもそっと目を閉じる。
温かなジェイドの唇がユリアの可愛い唇に重なり、柔らかな舌がユリア唇を温かく湿らせる。
ユリアはピクッとファーストキスの感覚に驚き、固まる。
でも高まってくる熱い胸の内をどうしたらいいか困惑し……。
そして、意を決した時、ジェイドは離れる。
「おやすみ……」
ジェイドはユリアの額にキスをして、髪をなでると毛布を優しくかける。
……、え……、終わり?
ユリアは思わず口をポカンと開けてしまう。
モジモジと動くユリアだったが、やがて、ジェイドの寝息が聞こえてくる。
「えっ!?」
ライト・キスだけで放置するジェイドに、
「バカ……」
と、つぶやくと、寝返りを打ち、毛布をかぶった。
ただ、火照った身体は鎮まらない。
ユリアは毛布をそっと持ち上げて、幸せそうに寝ているジェイドをちょっとにらむと、
「あー! もう!」
と、一人で憤慨し、また毛布をかぶる。
その晩ユリアはしばらく寝付けなかった。
◇
それから数週間、ユリアは森の中で静かに暮らした。
言われた通りに、きっちりと大聖女の仕事を全うしてきたはずの自分が追放され、多くの死傷者が出てしまった。なぜこんな事になってしまったのか?
これまでの自分の生き方は正しかったのか? これからどう生きたらいいのか?
天気のいい日、ユリアは少し足を延ばし、水の透き通った綺麗な池のほとりに座って、鳥のさえずりを聞きながらゆったりと流れていく白い雲を眺めていた。
ただ、幾ら悩んでも答えなど分からない。
ふぅ、ユリアは大きく息をついて小石を投げ込み、広がる波紋をしずかに眺めた。
「ユリア、ここにいたのか」
ジェイドが爽やかな笑顔でやってくる。
吹っ切れた表情でユリアが言った。
「ねぇ、ジェイド。海を見に行きたいわ」
「海? 魚でも獲るのか?」
「違うわよ、泳ぐの! 海辺の街の人は暖かい季節にはビーチでくつろいだり泳いだりするって聞いたわ」
ユリアは楽しそうに言う。
「それ、楽しいのか?」
「知らないわよ! だから行ってみたいの!」
ユリアは口をとがらせる。
「……。南の島まで行けばもぐると綺麗かもな……。でも……、南の島はちょっと遠いぞ?」
ジェイドはユリアの気迫に押され気味だ。
「ふふっ、頼りにしてるわ!」
ユリアは最高の笑顔を見せる。
ジェイドは大きく息をつき、目をつぶってしばらく考えると、
「では、ピクニックセットを用意して、肉多めで行くか」
そう言ってニッコリと笑った。
◇
ジェイドはドラゴンとなり、ユリアを首の後ろに乗せ、言った。
「すごく高い所を行くからシールド張って」
「わ、分かったわ」
ユリアは得意の神聖魔法で自分の周りに強固なシールドを張る。
「では行くぞ!」
気合を入れた声が響いた。
後ろ足で大きく跳び上がり、そのまま大きな翼でバサッバサッと羽ばたいていくジェイド。
羽ばたくごとに森の木々が小さくなり、グングンとオンテークの山が遠ざかっていく。
ジェイドは加速しながら雲をつき抜けた。
すると一気に雲海の世界が広がる。燦燦と太陽がまぶしく輝き、真っ青な空に真っ白い雲の海。
「うわぁ、素敵……」
ユリアは初めて見る雲海に驚く。
すると、ジェイドは羽ばたくのをやめて翼を畳み、気合を入れると身を青白く光らせた。
「えっ!?」
ユリアがビックリしていると、ジェイドは飛行魔法でものすごい加速を始める。
「うわわわわ」
速度はグングンと上がり、やがて、ドン! という衝撃音を立てて音速を突破する。そして、さらにジェイドは高度を上げていった。
2-2. 黄金の祝福
やがて青空は暗くなり、昼なのに夜のような空になる。宇宙に近づいたのだ。
下を見ると、まるで地図を見ているみたいにくっきりと海岸線が見て取れる。
しばらく行くと、小さく城壁で囲まれた街がある。なんとそれは王都だった。
「えっ!?」
あの壮大な街がまるでオモチャみたいなのだ。
ユリアは大聖女として奮闘した二年間を思い出す。最後は追放されてしまったが、思い出の詰まった王都。
よく見ると城門の周辺が黒く焼け焦げて見える。その激しい戦闘の傷跡に思わず心臓がキュッとする。
ユリアは急いで手を合わせ、魔物の襲来で死傷してしまった人たちのことを思い、祈った。
そして、手を金色に光らせるとキラキラとした光の祝福を王都に向けて放つ。祝福はまるで黄金のオーロラの様にゆらゆらと光跡を描きながら王都の上空に展開し、まばゆい光の粒をひらひらと振りまいた。
王都の人々は皆、いきなり現れた光の舞う空を驚きながら見上げる。一体何が起こったのか分かっていなかったが、みんな神聖なる光に手を合わせ、幻想的な光景にしばらく見入っていた。
ゲーザは王宮の執務室で知らせを聞いて急いでテラスに出る。そして、美しく煌めく黄金のオーロラを見上げ、目を見開くと、キュッと唇を噛む。
「ユリアめ……、やはり殺しておけばよかった。忌々しい!」
そうつぶやくと急いで教会へと走り出した。
◇
ジェイドはさらに速度をあげながら南西へと進む。西隣の国オザッカ、その南の小さな島国サヌーク、そして遠く向こうに見えてくる大きな島国のサグ。
ユリアは地図でしか見たことのない国々を静かに眺めていた。ここのところ平和な時代は続いているが、噂によればこれらの国々は軍拡を進めているという。王国とは友好関係にはあるもののいつまでも平和な時代が続く保証はない。手を合わせて平和を祈ってはみたものの、何の力にもなれない自分の無力さに思わずため息を漏らした。
しばらく飛んで、サグを越えた辺りでジェイドは高度を落としていく。見ると、広い海の中に点々と島があった。
さらに降りて行くと、島の様子が見えてくる。島の周りはエメラルドグリーンに明るく彩られていた。最初は何の色か分からなかったが、近づいて行くと、それはサンゴ礁と透明度の高い海の色だった。
「うわぁ……」
ユリアはシールドを解いて思わず身を乗り出す。
「どうだ? 綺麗だろ?」
ジェイドが言う。
「うん! すごい、すごーい!」
ユリアはキラキラとした笑顔を振りまきながら、初めて見る南国の海に魅了されていた。
◇
ジェイドはさらに高度を落とし、そのまま真っ白なビーチの沖へ着水する。
ザザザザー! と派手に波しぶきをあげながら徐々に減速し……、ビーチのそばまでくるとゆっくりと止まった。
ザザーンという静かな波の音が響き、爽やかな潮風が吹き抜けていく。
「到着だ。お疲れ様」
ジェイドは首を低く下げる。
熱を持つジェイドのウロコは、波を受けるとシュワァと音を立てながら湯気を立てた。
真っ白なビーチにエメラルドグリーンの透明な海、真っ青な空にポッカリと浮かぶ白い雲。ユリアは周りを見回して、
「ヤッター!」
と、両手を突き上げて叫ぶ。そして、そのまま海に飛び込んだ。
ザッブーン! と上がる波しぶき。
ユリアはしばらく陽の光の煌めく透明な海の中をスーッと進み、
コポコポコポォと上がる泡の音を楽しむ。そして浮力に身を任せて水面に戻ってくると、
プハ――――!
