竜帝陛下と私の攻防戦
厄介なつながり

繋がる赤い糸

 狭い箱に押し込められて四方を人に囲まれるのが、これ程不快な気分になるのだということをベルンハルトは初めて知った。

 微弱な冷房が感じられない程、乗客達の体温により上昇した車内の温度、体臭口臭に汗の臭い、極め付きは娼婦顔負けの装いをした女の香水の臭い。
 不快感からしたくなった舌打ちは、側にいる佳穂に聞かせたくはないと思い堪える。

 駅のホームで電車待ちをしていた時、やって来た電車の混雑した車内の様子を見た佳穂から次の電車に乗ることを提案されたのに「満員電車を経験したい」と、乗り込んだのは自分なのだから。

 満員状態を幸いと、胸を押し付けて密着してくる化粧が濃く香水臭い女とは違い、ベルンハルトより頭一つ分以上小さい佳穂は乗客の間に埋もれながらも体が傾かないよう、両足に力を入れて踏ん張っている。
 腕に触れてくる女に耐えきれなくなり、認識阻害魔法と転移魔法を女の横にいる若い男にかけて強制的に二人の位置を入れ換える。
 若い男は入れ替わった違和感で戸惑っているようだったが、直ぐに手元の携帯端末へ視線を落とした。

 ガクンッ!

 カーブに差し掛かった電車が大きく揺れ、踏ん張りきれなかった佳穂の体が後ろへ倒れそうになった。
 佳穂の体が彼女の後ろに立つ男へ倒れ掛かる前に、細い腰へ腕を回して引き寄せる。

(なんだと?)

 引き寄せたのは自分なのに、ベルンハルトは意図しなかった自分の行動に混乱していた。

 引き寄せようと意識した訳ではなく、腕が自分の意思を無視して勝手に動いたのだ。
 腕の中へ引き寄せた佳穂とは身長差があるため、ちょうど頭頂部がベルンハルトの鎖骨へ触れる。
 不快だった香水の香りとは異なる、髪から香る甘い花の香りが鼻腔を擽った。

 髪から香る花の香りを堪能したくなり、彼女の腰へ回している腕の力を僅かに強める。
 隙間は全て無くなり、密着する佳穂の体はますます緊張して強張り固くなっていき、彼女の心臓の鼓動は壊れてしまいそうなくらい速くなった。
 俯いているため顔は見えないが、佳穂の耳は真っ赤に染まり熱を持っていた。顔も全身も同様に真っ赤になっているのだろう。
 甘い香りと華奢なくせに触れた感触は良い、やわらかな体。
 俯いていて隠している顔は、どんな表情をしているのか。顎を掴み、上向かせて佳穂の顔を見たくなる。

 じわじわと、体の奥底から毒を口にした時のような軽く痺れる感覚が這い上がってくるのを感じていた。
 意図せず、熱くなる下半身に力を込めて抑えつける。
 佳穂と密着していたのが満員電車でなく自宅だったら、彼女をどう扱っていたか自分でも分からなかった。


 電車から降りた後、改札口を抜けて駅から出て人の流れに逆らわず大通りを歩き、スクランブル交差点の横断歩道が赤信号に変わり人々は立ち止まる。
 俯く佳穂の一歩前を向いていたベルンハルトは、彼女の足が止まったタイミングで振り向いた。

「掴まれ。この状態ではぐれたら面倒だ」
「へ?」

 目を見開いた佳穂は、きょとんと数回目蓋を瞬かせた。
 差し出した手を見詰めて固まる彼女は、信号が青に変わり人の波が動き始めるとやっと動き出す。

「失礼、します」

 控え目に掴まってきた細い指を、ベルンハルトは自分の指で強く握る。
 それだけで身を固くする佳穂に、気付かれないようベルンハルトは内心舌打ちをした。

 前々から分かっていたこととはいえ、全く持って鈍すぎる。
 鈍感な佳穂はどうやら気が付いていないらしい。
 魔力を持たないとはいえ、ベルンハルトと心臓が繋がった影響を少なからず受けている佳穂は、この世界の中では少々目立つ存在となっていた。

 甘い香りを放つ花の様に、周囲の者達の視線が自身に絡み付いていることを佳穂は気付いていない。
 すぐ後ろを歩いていた男が立ち止まった際に、彼女へ声をかけようとしていたことなど全く気付かないでいた。


 他者から注視されるのには幼い頃より慣れている。とはいえ、気に入らない視線を浴びて生じる苛立ちを無視出来る程、広い心は持ってはいない。

 手を繋ぐように言った後、鈍い彼女が戸惑いを見せたため、苛立ちは収まるどころか更に増していく。
 苛めてやろうかとも思ったが、繋いだ手のひら全体から佳穂が緊張しているのが伝わってきたものだから止めた。

 しかしながら、この苛立ちの意味は何なのだと一瞬考えて、異世界で人に囲まれている状況の今は思考が正常に働かないのだと、あまり深く考えないようにした。



 目的の店へ着き、中身の熱さに驚くも旨かったたこ焼きを食べた後、少し後ろを歩いていたはずの佳穂が急に居なくなった。

(あの馬鹿女! 俺の手を取らないからだ!)

 建ち並ぶ飲食店の色とりどりの看板や、店頭ディスプレイの珍しさに意識が散漫になっていたとはいえ、ベルンハルトにとっても佳穂を見失うのは失態だった。

(此処では気配が探りにくいな。探索魔法を使うか?)

 混雑している街中で女一人を探すのは面倒だと、周囲へ気付かれないように結界を張り魔力を練った。
 
 どくんっ!

 捜索魔法を展開しかけた時、ベルンハルトの心臓が大きく脈打った。

 “助けて、ベルンハルトさんっ!”

 脳裏に響いてきたのは、自分とはぐれた佳穂の声。
 捜索魔法を展開しなくても、自分の小指と彼女の居場所へ繋がる赤い糸がハッキリと見えて、ベルンハルトは思わず溜め息を吐いてしまった。

「これが魂の片割れ、心臓が繋がった相手の危機が分かるというやつか」

 相手の危機が分かるようになっているのは、便利でそして厄介だ。
 しかも居場所を示すのが赤い糸とは。

 込み上げてくる笑いを噛み殺し、ベルンハルトは糸の示す方向へ歩き出した。



 
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