竜帝陛下と私の攻防戦
 ステンレス浴槽とタイルの張りの床という、昭和の時代を感じさせる広い浴室は冬場寒くて好きになれなかった。
 でも、今は此処が広くて助かったと、ベルンハルトと共に浴室へ入った佳穂は家を建てるときに浴室に拘ったという祖父に感謝した。

 洗い場にヒノキの椅子を置き、腰にタオルを巻いたベルンハルトを座らせる。

 今まで生きてきた中で異性の裸を肉眼で見たのは、高校時代の水泳の授業で男子の水着姿のみ。
 ベルンハルトは着痩せするタイプらしく、筋肉がしっかりついた広い背中は否応なしに彼が男性なのだと実感させる。

 コクリと唾を飲み込んで片手でシャワーを持つ。

 湯量を調節しながら、シャワーヘッドから出てくるお湯で髪に残っていた泡を洗い流す。
 ていねいに泡を流し終わり、シャンプーボトルをワンプッシュして手の平へ出したシャンプーを泡立てる。

「力加減が強かったら言ってください」
「ああ」

 泡立てたシャンプーをベルンハルトの髪へ付けて、爪を立てないよう慎重に指の腹で地肌を優しく擦りながら洗う。

(私……いったい何しているんだろう?)

 初めて触れる銀糸は見た目通り滑らかな手触りで、泡にまみれているのに室内灯の灯りを反射して煌めいていた。

「痒くないですか?」
「ああ、丁度良い」

 浴室の天井に反響して、上擦って聞こえるベルンハルトの声が色っぽくて佳穂の心臓が跳ねる。

(大根よ。これは大根なのよ。私は今、畑から収穫した大根を丁寧に洗っているの)

 声に出さないように繰り返し「大根」と唱え、大根洗い以外の余計な思考を頭の中から追い出した。


「髪と体は自分で拭いてきてくださいね」

 シャンプーを洗い流すと、ベルンハルトへバスタオルを手渡して佳穂は逃げるように浴室を出ていく。

 振り向かれたらまたしてもベルンハルトの裸を見ることになるし、「洗え」と言ってくるくらいだから当然の様に体を「拭け」と命じられそうだ。
 いくら皇帝陛下でも、自分の体くらい自分で拭いてもらいたい。というか、男性の体を拭くなど無理だ。



(あんなに綺麗な大根、じゃなかった男の人の裸は初めて見た。私よりも綺麗な肌だし、全く恥ずかしがらないのは皇帝だから?)

 異世界の皇帝陛下が困っていたら手を貸そうと、浴室の前で待機する佳穂は熱を持つ頬に両手を当てる。
 
 ガラリ!

「ひゃあっ」

 勢い良く扉が開き、丁度、ベルンハルトの裸を思い出していた佳穂は飛び上がりかけた。
 扉から出て来たベルンハルトは、浴衣を片手に持ち胸に手を当てて顔を赤くする佳穂へ近付く。

 今度はボクサーパンツを履いているとはいえ、ほぼ全裸の彼の肌を見ないように佳穂は下を向いた。

「これはどうやって着るんだ?」

 腰紐を差し出され、弾かれたように佳穂は手を伸ばす。

「あ、えっと、これはですねぇ」

 視線を逸らし、肌色を見ないようにして腰紐を結ぶ。
 浴衣越しに腹筋の硬さを感じ、腰紐を結ぶ佳穂の指先が震える。
 チラチラ見えるボクサーパンツに触れないようにするのは、なかなか大変で上手く結べない。
 どうにか結び終わった佳穂の手の甲へ、ポタリと上から水滴が落ちた。

「髪、びちゃびちゃじゃないですか。しっかり拭いてください」

 頬を赤く染めつつ呆れ混じりの顔で見上げてくる佳穂に、ベルンハルトはムッとした顔でタオルを渡す。

「お前が拭け」

 自分で拭きなさいよ、と言いかけてぐっと言葉を飲み込む。
 皇帝陛下だから偉そうなのは仕方ない、と何度も自分に言い聞かせた佳穂はベルンハルトからタオルを受け取った。

「そこの椅子に座ってください」

 異世界の皇帝は、自分で髪も拭かないのかもしれない。
 先程は大根洗いを思い浮かべていたのを、今度は幼い頃に飼っていたペットの大型犬を拭いているのを思い浮かべる。

 籐で編まれた椅子に座ったベルンハルトの背後に周り、水分を含んだ銀髪をタオルで丁寧に拭いていく。
 髪を拭いている間は、お互い無言で時計の音しか聞こえてこない。

(初対面は悪鬼みたいな顔だったのに、これじゃあ想像通り、毛繕いを喜ぶ大型犬じゃない。白い大型犬だと思えば、ちょっとだけ可愛いかも)

 濡れた髪を拭きドライヤーの風で乾かし終わった頃には、空はもうほのかに白みだしていた。
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