と、水面から頭を出し、満足げな顔で大きく息をつく。
「素敵! でも塩辛いね」
ユリアは片目をぎゅっとつぶりながら、それでもうれしそうに言った。
ジェイドはうなずくと、
「準備してるね」
そういってザバザバと波を立てながらビーチに上陸し、ボン! と人化する。そして、アイテムバッグから敷物やロープなどを取り出すと拠点を設営し始めた。松のようなモクマオウの樹にロープを結んでタープを張り、その下に敷物を敷いて小さなちゃぶ台を出す。そしてガラスのピッチャーに魔法を使って氷水を注ぐと、そこにレモンとハチミツを入れてレモネードにし、グラスに注いでグーっと一気飲みをする。
ふぅ……。
ジェイドは一息つきながら、エメラルドグリーンの海ではしゃいでるユリアを見て目を細めた。
2-3. やっぱり見てた
しばらくすると、ユリアが大きく手を振りながらビーチに上がってくる。
ジェイドは最初ほほえましくユリアを見ていたが、何かに気がついて手のひらで目を覆った。
「ジェイドどうしたの?」
ユリアは目を合わせようとしないジェイドを不審に思う。
ジェイドはアイテムバッグから麻のベストを出し、
「これを着て」
と、そっぽを向きながら渡す。
「え……?」
何のことか分からなかったユリアは自分の身体を見て驚いた。白いシャツは身体にピッタリと張り付き、濡れて透け透けになっていたのだ。
「きゃぁ!」
ユリアは両手で胸を隠し、
「み、見たわね!?」
と、真っ赤な顔で言いながら、ベストをサッと奪い取った。
「遠目だったから見えてない……」
そう言って、ジェイドはそっぽを向きながらちょっと頬を赤らめる。
ユリアは急いでベストを羽織り、
「ウソばっかり……」
そう言って体育座りをしてひざに真っ赤な顔をうずめた。
「レ、レモネードでも飲んで……」
ジェイドはグラスにレモネードを満たすと、ちゃぶ台に置いた。
ユリアはしばらくむくれて動かない。
「裸じゃないんだから大丈夫だよ」
ジェイドはフォローするが、ユリアは微動だにしない……。
やがて小声で言った。
「ひ、貧弱で恥ずかしいの……」
ジェイドは首をかしげて言う。
「貧弱? 綺麗だったぞ?」
するとユリアはガバっと起き上がり、
「やっぱり見てたんじゃないのよぉ――――!!」
と、叫んでジェイドの二の腕をパシパシと叩いた。
「ごめん、ごめん……」
ジェイドは渋い顔で目をつぶる。
「……。でも……、ジェイドが悪い訳じゃないもんね……。ごめんなさい……」
そう言ってユリアはまた体育座りをして小さくなった。
「レモネード、美味しいよ」
ジェイドは優しく勧めた。
すると、ユリアは大きく深呼吸を繰り返し、チラッとジェイドを見ると、
「ありがと……」
と言って、レモネードをゴクッと飲み、水平線を眺めた。
コバルトブルーのまっすぐな水平線、ぽっかりと浮かぶ南国の雲、燦燦と照り付ける太陽……、そこは楽園だった。
ユリアはふぅ、と息をつくと、
「美味しい!」
と、言って、まだ少し恥ずかしそうな笑顔でジェイドを見る。
ジェイドはうんうんとうなずき、優しい目で微笑んだ。
◇
「では、潜りに行くか……」
そう言うとジェイドは指輪を見せた。
「ゆ……指輪?」
困惑するユリア。
「この指輪をしておくと水中でも息ができる」
「そ、そうなの……? じゃ、つけて!」
そう言うとユリアは両手の指を広げてジェイドに差し出し、赤くなってうつむいた。
ジェイドは微笑むと、聞いた。
「どの指がいい?」
「ジェ、ジェイドが決めて!」
「そうか……」
ジェイドはそう言うと、右手の薬指にスッとはめた。
「えっ!?」
ユリアは真っ赤になっておずおずとジェイドを見上げる。
「嫌か?」
ニコッと笑うジェイド。
「こ、これって……」
とまどうユリアにジェイドは、
「さぁ行くぞ」
と、言ってユリアの手を優しく引いて海へといざなった。
「えっ!? ちょ、ちょっと……」
ユリアは困惑しながら手を引かれるままに真っ白なビーチを歩き、透明な水の浅瀬をバチャバチャと進んだ。
腰の深さまで来ると、ジェイドは魔法のシールドをユリアの頭の周りに張って言った。
「では、海の世界にご招待だ。のぞいてごらん」
ユリアが恐る恐る海の中に顔をつけると、そこには美しいキラキラとした南国の海の世界が広がっていた。白い砂には陽の光が網目状の模様となって揺れ動き、小魚たちが群れ泳いでいる。
「うわぁ……」
ユリアは満面に笑みを浮かべ、トロピカルな海の世界に魅せられていた。
2-4. 天然のコンサートホール
「さぁ、行こう……」
そう言うとジェイドも一緒に潜り、ユリアの手を引いた。
二人は海の世界の中をスーッと潜っていく。
白い砂浜はやがてサンゴ礁となり、青や真紅の鮮やかな小魚の群れがサンゴの周りを覆っている。ひらひらと舞うミノカサゴを追い越し、さらに沖へと進んで行くと、徐々に風景が青くなっていく。
上を見上げると海面がキラキラと揺れ、陽の光がオーロラのように煌めきながら光のカーテンを作り、そこをウミガメがゆったりと横切って行った。
「うわぁ、素敵……」
ユリアは生まれて初めて見る海中の景色に、思わずウットリとしてしまう。
すると、巨大なナポレオンフィッシュが近づいてきて、好奇心旺盛にユリアの周りをゆっくりと泳ぐ。
ユリアが手を振ると不思議そうに目玉をキョロキョロさせながら手を眺め……、そして急に身をひるがえすと逃げていった。
何だろうと思っていると、巨大な影が近づいてくる。ゆうに三メートルは超えようかというイタチザメだった。体には特徴的なしま模様が見える。サメはスーッと近づいてくると、ギョロリとユリアをにらみ、通過していく。ユリアは思わず身をこわばらせた。そして、ゆったりとUターンすると、こちらに戻ってくる。
ジェイドはサメをにらむと、
グルグルグル、と重低音を発する。
するとサメはビクッと驚き、スーッと逃げて行った。
「ふぅ……、ビックリした……」
ユリアが胸をなでおろすと、ジェイドはサムアップしてニコッと笑う。
そして、ジェイドはさらに沖へとユリアを引っ張っていく。
しばらく行くと、紺色の海中の中にぼんやりと黒いものが見えてくる。何だろうと思っているとそれは巨大な穴だった。どこまでも真っ黒な底の見えない深さに思わずブルっと身を震わせるユリア……。
ジェイドはそんなユリアを見てニコッと笑うと、手を引いてその穴の中へと降りて行く。
穴は洞窟となっており、向こうの方に開いたいくつかの穴からは陽の光が差し込み、まるでスポットライトが当たっているかのように、揺らめきながら洞窟内を淡く照らしていた。そして、バラクーダのような長細い大きな魚の群れがスーッとそこを横切っていく。それはまるで天然のコンサートホールのようで、ユリアは思わず見とれてしまう。
海の中は驚きと感動の宝庫である。その後もあちこち海中を散歩し、ビーチへと戻ってきた頃には陽はすでに傾き、砂浜はオレンジ色に染めていた。
ユリアはタオルで髪の毛を拭きながら、
「海って素敵ね!」
と、嬉しそうに笑う。
ジェイドはレモネードを作り直しながらニッコリと微笑んだ。
ユリアは徐々に傾いていく太陽を見ながら、
「帰るのがもったいないくらいだわ……」
と、つぶやく。
「今晩はここに泊まる?」
ジェイドは楽しそうに聞いた。
「えっ!? ど、どこで寝るの?」
「ハンモックを釣ればいい」
ジェイドはそう言ってタープを結んでるモクマオウの樹を指さす。
「い、いいわよ」
ユリアは初めての野宿にちょっと不安を覚えつつも、好奇心に惹かれて答えた。
ジェイドは良さそうなモクマオウの樹を二本探し、それらの枝の間にロープを二本平行に結び付け、ロープの間に毛布を張った。
試しに寝転がるジェイド。ハンモックはゆらゆらと揺れ、いい具合である。
ジェイドは目をつぶり、満足したようにうなずいた。
それを見たユリアは、
「私も~!」
と、ジェイドの脇に強引に滑り込む。
「おっとっと……」
ギシギシと揺れるハンモックに慌てるジェイド。
「うわぁ、ハンモックって不思議ね」
ユリアは無邪気に喜ぶ。
やがて夕焼けが空を覆い、水平線の向こうに真っ赤な太陽が沈んでいく。
二人は何も言わず、その荘厳な大自然のショーを見つめていた。
茜色に染まる雲、キラキラと夕陽を反射する海面、ザザーンと音を立てながら夕日に染まる波打ち際……、その全てが神聖な感動をともなって胸に迫る。
「ジェイド……、ありがとう……」
ユリアはジェイドの手をギュッと握って言った。
「どうしたんだ? 改まって」
「私……、ジェイドに良くしてもらってばかりで申し訳なくって……」
「我はユリアといるだけで楽しいぞ」
ジェイドはユリアの髪をなでながら言う。
「ふふっ、ありがとう……」
ユリアはそう言うと伏し目がちに続けた。
「私ね、反省してるの」
「えっ?」
「私、幼なじみに裏切られて追放されたんだけど、それって半分私のせいなのよね」
「そう……なのか?」
「私、彼のことは便利な従者だとしか思ってなくて、一人の人間として接してなかったのよ」
「そんな、自分を責めなくても……」
「彼だけじゃないわ。公爵派が暗躍してたなんて知らなかったし、何の興味もなかったの。私は目の前の自分の仕事だけちゃんとしてればいいわって、狭い世界に閉じこもって自分のことだけ考えてたのよ……」
そして、ユリアは来る途中に見た王都の傷跡を思い出す。
「大聖女だからとおごっていたんだわ。結果として、多くの人を傷つけ、殺してしまったの……」
ユリアは目をギュッとつぶり、ポロポロと涙をこぼした。
「ユリアはまだ十六才だろ? 責任を感じることなんてない」
ジェイドはそう言ってギュッとユリアを抱きしめる。
うっうっうっ……。
ユリアはしばらく肩を揺らしていた。
やがて陽は沈み、茜色から群青色への美しいグラデーションが空を覆う。
宵の明星が西の空に鮮やかに輝き、いよいよ夜がやってくる。
ユリアは泣き疲れ、ジェイドの体温を感じながらいつの間にか寝入っていった。
2-5. ガラスの五十階建てビル
パチ、パチン!
