竜帝陛下と私の攻防戦
竜帝陛下は異世界転移を満喫する
 異世界転移という異常な状況に心身が疲弊していたのか、野営以来の床へ敷布を敷いて眠る寝具へ横になって直ぐにベルンハルトは眠っていた。

 物心ついて以降、初めて意識が途切れるほど熟睡したという事実に驚きながら、軽くなった上半身を起こし室内を見渡し苦笑いする。
 普段は気だるい寝起きの体も、魔素が少ないおかげで余計な干渉を受けない異世界では軽快になるのか、昨夜とは打って変わり思考もすっきりしたものになっていた。

(俺としたことが、異世界へ転移して多少動揺していたらしい。警戒を怠り眠るとは、失態だな)

 目覚めてから、自分が結界を張り忘れ無防備に寝ていたことに気付いたベルンハルトは、小さく舌打ちをした。
 就寝前に結界を張り忘れて寝入るなどと、幾度となく暗殺者に狙われた彼方の世界では考えられない失態だと、片手で目元を覆う。
 此方の世界、この家の中に漂う平和な雰囲気に流されたかと、自嘲の笑みを浮かべる。

 軽い足音が廊下から聞こえ、佳穂という名の女も起きたかと掛け布団を捲り寝床から出て、起き上がった。
 音をたてずに襖を開閉し廊下へ出れば、欠伸をしながらの寝ぼけ眼でぶつかってきた佳穂は、ベルンハルトの胸元に顔面を強かぶつけて小さな声で「だれっ?」と呻く。

「あ、そうだった……」

 赤くなった鼻を押さえて顔を上げた佳穂は、数秒固まった後ようやくぶつかったのがベルンハルトだと理解したらしく、目と口を大きく開いて固まった。

「お、おはようございます? こんにちは? お腹は空いています? それとも、わた、はっ!?」
「ああ?」

 支離滅裂なことを口走りだした佳穂を呆れた目で見下ろせば、彼女は鼻を押さえたまま逃げるように洗面所へ走り去った。

「……変わった女だ」

 皇帝であるベルンハルトの側には、媚びるような表情や頬を染めてしなだれかかってくる女はいても、あそこまで青くなったり赤くなったりする女などいない。
 まして不細工な顔や泣き顔を見せるような、ころころと表情を変える感情豊かな女は自分の周りにはいなかった。
女など、ベルンハルトからの寵愛を求めあざとく面倒な生き物だと思っていたのに、佳穂という女はどうやら違うようだ。

(俺に媚びる女だったら利用しようと思っていたが……だが、あの珍妙な反応も面白い)

 洗面所から戻ってきた佳穂に朝の身支度を促され、渋る彼女を適当に言い包め洗顔と着替えを手伝わせた。
 水で濡れた髪を掻き上げただけで、佳穂は顔を赤らめて視線を逸らす。いちいち見せる反応が面白くて、もっとからかってやりたくなる。

「やはり、変な女だ」

 作務衣という独特な服に着替えさせられ、簡単な昼食だとして出されたのは素麺という白く細い麺とたっぷりの見たことがない野菜。
独特な野菜の匂いに、「なんだこれは」と眉を寄せてしまった。

 異世界ということもあり、此処には食べ物や生活に使う道具にも変わった物が多い。
 天気や事故等の情報や観劇を映し出す黒い箱、遠方の情報を知れるのは便利なうえ面白い仕組みだ。
これらの仕組みを帝国へ持ち帰り実用化出来れば、今以上に経済は活発化するだろう。
 持っていた魔石に、道具の映像と佳穂の説明音声を記録させる。

 異世界転移とは厄介なことになったと思ったが、新たな技術や未知の物を探れると思うと、ベルンハルトの胸は珍しく高鳴っていた。



「何か分かりましたか?」

 片付けを終えてやって来た佳穂から声をかけられ、二冊の魔術書を並べて調べていたベルンハルトは顔を上げた。

「いや、複雑な術式が絡まっているのは分かるが、解呪の手がかりとなりそうなものは分からない」

 首を振ったベルンハルトは、開いていた二冊の魔術書を閉じ表面を人差し指で撫でた。

「向こうの世界へ戻れれば、この手の物に詳しい奴がいたのだがな」

 魔術書に使われている紙は、魔力によって補強されている特殊な物だった。
 古くからトルメニア皇帝と縁深く、魔術や魔道具の研究に勤しむ幼いベルンハルトの師匠だった偏屈エルフならば、魔術書の情報も解呪の手がかりも知っているはずだ。

「魔法を使って元の世界へ戻るのは無理ですか?」

 床に膝をついて問う佳穂を、ベルンハルトはジロリと睨む。

「世界と世界を繋ぐ異界の境目を抉じ開けられれば可能だ。境目に僅かな隙間を作れれば転移は出来る。だが、この世界では魔力が上手く扱えん。空気が違う、というか魔素が全く無く精霊の力も弱い。俺が全力を出しても今の状態では難しいな」
「今の状態?」

 魔力が無い佳穂にも見えるようにと意識して魔力を練り、ベルンハルトは握った手のひらを開く。

「わぁー!」

可視化された魔力が虹色の光の玉がいくつも現れ室内を漂う。
 幻惑魔法を応用した魔法は本来ならば部屋全体を異空間、幻想世界へ変えるものだが、此方の世界では子ども騙し程度の効果しかない。それでも、佳穂は初めて見にする魔法に目を輝かせ頬を紅潮させる。

「魔力が半減している。月の光、満月の力を使えば何とか隙間を開けるかも知れぬ」
「満月? じゃあ、次の満月の日を調べてみますね」

 棚の上から黒い板を取り出した佳穂は、板の表面へ指先を滑らせて何やら操作を始めた。

「えっと、次の満月は、二十日後ですね」
「二十日か……それだけあれば此方の世界を楽しめるな」

 ニヤリ、と効果音が聞こえてきそうな悪い笑みを浮かべたベルンハルトを見て、佳穂の顔色が悪くなる。



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