薪のはぜる音でユリアが目覚めると、満天の星々の中、濃い天の川がまるで光の柱の様に立ち昇っていて思わず目をこすり、息をのんだ。
「うわぁ……、綺麗……」
脇の方ではジェイドが焚火をたいて、ディナーの準備を進めている。香ばしい肉の焼ける匂いが漂ってくる。
「ごめんなさい、何か手伝うわ……」
ユリアは急いで駆け寄ると、ジェイドは
「では食器を並べて」
と言ってニコッと笑った。
◇
ジェイドはお皿に肉を削いで、グラスにリンゴ酒を注ぐ。そして、焚火のほのかな明かりの中で乾杯をした。
「さっきはごめんなさい……」
ユリアは、腫れぼったい目をしながら謝る。
「魔物で被害が出たならそれは魔物のせいだろ? 責任を感じることなんてない」
ジェイドは肉を食べながら淡々と返した。
「でも……」
「そんなことより、肉が冷めちゃうよ。早く食べて」
ジェイドは微笑んで言った。
ユリアは目をつぶって大きく息をつくと、
「そうよね……。それに、終わったことを悩んじゃダメね」
そう言ってこんがりと焼けたお肉をほお張る。
「美味しい……」
ユリアはしばらくジューシーな肉の旨味に癒されていた。
「たくさんあるから、いっぱい食べて」
ジェイドは肉を削いでユリアの皿に肉を追加する。
「ふふっ、ありがと……」
ユリアはうれしそうに笑った。
ジェイドはそんなユリアを見て微笑む。
◇
たらふく食べた後、紅茶を飲みながらユリアは聞いた。
「ジェイドさぁ……、魔法は作られたモノって言ってたよね?」
「そうだね」
「でも……、魔法って自分と深い所ですごいなじんでて、後付けされたように思えないんだけど……」
首をかしげるユリア。
「んー、人間もまた神様たちに作られたものだからね」
「う? 神様……?」
ユリアは驚いた顔でジェイドを見つめる。
「この星も一万年くらい前に作られて、その時に人間も生まれたんだ」
「ちょ、ちょっと待って!? 一万年!?」
「正確には一万二千年前くらいかな?」
「いやいや、地層とか化石とか、何千万年前の物だってあるわよ?」
「それは神様が埋めたんだよ」
ジェイドは笑いながら答える。
「埋めた!?」
「神様にしてみたら、その辺をシミュレートしてそれっぽく仕上げるのはお手の物だからね」
ユリアは絶句した。この世界は神様に作られ、自分の先祖もその時にできたものらしい。
「何か変かな?」
ショックを受けているユリアを見てジェイドが聞いた。
「え? いや……、神様はなんでそんなことを?」
「さぁ……、神様のすることなんて龍には分からない」
ジェイドは肩をすくめる。
「会ったこと……あるの?」
「前世で一回、視察に来られた女神様に会った。気さくな方だったよ」
「気さくな女神……。会って何したの?」
「この星の状況を聞かれたので答えたのと……、女神様の住む街、東京に連れてってもらった」
「東京? 神様の街?」
「住んでるのは人間だね。その中に紛れて神様たちの拠点があるんだ。とんでもない街だったよ。ガラス張りの五十階建てのビルとかが建っていて、それがたくさん並んでるんだ」
ジェイドは両手を広げ、少し興奮気味に言う。
「ガラス張りで五十階!? すごい魔法ね……」
「それが、魔法のない街なんだ」
「へ……? 魔法も無くてどうやって?」
「わからない。東京には一千万人の人が住んでいて、空には何百人乗りの乗り物が飛んで、時速三百キロで走る乗り物が街を繋いでいるんだ」
ユリアは絶句する。魔法もなしで一体そんなことどうやって実現するのか、皆目見当もつかなかった。
「次に機会があったら連れてってもらうといい」
微笑むジェイド。
「そ、そうね……」
この星と自分たちを作った神様が、五十階建てのガラスのビルの街で人々に紛れて暮らしている。ユリアはその信じがたい不思議な話をどう捉えたらいいか途方に暮れ、パチパチとはぜる焚火の炎をボーっと眺めていた。
2-6. 王都陥落
寝る時間になり、ジェイドはハンモックにユリアを寝かせると毛布を掛けた。
「え? ジェイドはどこで寝るの?」
ユリアが聞く。
「我は龍となってビーチで寝る」
そう言って優しく笑うとジェイドは立ち去ろうとする。
ユリアは急いでシャツの裾をつかんだ。
「ま、待って! さっきみたいに一緒に寝たら……いいんじゃない?」
少し引きつった笑顔を見せるユリア。
「狭いよ?」
ジェイドは首をかしげて答える。
ユリアはうつむいて、
「そ、そうよね……」
そう言って手を離し、ジェイドに背を向けて毛布をかぶった。
ベッドで添い寝してもらう暮らしに慣れてしまったユリアには、一人寝はさみしく感じられてしまう。
ふと気がつくと涙がうっすらと滲んでいる。ユリアはあわてて手でぬぐった。
男女の営みのないプラトニックな二人ではあったが、ユリアにとってジェイドがそれだけ大きな存在になってしまっていたのだ。
すると、毛布がそっと持ち上げられ、ジェイドがハンモックに乗り込んでくる。
「寝付くまで一緒にいてあげる」
ユリアは何も言わず、ギュッとジェイドを抱きしめた。
急いで動いたものだからハンモックは大きく揺れる。
「おっとっと……。急に動くと危ないぞ」
ジェイドは飛行魔法でハンモックの揺れを抑えながら言った。
ユリアは幸せそうにジェイドの胸に顔をうずめる。
ジェイドはそんなユリアの髪をそっとなで、微笑んだ。
◇
翌日も二人は海に潜り、魚と戯れ、南国のリゾートライフを満喫する。
午後に海からビーチへと戻ってきた二人は、レモネードを飲んで静かに海を眺めていた。
すると急にジェイドが険しい表情でブツブツと何かをつぶやきだす。
「……、王都? ……、オザッカ? ……、ありがとう……」
そして眉をひそめ、考え込む。
「ど、どうしたの?」
そのただならぬ雰囲気にユリアは恐る恐る聞いた。
ジェイドは大きく息をつくとユリアをじっと見て切り出す。
「戦争だ。王都が襲撃され、すでに陥落したらしい」
「えぇっ!?」
ユリアは思いもしなかった事態に青ざめた。
「オザッカの軍隊が一気に王都を襲い、王都側はまともな反撃もできずにあっという間に制圧されてしまったそうだ」
「そ、そんなことあり得ないわ! 王都の軍隊の方が圧倒的に強かったはず……」
そこまで言って、ユリアはスタンピードのことを思い出す。
「もしかして、魔物との戦いで弱ってしまって……いた……?」
「それもあるが、あっという間に城門を突破されてしまったらしいので、誰かが手引きしたのだろう」
「誰かって!?」
「公爵派じゃないか?」
「そ、そんな! 公爵だって王国の一員よ。王国を裏切るなんて……」
「王国を乗っ取るために公爵はオザッカと手を組んだ、と考えれば全てつじつまが合う。実際、公爵の軍隊は援軍として出てきていないそうだ」
「な、なんてことを……。私が居たらスタンピードも防げたし……」
と、言ってユリアは、気がついてしまった。
大聖女の追放、スタンピード襲来、オザッカによる制圧、全部最初から計画だったのでは?
青ざめるユリア。
自分が呑気に暮らしている間に進んでいた恐るべき計画。こんな所で遊んでる場合じゃない。
「行かなきゃ!」
ユリアは目に涙をいっぱいため、ジェイドの手をガシッと握った。
「行って……、どうする?」
ジェイドは淡々と言う。
「どうするって、決まってるじゃない! オザッカの兵士たちを王都から追い出すのよ!」
「その後は? もう、王族は残っていないと思うが」
「えっ!?」
ユリアは言葉を失う。
確かに公爵派が仕組んだとすれば王族は皆殺しにされているだろう。と、なると、オザッカの兵士を追い出しても後に入るのは……誰?
「追い出しても次は公爵の軍隊が攻めてくるだろう」
「そ、そんなぁ……」
ユリアはがっくりと肩を落とし……、うなだれた。
「これは権力闘争であり、覇権争いだ。ユリアは近づかない方がいい」
ジェイドは諭すように言う。
ユリアはあまりにもたくさんの想い、考えが渦巻いてぐちゃぐちゃとなり、頭を抱えた。
確かに権力闘争であればユリアは近づくべきではない。でも……、優しくしてくれた侍女や聖女のみんながひどい目に遭っているとしたらそれは助けたい。そしてアルシェ……彼がまだ生きているなら力になりたい。自分が強制収容所送りにならなかったのは彼のおかげなのだから。
ユリアはガバっと身を起こすと、しっかりとした目で言った。
「ジェイド、王都まで送って。この目で見て、できることを考えたいの」
ジェイドは目をつぶって大きく息をつき、しばらく考える。
そして意を決すると、ユリアを見てゆっくりとうなずいた。
2-7. 大聖女の矜持
ジェイドはすさまじい速さでかっ飛んだ。行きよりもずっと高く、ずっと激しい光を放ちながら飛んだ。
島国サヌークを超え、オザッカを超え、やがて盆地の向こうに小さく王都が見えてくる。
「あぁっ! 燃えてるわ!」
ユリアは思わず叫んだ。王都はあちこちから黒煙が上がり、物々しい雰囲気が伝わってくる。
ユリアは初めて見る戦争の恐ろしさに思わず背筋が凍る。あの煙の下では多くの人の命が奪われているのかもしれない。優しかった侍女たちがひどい目に遭っているのかも……。ユリアは目の前が真っ暗になり、うなだれた。
◇
王都が徐々に近づいてきて、被害の様子が明らかになってくる。黒煙は中心部のあちこちから立ち昇っており、宮殿の美しかった庭園も黒焦げになっていた。
「どこに行けばいい?」
ジェイドは王都へと急降下しながら聞いてくる。
「きゅ、宮殿北側の大広間にお願い!」
ユリアは青い顔でガタガタと震えながら答える。
ジェイドが宮殿に接近していくと、炎の矢や氷の槍といった攻撃魔法があちこちから一斉に放たれた。
ユリアは金色の魔法陣のシールドを展開してそれらの攻撃を弾き飛ばし、ジェイドは攻撃が放たれた拠点に次々とエネルギー弾を打ち込んでいく。
ズン! ズズン!
宮殿のあちこちが爆発炎上した。きっと何人も死者が出たに違いない。
ユリアは、すでに取り返しのつかないレベルで戦争に関与してしまったことに顔面蒼白となり、思わず震える自分の手を見た。
しかし、これが自分の選んだ道なのだ。元大聖女として、王都を守り続けた矜持にかけてこの狂った世界を正さねばならない。
ユリアは涙をポロポロとこぼしながら前を向いた。
◇
宮殿の大広間の大きな窓から中の様子が見える。どうやら宴会が行われているようだった。もう呑気に祝勝会をしているのだ。よく見ると、侍女の女の子をはべらせて酒を飲んでいる。ユリアはぎゅっと奥歯をかみしめ、覚悟を決めた。オザッカを追い出した後の事など後で考えればいい。今は彼女たちの救出が先である。
「ジェイド! 大広間の壁をぶち抜いて!」
と、叫んだ。
ジェイドは一瞬考え込み、意を決すると、
「分かった。まかせろ」
そう言って、中に人がいない辺りの壁にそのまま体当たりしながら着地した。
ズガーン!
激しい衝撃音を放ちながら大広間にドラゴンが乱入し、浮かれ切っていたオザッカの将校たちは呆然とする。
「キャ――――!」「うわぁ!!」
大広間には悲鳴が響いた。
直後ユリアは
「範囲催眠!」
と、叫んで激しい光を放つ。
大広間には金色に輝くオーロラが展開され、無数の光の微粒子が人々に降りかかっていく。
将校たちも女の子たちも意識を奪われ、バタバタと次々と倒れた。
しかし、上級将校たちは魔法をレジストし、立ち上がる。
「これはこれは、元大聖女様じゃないですか」
一番奥で、頬に大きな傷を持つ筋骨隆々とした男が声を上げる。将軍クラスだろう。
「今すぐ王都から出ていって!」
ユリアは男をにらみ、叫んだ。
将軍はドラゴンをチラッと見ると肩をすくめながら言った。
「いいでしょう。ドラゴンと事を構えるほど馬鹿じゃない……。その代わり、王都の統治権は公爵殿に取ってもらってください。王都がまとまらずに荒れては困るのでね」
「それはダメよ。今回の侵略の裏に公爵がいることくらい知ってるのよ!」
将軍はピクッと眉を動かし、腕組みをして考えこむ。すると隣の将校が言った。
「大聖女さまはドラゴンを使って公爵家を滅ぼすつもりですか?」
「王都の街の人たちの安全と平和のためなら何だってやるわ!」
しかし、将校はいやらしい笑みを浮かべて言う。
「あなた、追放されたんですよね? 何の権限でそんなことを?」
ユリアはハッとする。追い出す正当性を問われるとユリアは弱い。政治的に言えば無関係な第三者がドラゴンを駆って王都を侵略している形になってしまう。
そして、言葉を失い、ギュッと唇を噛んで将校をにらんだ。
「黙れ!」
ジェイドの重低音の叫びが大広間に響いた。
その腹に響く重低音は本能的に人間には抗いがたい恐怖を呼ぶ。将校たちは青い顔をして黙り込んだ。
「今後どうするかはお前らには関係ない! 今すぐ撤退の指示をしろ!」
ジェイドはそう叫び、将校に撤退の指示を出させた。
王宮の外でパッパッパー! パッパッパー! と、撤退ラッパの音が響きわたる。
「て、撤退させました……」
将校は報告する。
するとジェイドは、
「ご苦労」
と言って、カッ! と衝撃波を放ち、将校たちを吹き飛ばした。
屈強な将校たちもドラゴンにかかれば赤子同然である。皆意識を失って転がっている。
ユリアは侍女たちを起こし、オザッカの将校たちを縄で縛るように指示すると、アルシェを探しに牢屋へと急いだ。
2-8. ざまぁな惨状
ユリアは人化したジェイドと一緒に、自分が監禁されていた牢屋への階段を下りていく……。
すると、もわぁと、すえた悪臭が漂ってくる。
ユリアは眉をひそめ、慎重に降りて行く……。
最初の牢をのぞくと、衣服をビリビリに破られ、ぐちゃぐちゃに乱暴された女性が白い肌をさらしながら倒れ、痙攣していた。
「ひっ!?」
思わず後ずさるユリア。
それはついさっきまで男たちにもてあそばれていた女の子。体のあちこちには悪臭を放つ体液が残されていた。
「えっ……? ゲ、ゲーザ……?」
思わずユリアは口を手で覆う。
それはよく見ると銀髪を編み込んだ紅い唇の女性、ゲーザだった。
ユリアを陥れ、追放させた悪女は自らの愚行で墓穴を掘ったのだ。
「じ、自業自得だわ……。ざまぁよ!」
そう言いながらもユリアの目には涙が浮かび、おもわずジェイドに抱き着く。
うっうっうっ……。
ユリアは涙を流しながら、不幸の連鎖、どこかで歯車が狂ってしまった世界を呪った。
ジェイドはそんなユリアを心配そうに見つめ、髪を優しくなでる。
すると、隣の牢からもすすり泣く声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。
ユリアはハッとして隣の牢へ走る。
そこで倒れていたのはかつての聖女の仲間たちだった。彼女たちにもまた、乱暴された跡が生々しく残り、悲痛なうめきが牢に響く。
ユリアは清浄化の魔法と治癒魔法を部屋全体にかける。牢の中は金色の光の微粒子が舞い、緑の光の渦がゆったりと牢の中を回った。
「ユリアさまぁ……、うわぁぁん!」「ユリアさまぁ!」
ユリアは泣きながら飛びついてくる聖女たちを両手いっぱいに抱きしめ、そして一緒に涙を流す。
例え大聖女であっても、彼女たちの穢された悲しみを癒してやることなんて到底できない。ただ一緒に泣いてあげることしかできなかった。
◇
さらに隣の牢を見ると、教皇が囚われていた。
教皇はユリアを見るとビクッとして無言のままうつむく。
ユリアの追放に関与していたはずの教皇。ユリアは険しい声で言った。
「公爵派の暗躍について証言してもらえますか?」
すると教皇は口を開いた。
「ワシも全貌は知らん。じゃが、こうやって収監されてしまった以上、公爵派の肩を持つ気もない。全て話そう」
「私の追放は公爵派の陰謀だったという事でいいですね?」
「そうじゃ、そなたには……、申し訳ない事をした」
そう言って教皇は頭を下げる。
「ふざけるな!」
ジェイドは目の奥に赤い炎を揺らし、重低音のどすを聞かせた声を響かせた。
ひぃ!
教皇は恐ろしいドラゴンの威圧にやられ、しゃがみこんで頭を抱え、
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
と、泣き叫んだ。
「謝ってすむ話じゃない!」
ジェイドはさらに凄んだが、ユリアはそれを制止する。
「そういうのは後にしましょう。今は公爵派の陰謀の立証を優先させたいの」
「な、何でもする。だから許してくれぇ!」
すっかり恐怖で追い込まれた教皇は、ユリアに手を合わせてひたすら頭を下げた。
◇
次に捕虜が拘束されている大講堂へと移動する。
大講堂はすでに解放の喜びで大騒ぎとなっていた。
ユリアが入り口を入ると、
「ユ、ユリア様だぁ!」「あ、ありがとうございます!」「ユリア様――――!」
と、歓声が上がり、次々と人が集まってくる。
予想外の大歓迎を受け、圧倒されるユリア。
もみくちゃにされながら奥に進むと、向こうの方には負傷兵たちがたくさん横たわっていた。雑に巻かれた包帯は血で滲み、高熱を出してうなされているものも少なくない。
ユリアは、ギョッとし息をのむと、ギュッと目をつぶった。そして、大きく深呼吸を繰り返して心を落ち着かせ、「範囲上級治癒!」と、叫んで緑色の光の渦を大講堂中に展開した。
緑の光の流れは負傷兵たちの身体をすり抜けながら少しずつ治癒の奇跡を起こし続け、やがて、みんな元の身体を取り戻していく。
「おぉぉぉ!」「うわぁぁぁ!」「す、すごいぞ!」
大講堂にいた人たちは皆、ユリアの起こす奇跡に圧倒され、あるものは涙を流し、あるものはユリアにひざまずいて手を合わせた。
すると、下級兵士の服装をした黒髪の少年が駆けてきて、
「ユリア、ありがとう!」
と叫んでユリアの手を両手で包んだ。
ユリアは一瞬戸惑った。透き通るような白い肌に凛とした鼻筋……、それはアルシェに見えるが……。
「あれ? アルシェ……よね?」
「あ、ゴメンゴメン」
そう言うと、少年はかかっていた変装の魔法を解き、輝くような金髪とエンペラーグリーンに輝く瞳を取り戻した。
「アルシェ! 無事だったのね!」
ユリアは死んだと思っていた恩人の登場に感極まってハグをする。
死を覚悟していたアルシェも緊張の糸が切れ、涙が止まらなくなった。
二人はしばらくお互いの体温を感じながら無事を喜びあう。
周りの観衆たちもそんな二人の涙にもらい泣きをして、鼻をすする音がいくつも響いた。
2-9. 公爵の街、ダギュラ
「こんな事態になったのは君たち王族の問題だ」
ジェイドはアルシェに厳しい声で言う。
アルシェは驚いて顔を上げ、ジェイドを見る。
「そ、そうかもしれません……」
アルシェはうなだれた。
「ジェイド、彼はまだ十四歳よ。責任は無いわ」
ユリアはアルシェをかばう。
そんなユリアをジェイドは少し不機嫌そうに見つめた。
「ユリア、いいんだ……。王族……というのはそれだけ責任が……あるんだ」
アルシェはうなだれながら絞り出すように言う。
「これからどうするんだ?」
ジェイドは淡々と聞く。
「父や兄……主要な王族は全員……処刑されてしまいました。僕が立て直すしかありません……。うっうっう……」
アルシェはそう言ってうなだれ、ポトポトと涙を落とす。
「アルシェ……」
ユリアはアルシェを引き寄せ、優しくハグをする。
ジェイドは何かを言おうとして……、目をつぶるとため息をついた。
◇
今は亡き国王の執務室に移動し、善後策を話し合う。ポイントは二つ、内政をどう立て直すか、と対公爵などの外交をどうするかだった。内政はアルシェが王位を継承したことを国民に広く周知し、生き残った幹部で新たな体制を作り回していくしかない。これは大変だがそれでも作業の話だ。
問題は外交、これは喫緊の課題だ。公爵の影響を排除をしなくてはならないが、公爵と全面戦争なんてしたらまた外国に狙われてしまう。あくまでも戦争をせずに公爵家をお取りつぶしにしないとならない。しかし、どうやって?
アルシェはジェイドに頭を下げて言った。
「申し訳ありません、僕に力を貸してくれませんか?」
ジェイドは不機嫌そうに答える。
「お前たちはユリアを傷つけた。気軽に味方などできん」
アルシェはうつむき、ギュッとこぶしを握ると、ジェイドに土下座して、
「それについては申し開きもありません。でも、ユリアを陥れたのは公爵です。公爵を倒すのだけ、ご協力いただけませんか? なにとぞ!」
と、大きな声で頼んだ。
ジェイドは返答に詰まる。仮にも一国の王が額を床に付けている。その意味は重い。
大きく息をつき……、そして、ユリアの方を向く。
ユリアは悩む。もちろん、公爵は倒さねばならない。でも、それはジェイドとは関係ない話なのだ。ユリアが頼めば力は貸してくれるだろうが、それでいいのだろうか? 自分への好意を利用する、それは正しいことなのだろうか?
「ジェイド……。私はどうしたらいいの……?」
ユリアも答えが出せずにジェイドの袖をつまみ、うつむいて言った。
ジェイドはしばらく思案し、毅然とした態度で言う。
「やはりダメだ。一緒に家に帰ろう。人間界の争いに首など突っ込んじゃダメだ」
ユリアは泣きそうな顔でジェイドを見上げる。
「王都解放までやったんだ。それで十分じゃないか。追放されたユリアがこれ以上助ける筋合いなんてない」
確かにその通りである。追放された時、群衆に石を投げられたことを思い出せば、王国で大聖女として復帰する事も素直に喜べない自分がいる。もちろん、大聖女の力を人々のために使い、安心と平和をもたらしたいという思いはある。だが、それは王国の大聖女という地位とはイコールではない。国に帰属しない道だってあるのだ。
「ユリア! お願いだ、見捨てないでくれ!」
アルシェは立ち上がり、ユリアの手を取って真剣な目で頼む。
ユリアは悩んだ。アルシェは助けてあげたいが、ジェイドを巻き込むのも気が引けるし、公爵軍の兵士たちにだって家族がいるのだ。敵だからと簡単に殺していい話ではない。
何が正解か全然見えてこなかった。
ユリアは目をつぶり、しばらく考えると、ジェイドに聞く。
「公爵をさらってくる。これだけ……、お願いできるかな?」
「さらう……」
ジェイドは気乗りのしない顔でしばらく考え、
「まぁ……、さらうだけなら……」
と、嫌そうに答えた。
◇
ユリアを乗せたドラゴンは澄んだ群青色の空を飛ぶ。力強く羽ばたきながら雲を越え、ひたすらに東を目指す。公爵の支配する街、ダギュラが見えてきた頃にはすっかりと暗くなり、上弦の月が高く輝いていた。
「見えてきた、あそこだ」
ジェイドが言う。
「あそこね……、結界……かしら?」
ぼうっと明るく光る城郭都市の中心部にはガラスドームのような結界があり、淡く虹色に蛍光して神秘的なイルミネーションとなっていた。宮殿はそのドームの中にある。
「あのくらいなら破れるだろう」
「さすがジェイドね!」
ユリアはジェイドのウロコのトゲにギュッとしがみつく。
ジェイドは宮殿に向けて急降下しながら青白く全身を光らせ、直後、衝撃波を放つ。
衝撃波は結界を砕き、ガシャ――――ン! パリパリというガラスが割れたような音を立てながら崩壊していった。
ジェイドはそのまま一気に突入し、綺麗に手入れされた庭園の広がる正面玄関前に着地する。
しかし……、宮殿には明かりはなく、静まり返り、ただ、不気味に街灯だけが魔法の炎を揺らしていた。
2-10. ドラゴンスレイヤー
「これは……、どういうことだ?」
ジェイドは首を低くしてユリアを下ろしながら言った。
「誰も……いないのかしら?」
「いやいや、まだ宵の口、ディナータイムだ。誰もいないなんてこと無いだろう」
ジェイドはそう言うと人に戻る。
そして、二人は不気味に静まり返る宮殿へそろそろと近づいて行った。
正面の巨大なドアを引いてみると、ガチャリと重厚な音がして動く。カギもかかっていない。
二人は顔を見合わせ、うなずき合うと恐る恐るドアを開けた……。
中は真っ暗で、静まり返っている。
「誰も……、いないみたいよ?」
ユリアがキョロキョロと見回した時だった。急に魔法のランプがポツポツと光り始め、豪奢で広大なエントランスを照らしだす。
ひっ!
思わずジェイドにしがみつくユリア。
ジェイドはそっとユリアの頭をなで、辺りを見回す……。
エントランスの床には青を基調とした壮大なモザイクが施され、大理石でできた真っ白との壁との対比が美しく、壮麗な雰囲気を演出していた。
そして、優美な曲線を描きながら二階へと続く赤じゅうたんの階段、王宮よりも立派な造りにユリアは訝しがる。
「お待ちしていましたよ、グフフフ……」
いきなり声がした。
二人が見上げると、正面の階段をニヤけた男がスタスタと下りてくる。
それはユリアも見覚えもある、頭の薄くなった小太りの中年、ホレス公爵だった。
「こ、公爵! いたのね!」
ユリアは公爵の不気味さに気おされながら声を上げる。
「ドラゴンを殺す様子なんて、家の者には見せられないのでね……」
いやらしい笑みを浮かべるホレス。
『ドラゴンを殺す』というホレスの言葉にユリアは激しい違和感を覚えた。そんなことただの人間にできる訳がない。なぜ、そんなことが言えるのだろう? ホレスの異様な雰囲気にユリアは背筋に冷たいものを感じた。
「よ、よくも追放なんてしてくれたわね! あなたの悪だくみはバレてるの。法廷で裁いてやるから神妙にしなさい!」
ユリアは勇気を振り絞って叫ぶ。
「グフフフ、弱い犬ほどよく吠える……ほわぁぁぁ!」
ホレスがそう叫ぶと、全身がボコボコと膨れだし、肌の色も緑へと変わり始める。
「へっ!?」
思わず後ずさりするユリア。
グッ、グッ……グギャァァ!
ホレスが瞳を黄色に光らせながら苦しそうに喚くと、シャツがパン! と破け、ボコボコと盛り上がった筋肉が不気味に緑色に光った。それは、もはや人間ではない、まるでオーガのような姿だった。
ひぃぃぃ!
異形に変化してしまった公爵、その異様さに圧倒されてユリアはジェイドの後ろに隠れる。
「この姿を見た以上、君たちには死んでもらわんとな……」
ホレスはそう言うと、スラリと幅広の剣を引き抜いた。それは瑠璃色に輝く刀身を持つ美しい剣。表面には幻獣の模様が彫ってあり、もはや宝剣といった風格がある。
「くっ! なぜ、お前がそれを!?」
ジェイドの表情が険しくなる。
「そう、ドラゴンスレイヤー、龍退治用の神の剣だよ、グフフフ」
ホレスはまるで曲芸師の様にドラゴンスレイヤーをブンブンを振り回し、クルクルと回した。
ちっ!
ジェイドは美しい顔を歪めると、気合を込め、全力の衝撃波をホレスへと放った。
ズン!
衝撃波はホレスに直撃し、周囲の階段やインテリアがぐちゃぐちゃに壊れて吹き飛ぶ。
きゃぁ!
その爆風にユリアは思わずしゃがみ込んだ。
コツコツコツ。
爆煙の中から靴音を響かせながらホレスはにやけ顔で現れる。
「物理攻撃無効、魔法攻撃無効、ドラゴンと言えどこの身体、かすり傷一つつけることはできんよ、グフフフ」
そう言いながら、ホレスはブンとジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振った。刀身から放たれた青く輝く光の刃がジェイドを襲う。ジェイドは瞬時にシールドを展開したが、刃はシールドを素通りし、そのままジェイドの身体を切り裂いた。
ぐはぁ!
ジェイドの肩口がザックリと斬れ、血が噴き出す。
「ダ、ダメだ……、逃げる……ぞ!」
そう言ってジェイドはユリアの手を取って出口に駆けだしたが、
「逃がさんよ」
ホレスはそう言いながら瞬歩で一気に間合いを詰めると、ジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振りかかぶった。
「ダメぇ!」
ユリアはジェイドの手を振りほどくと、渾身の神聖魔法を瑠璃色の刀身に放つ。
ガン!
強固な結界が膨張する衝撃で刀身が弾かれ、ドラゴンスレイヤーはホレスの手から離れた。
カン! カン! と音を立てて床を転がっていく。
「くっ! このアマが!」
ホレスは瞳に憎悪の炎を燃やし、逃げようとするユリアに向けて魔法の鎖を放つ。
きゃぁ!
鎖は不気味な紫色の光を放ちながら、まるで触手のようにユリアに巻き付いていく。
ユリアは魔法で何とか鎖を外そうとあがいたが、全ての魔法は跳ね返され、あえなくグルグル巻きにされ、引き倒された。
「いやぁ!」
「ユ、ユリア!」
ジェイドは傷口を手で押さえ、血をボタボタとたらしながらユリアを助けようとしたが、ホレスはドラゴンスレイヤーを拾って再度ジェイドに狙いを絞る。
「ダメ! 逃げてぇ!」
ユリアの悲痛な叫びが広間にこだました。
2-11. 瑠璃色の刀身
くっ!
敵は攻撃の効かない身体にドラゴンスレイヤー、活路を見いだせないジェイドは悔しさで顔を歪めながら一旦外に逃げた。
そして、そっと窓から中の様子をのぞく。
「おやおや、イケメンに逃げられちゃったな」
ホレスはそう言いながら鎖を引っ張り、ユリアをソファまで引きずると、髪の毛をガシッとつかみ、ソファに転がした。
「痛ぁい!」
ユリアは苦悶の表情を浮かべる。
「さーて、ドラゴン。この女をヒィヒィ言わせちゃうぞ!」
ホレスは金色の目で窓をにらみながらユリアの身体をまさぐった。
「何すんの! やめて!」
ユリアは身体をよじらせながら叫ぶ。
するとホレスは、ドラゴンスレイヤーの刃をユリアの頬にピタリと当てる。
ひっ!
氷のように冷たい瑠璃色の刀身がユリアを硬直させる。
「暴れると……、この刃が食い込んじゃうかも……しれないよ?」
そう言ってホレスはドラゴンスレイヤーの刃を少し引く。
柔らかいすべすべとしたユリアの頬が切れ、血がタラリとたれた。
ひぃぃぃ……。
ユリアは何も言えなくなり、涙がポロリとこぼれる。
「さて、ショータイムといこう!」
ホレスは窓に向いて叫ぶと、ドラゴンスレイヤーの刀身の平たい面でユリアの白いワンピースをパン! と叩いた。
すると、ワンピースは一瞬閃光を放ち、ポン! と破裂音を伴いながらはじけ飛んだ。
「い、いやぁ!」
ユリアは全裸となり、かろうじてボロきれが大切な所を覆っている。
なんとかしたいと、もがくユリアだったが、鎖にガッシリと縛られてどうにもならない。
「なんだ、お前まだ男を知らんのか。イケメンとよろしくやってると思ったんだが……」
ホレスはいやらしい笑みでユリアの身体をなめるように見た。
「うっうっうっ、やめてぇ……」
ユリアはか細い声をあげて泣く。
「さーて、ドラゴン! こいつが女になるところをしっかりと見とけよ!」
ホレスはそう言うとユリアの両足をつかんだ。
「ダメぇ!」
ユリアは足を動かそうとするがビクともしない。まるで鋼鉄に足をつかまれたかのようにほんの少しも動く気配がなかった。
その時だった、バン! という扉を蹴る音がしてジェイドがダッシュで駆けてくる。
血をふりまき、美しい顔を苦痛でゆがめながら瞳を真っ赤に輝かせて飛ぶようにホレスに接近した。
「バカめ!」
ホレスはドラゴンスレイヤーを振り上げ、ジェイドめがけて振り下ろそうとする。
その時、ボシュ! という音がして盛大な蒸気がホレスの目の前に吹き上がった。ジェイドは水魔法と火魔法を同時に出し、煙幕としたのだ。
くっ!
ホレスはあてずっぽうにドラゴンスレイヤーを振り回したがジェイドには当たらない。
直後、ジェイドがホレスの頭上に現れた。
「ワシには攻撃など効かん!」
そう言いながらドラゴンスレイヤーを構えなおすホレス。
直後、ジェイドは何かを振り下ろす。
うひぃぃ――――。
奇妙な声を残して、ホレスは消えた……。
「えっ!?」
ユリアは驚いた。緑色の巨体が一瞬で消え去ったのだ。
あっけに取られていると、ジェイドがアイテムバックを見せる。なんと、ホレスをアイテムバッグに収納してしまったのだった。
通常、生き物を吸い込んでしまわないようにアイテムバッグにはセーフティロックがかかっているが、ジェイドはそれを解除して武器として使ったのだ。
クッ……。
ジェイドがガクッとひざをついて、血がポタポタと落ちる。
「あぁっ! ジェイド!」
魔法の鎖が解けたユリアはボロ布で身体を隠しながら、うずくまるジェイドに治癒魔法をかける。しかし、ジェイドの傷はふさがらず、血がだらだらと流れるばかりだった。
ツゥ……。
ジェイドは痛みに顔を歪ませる。
「えっ!? なんで効かないの!?」
ユリアは必死に何度も治癒魔法をかけた。
「神の力でついた傷には魔法は効かないんだ」
「ど、どうしたら治るの?」
ユリアは涙をポロポロ流しながら聞く。
「自然治癒で直すしかない。棲み処へ帰らないと……」
ジェイドはアイテムバッグからユリアの服を出しユリアに渡すと、立ち上がったが……、貧血でふらついた。
「あぁ!」
ユリアは急いで支える。ジェイドの暖かい血がたらたらとユリアの白い肌を赤く染めながら流れていく。
「ジェ、ジェイド……?」
ジェイドは荒い息で凄い高熱を発している。
ユリアはことの深刻さに目の前が真っ暗になる。
「えっ!? ジェイド、ジェイドが死んじゃう――――!」
ユリアは急いでソファにジェイドを横たえると、傷口に布を当て、ジャケットの袖を器用に縛って止血をする。
ジェイドは苦しそうに荒く息をするばかりだった。
2-12. 口移し
「ジェイド! お家に帰ろう!」
ユリアはジェイドに話しかけるが返事がない。意識がもう失われてしまっている。
一刻を争う事態に、ユリアはジェイドを背負うと飛行魔法で浮かび上がった。
そして、月夜の空へ飛び立っていく。
ダギュラの街明かりを受けながら徐々に高度を上げるユリア。
だが、ジェイドを担いで飛ぶのはユリアには荷が重かった。何度もフラフラとバランスを崩しながらも必死に飛び続ける。
「ジェイド、死んじゃダメ!」
ユリアは月明かりを浴びながら涙をポロポロとこぼし、必死にオンテークを目指す。
自分が余計なことを頼んだがためにジェイドを傷つけてしまった。ユリアは自分の考えの甘さが招いた悲劇に打ちひしがれながら必死に飛んだ。
ジェイドのいない人生なんてもうユリアには考えられない。ジェイドを失ったらもう生きていく自信なんてなかった。
自分を救ってくれた大切な人、こんな自分を「好き」と、言ってくれたかけがえのない人、自分が命にかけても救うのだ。
ユリアは歯をぎゅっと食いしばると飛行のイメージを固め、さらに加速していく。
途中何度も強風であおられるも、ユリアは自分の命も燃やす勢いで力を絞り出し、ただひたすらに遠くに見えてきた火山、オンテークを目指した。
◇
月が沈みかける頃、ユリアはボロボロになりながらようやくジェイドの棲み処に戻ってきた。
ユリアはジェイドをベッドに寝かせると、服をはいで傷口を露わにする。パックリと開いた肩口の傷はまだ血が止まらず、青黒く変色しており、その痛々しいさまにユリアは思わず歯がガチガチと鳴る。この傷をうまく治療できないとジェイドは死んでしまうだろう。ユリアは涙をポロポロとこぼしながら、浄化魔法をかけた。
ぐわぁぁ!
ジェイドは、苦しそうに叫ぶ。浄化魔法が瘡蓋になりかけの部分までぬぐってしまっているからなのか、相当に痛そうだった。でも傷口を綺麗にしなければ化膿してしまう。
「ごめんね、ごめんね」
ユリアは泣きながら手を握り、浄化魔法を続けた。
消毒が終わると、裁縫道具から糸と針を取り出す。戦場では消毒して傷口を縫うと聞いたことがある。自分は回復魔法が使えるから無関係だと思っていたが今、大切の人の命を懸けて縫わねばならない。
ユリアはブルブルと震える手を何とか押さえ、溢れてくる血の中、一針ずつ涙をポロポロとこぼしながら縫っていった。
縫うたびにジェイドは歯を食いしばり、苦しそうにするが、どうしようもない。
「もう少し……もう少し、我慢してね」
ユリアは袖で涙をぬぐいながら針を進めた。
◇
全部縫い終わると、タオルを縫い合わせた包帯で患部をグルグルと巻き、毛布を掛け、寝かせた。
しかし、ジェイドの息は荒く、高熱で汗が止まらない。
このままだと脱水症状になってしまう。ユリアは、水をくんでくると、ジェイドに飲ませようとした。しかし、意識がもうろうとしているジェイドはうまく飲んでくれない。
「あぁ……、どうしよう。ジェイド……」
ギュッと手を握って、苦しそうに喘ぐジェイドを悲痛な思いで眺めるユリア。
そして意を決すると、ユリアは自分の口に水を含み、そのままジェイドのくちびるに重ねた。そして舌で少しずつすき間を作り、ジェイドの中へと口移しで流し込んでいく。最初は戸惑っているようだったジェイドも、無心にゴクゴクと飲む。
何回か水を飲ませると、ジェイドは少し安らいだ表情になって静かに眠りについていった。
◇
ベッドわきで看病しながら眠り込んでいたユリアは、頬を優しくなでられて目が覚めた。
「ん……?」
目を開けると、ジェイドが優しく微笑んでいる。
「ジェ、ジェイドぉ!」
ユリアはバッと身を起こすと、ジェイドの手を抱きしめ、ポロポロと涙をこぼした。
「ユリアのおかげだ。ありがとう」
ジェイドはそう言って震えるユリアに頬を寄せる。
うっうっうっ……。
ユリアは大切な人が回復した喜びと同時に、自分のせいでジェイドを失いかけた恐ろしさを思い出し、頭の中がぐちゃぐちゃになってただ泣きじゃくっていた。
2-13. 神様の戯れ
ジェイドの傷は快方には向かっているものの、重傷であり、少なくとも一週間は寝たきりである。
その間、ユリアは食事を用意したり、包帯を替えたり、身体を綺麗にしたり、かいがいしく看病をした。
公爵を捕縛した事はアルシェには伝えてあるが、ジェイドがこんな状態である以上、しばらく王都へは行けない。王国の立て直しは十四歳の新王には荷が重いとは思うが、化け物と化した公爵を見てしまったユリアには、もう政治の世界に近づく気にはなれなかった。
「公爵は……、なんであんな化け物になっちゃったのかな……?」
ユリアは食後に紅茶を入れながら聞いた。
「分からない。だが、彼が使っていたのは神の力……、人間が手にできるような力ではない」
「後ろに神様がついてるってこと? 神様が私を追放させ、王国を滅ぼそうとしたってことなの?」
「そうなるが……、神様にはそんなことするメリットなんてない。公爵なんか使わなくても一人で王国なんて滅ぼせてしまうし」
ジェイドは眉をひそめながら紅茶をすすった。
「そうよね……。どういうことなのかしら……」
「神様が関わっているとしたら我はもう出られない」
ジェイドは傷口をさすりながら言う。
「そうよね……」
アルシェを手伝ってあげたい思いもあるが、これ以上ジェイドを危険な目に遭わせるわけにはいかないのだ。
神様の戯れに振り回される人間たち……。
ユリアは大きくため息を漏らし、紅茶をすすりながら思案に沈んだ。
◇
その晩、ユリアがベッドに入ると、ジェイドが腕枕をしてきた。
「えっ!? 傷口が開くわよ?」
ユリアは驚く。
「このくらい大丈夫だ。いろいろありがとう」
ジェイドはユリアの頭をなでながら言った、
ユリアはジェイドの精悍な男の匂いに頬を赤らめながら、
「このくらい大したこと無いわ」
と言って、スリスリと頬でジェイドを感じた。
「最初の晩に……」
ジェイドがちょっと恥ずかしそうに切り出す。
「え?」
「もしかして、水を……飲ませてくれた?」
ユリアはボッと顔から火が出る思いで真っ赤にして、
「ごめんなさい、あれは必死だったの!」
そう言ってジェイドの胸に顔をうずめた。
「謝らないで……。もっとして欲しいくらいなんだから……」
ジェイドはユリアに頬を寄せ、耳元でささやく。
「え……?」
ユリアは恐る恐るジェイドを見る。
すると、ジェイドは優しくユリアの頬にキスをした。
唇の温かな感触にユリアは少しボーっとして……、そして、吸い寄せられるようにジェイドの唇を求めた。
ぎこちなく唇を重ねるユリアをジェイドは優しく受け入れる。しばらく二人はお互いの想いを確かめるように舌を絡めた。
想いが高まったユリアはついジェイドを抱きしめようと、もう片方の腕に触れてしまう。
うっ!
ジェイドが痛そうな声をあげて固まる。
「あっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
ユリアは慌てて離れた。
「だ、大丈夫……」
ジェイドは美しい顔を歪めながら傷口を押さえる。
ユリアはジェイドの様子を申し訳なさそうにしばらく眺め、毛布を広げるとそっとジェイドにかぶせた。
◇
翌日、ユリアが食事の用意をして部屋に持ってくると、ジェイドが深刻そうな顔をしている。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
ユリアがプレートをテーブルに置きながら、引きつった笑顔で聞く。
ジェイドは大きく息をつくと言った。
「王国で内戦だ。公爵軍が反旗を翻した」
「えっ!? 公爵はもういないのに?」
「先日のオザッカの侵攻で王国軍がかなりやられてしまったので、統制が効かないのだろう」
「ど、ど、ど、どうしよう……」
ユリアは青くなってうつむく。また多くの人が死んでしまう。アルシェも死んでしまうかもしれない……。
「どうしようもない。人間同士の争いに首を突っ込んじゃダメだ」
「そ、そんな……」
ユリアが行ったとして戦争なんて止められない。それは分かっているが、王都の人たちが傷つくのは何とか減らしたい。何かいい手は無いだろうか……?
「治癒だけ、ケガを直すのだけやればいいのかも?」
「ダメだ。直した兵士はまた戦いに行くし、ユリアも標的になる」
「じゃあどうしたら!?」
ユリアは今にも泣きそうな目でジェイドを見る。
ジェイドは目をつぶり、大きく息をつくと諭すように言う。
「祈る……しかない」
「そんなぁ!」
ユリアはガックリとうなだれ、涙をポロポロとこぼす。
自分の無力さ、神の理不尽さ、そんな神に踊らされる人間たちの不甲斐なさに打ちのめされ、動けなくなった。
2-14. 荒廃した大地
「勝敗がついたら……、復興を手伝いに行こう」
「そんなこと言って、アルシェが死んだらどうするのよ!」
ジェイドはムッとした様子で言う。
「あいつは特別なのか?」
「と、と、特別……、なんかじゃないけど……。追放された時にずいぶん助けてもらって勇気づけられたの」
ジェイドはふぅ……と、息をつくと言った。
「分かった、友達に言って彼が死ぬことのないように警護してもらおう」
「えっ?」
「この情報をくれたのも彼女なんだが、友達の妖狐が今、王都で様子をうかがってくれている。本陣が危なくなったら彼だけでも助けだしてもらうよう頼んでみよう」
「あ、ありがとう!」
ユリアはジェイドの手を取り、涙をぬぐう。
「戦争が終わったら彼女に美味しいものでも食べさせてやってくれ」
ジェイドはユリアの手をギュッと握る。
ユリアはゆっくりうなずいた。
◇
しばらく二人は妖狐からの戦況情報を聞きながら、一喜一憂する落ち着かない日々を過ごしていた。
すると、突然、とんでもない情報がもたらされる。
南西にある大きな島国のサグが挙兵してオザッカに攻め込んだというのだ。オザッカは先の王都侵攻で将校たちが囚われ、軍事力に陰りが出ているのは確かだったが、全く予想外の事態にユリアはうろたえる。
「王国が分裂してるからチャンスだと思ったんだろう」
ジェイドが淡々と言った。
「サグがオザッカを制圧したら王国にも……来るかな?」
ユリアが泣きそうな顔で言う。
「反乱をうまく鎮圧できなければ来るだろうね」
「そ、そんな……」
うなだれるユリア。
ジェイドは心配そうにユリアを見つめ、そっとハグした。
事態はさらに混迷を深めていく。
オザッカをあっという間に制圧したサグはその勢いのまま王都へと侵攻していった。
アルシェたちは王都で籠城をし、サグを迎え撃ったが、なんとその時、島国サヌークの軍隊が電撃的にサグの首都を急襲したとの報が駆け巡る。
これですべての国が戦争に突入し、全土が戦火に覆われることになった。
街の人たちは次々と田舎へと逃げだし、街は閑散として経済もマヒする。さらに軍隊の特殊部隊は敵地の農村の田畑を焼き払い、兵糧攻めを図る。
食べ物を失った人々は次々と飢えに倒れ、地獄絵図があちこちで展開されることとなった。
◇
じっとしてられないユリアは、朝早くジェイドに内緒で王都へと飛んだ。
森を越えると焼け焦げた農村が広がり、人の姿はどこにも見えない。あれほど豊かな実りを見せていた豊穣の大地はただの焼け野原となり、まさに地獄と化していた。
ユリアはあまりのことに呆然とし、涙をポロポロとこぼしながら飛ぶ。
うっうっうっ……。
とめどなくあふれてくる涙を止めることをできないまま、ただ、王都へと急いだ。
遠くに王都が見えてきたが、どうも様子がおかしい。いつもならにぎやかに人が行きかい、あちこちから湯気の上がる活気を見せていた街には何の動きも見られない。
はやる気持ちを押さえながら近づいて行くと、そこはゴーストタウンだった。あれほど活気にあふれていた街には誰もいなかったのだ。
「うそ……」
ユリアはその惨状に言葉を失ってしまう。
つい先日まで王国の中心として十万人の人が暮らしていた活気のある巨大な街が、あちこち焼け焦げた廃墟の街と化してしまっていたのだ。
かろうじて中心部の方に人の気配があり、ユリアは急いで飛んだ。
王宮が見えてきたが、美しかった庭園は掘り起こされ、畑となっており、何人かが畑仕事をしている。
ユリアが着陸しようとすると、魔法が飛んできた。急いでシールドを張って防いだが、次々と攻撃を受け、やむなく引き返すことにする。
敵意がない事をちゃんと示して丁寧にやればよかったのかもしれないが、荒廃しきった王都や農村を見てしまったユリアは、もういっぱいいっぱいでそんな余裕もなかったのだ。